活動日誌

「2017年8月」の記事

 終戦記念日を前後して、さまざまな特集番組が放映されています。昨夜のNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」は見ごたえがありました。

 京大医学部の医師も関与し、細菌兵器開発のために中国で行った人体実験の具体的証言が、ロシアに残っていた裁判の音声記録で明らかになったもの。大スクープです。そしてあまりにもおぞましい証言内容。

 人体実験を行った医師は、自殺をした人もいれば、戦後、医学界の幹部になった人も。医学者、科学者の在り方を鋭く問うものです。最後には防衛省が大学等に軍事研究のために資金を提供する制度に関する学術会議の議論も紹介されました。

 今、戦争と科学者の問題は鋭く問われています。医学者、大学の戦争協力を再び許してはならない

ちさか.jpg 京都市山科区の西本願寺山科別院で開かれた「核兵器禁止条約締結したニューヨーク国連会議報告会」で報告しました。

 山科戦争展実行委員会と山科平和を守る会と日本共産党京都東地区委員会の共催。用意した資料が足りなくなる60人を超える皆さんが参加しました。

 ちさか拓晃衆議院京都2区候補の挨拶に続き、私から、広島に育った被爆二世としての思いも紹介しながら、約50分間の報告。

 できるだけ国連会議の様子をリアルにお話しするよう努めましたが、「その場にいるようだった」という感想もいただきました。ありがとうございます。

山科区.jpg 若干の質疑応答の後で原水禁世界大会長崎大会に山科から参加された二人の青年からの報告もありました。

 那覇市内のホテルで琉球新報一面をみて驚きました。なんと政府はオスプレイ自粛要請を撤回。安全だとするアメリカの説明を「理解できる」とのこと。連続して墜落したのになぜ安全なのか!国民は理解できない。怒、怒、怒、怒??映画.jpgの佐古忠彦監督の舞台挨拶に会場みんなで「ありがとう」を送りました。今後、全国上映があります、ぜひ、ご覧ください!

 14時から、「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない8.12県民大会」が、肌を焼く日差しの中で始まりました。暑さに負けず沢山の皆さんが怒りをこめて集まっています。国会議員団から赤嶺、笠井、田村、真島、仁比各議員と私が参加。九州ブロックの松岡さんもご一緒です。

県民集会.jpg 集会は、4万5千人の参加で大成功!  稲嶺進名護市長、翁長雄志沖縄県知事が辺野古新基地建設反対、オスプレイ配備撤回・飛行禁止を訴えて力強い挨拶。最後に「NO 辺野古新基地」「我々はあきらめない」のメッセージボードを掲げてアピールしました。暑い!そして熱い!

   集会を終え、水分補給と休憩の後、那覇空港から関空に降り自宅へ。自宅着は22:30でした。充実した2日間の沖縄入りでした。

 

 明日の県民大集会の参加のため、羽田6:40の便で仁比議員とともに沖縄入り。中村重一北谷町議の案内で基地視察を行いました。

 まずは、嘉手納基地。米兵の基地外居住の状況を見た後、基地を見渡す道の駅へ。来るたびに基地が増強されていると実感します。丁度、F15が4機連ねて発進。すさまじい騒音。沖縄の負担軽減だとして本土に移転した以上に外来機の使用が増えている実態など聞きました。

辺野古海上.jpg 続いて、辺野古新基地建設現場へ。安保破棄実行委の皆さんと一緒に平和丸に乗って海上から抗議と視察。美しい海を遮るオレンジのブイ、海に投げ込まれたケーソンに怒、怒、怒。

 県民を諦めさせようと、工事が順調にすすんでいるかのような大宣伝が行われましたが、様々な問題があり彼らの思うように進んでいないのが実態。その点も詳しくお聞きしました。

伏見.jpg 続いて辺野古のテント村を訪問し、交流。京都市伏見区の皆さんとあいました。糸数参院議員を招いての集会で寄せられた30万円のカンパを届け、県民集会に参加されるとのこと。

 伏見区では同じ時間に連帯街宣も行われます。全国で熱い連帯と闘いが広がっています。「勝つ方法はあきらめないこと」 

 テント村には、原水禁大会に参加された外国代表の皆さんも来訪。

 テント村.jpg米国の平和団体「平和、軍縮、共通の安全保障キャンペーン」代表のジョセフガーソンさん、国際平和ビューロー共同代表のリサ・クラークさんと懇談。トランプ氏と金氏の応酬による緊張の高まりに危機感を述べられました。

 夜は自由法曹団の皆さん懇談。基地をめぐる訴訟やオール沖縄のたたかいの現状と課題、など、たっぷりと意見交換ができました。

 

 

 IMG_1942.JPG衆院安保委、参院外防委の閉中審査が開かれました。午前中は衆院の質疑を聞きながら、午後の質問原稿の仕上げ。

 参院外防委は13:30から始まり、まずオスプレイ墜落事故について、菅官房長官が会見で「自粛要請」に「運用上必要な場合を除いて」と条件を付けたことを批判。すると小野寺防衛相は、自分は条件を付けていないと。

 では、米軍が「運用上必要」とオスプレイを飛行させたことに抗議せよと求めてもまともに答えず。結局、「運用上必要」と言われれば、容認する姿勢。どこの国の大臣かといいたい。

 続いてPKO日報隠ぺい問題。特別監察によれば隠蔽が最初に行われたのが昨年七月。駆けつけ警護の真任務付与が検討されていた最中です。新任務付与を行うために、日報に書かれた南スーダンでの「戦闘」の事態を隠したかったのではないかと質したが、監察本部は「確認されなかった」というばかり。

 観察結果は、なぜ、日報を隠蔽したのかという問題にまともに不眠子でいません。特に、南スーダン情勢とPKOをめぐる国会論戦への影響と日報隠蔽との関係にはまったく触れていません。身内調こ査の限界。国会に真相解明の責務があります。そのためにはやはり、稲田前大臣はじめ関係者の出席が不可欠だ!問題

 

 長崎への原爆投下72年目。私も平和祈念式典に参列する予定でしたが、外防委員会の理事懇や閉会中審査が行われるため、テレビの前で核廃絶を祈りました。市民参加で作られた平和宣言を田口市長が読み上げました。

 政府に対し、「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、交渉会議にさえ参加しない姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難。「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めました。思わず拍手。安倍総理はまたも、一言も触れずじまい。この政権を変えるしかありません。

 朝から、明日の外防委の質問準備。15時から理事懇が開かれ、質問時間や稲田前大臣ら日報隠蔽問題の関係者の出席についてき協議しましたが、与党はあくまで稲田前大臣らの参考人出席を拒否。しかし、真相解明には当時の関係者の出席は不可欠。野党は納得せず、引き続き協議することに。

 夕方に質問通告。

 水産庁.jpg日本の排他的経済水域内である能登半島沖の漁場「大和堆」、北朝鮮等の船舶が違法なイカ漁を行っている問題で水産庁、海上保安庁に対応を申し入れました。

 写真は水産庁長官に要請書を渡す、藤野、堀内両衆院議員、武田参院議員、佐藤正幸石川県議、鈴木宏太石川3区予定候補と私。

 日本の漁船が安心して漁業が行われるように、取り締まりの強化など万全の対策を求めました。

 午後にはオーストラリアでの在沖米軍のオスプレイ墜落問題で防衛省から説明を聞きました。小野寺大臣は国内でのオスプレイ飛行の自粛を求めましたが、米側は「運用上の必要性」だとして要請を無視して飛行を行いました。にもかかわらず、抗議もしない政府。どこの国の政府でしょうか。

 その後は、国対、議員団会議。

 京都を朝出て東京へ。京都駅で、原水禁長崎大会に向かう、京都や滋賀の皆さんとお会いしました。私も広島に続いて長崎に行く予定でしたが、PKO日報隠蔽問題での閉中審査が行われることになりキャンセルに。残念です。

 京都は早朝から台風の影響で強い風雨。東京に向かうにつれ青空が広がりました。各地での被害が心配です。

 議員会館で、10日に行われる閉中審査に向けた準備など。3日の内閣改造を受け、今日は副大臣、政務官が決まりました。朝から、新任大臣をはじめ新任挨拶で次々と部屋に来られました。

献花.jpg 原爆投下72年目の今日。朝6時に志位委員長をはじめ日本共産党中央委員会として平和公園の原爆慰霊碑に献花しました。昨日の高橋、大平議員に加え、笠井、藤野、本村議員もご一緒です。朝早くから、お参りの人々でいっぱいでした。

 8:00から平和記念式典に出席。開会前に、挨拶のために参加されていた中満泉国連軍縮担当上級代表に「先日の国連会議ではありがとうございましま」と握手。和服で参加されており、核兵器禁止条約に触れながらの素晴らしい挨拶でした。

松井市長.jpg 式典で広島市長、市議会議長、県知事、国連事務総長代理がそれぞれ核兵器禁止条約に触れ「核兵器は『絶対悪』」などと述べたのに安倍総理はまったく触れず。党派を越えて条約を歓迎する広島の声と相容れない姿が浮き彫りになりました。

 10時からは県被団協(坪井理事長)主催の原爆死没者慰霊祭に参列、午後からは原水禁大会広島集会に参加しました。挨拶にたった志位委員長の核兵器禁止条約にサインする政府を作ろう!との訴えにひときわ大きな拍手がありました。

世界大会.jpg 14:30からは県被団協(佐久間理事長)の皆さんと懇談。安倍総理との懇談で、被爆者相談所の吉岡署長さんが「核兵器禁止条約に反対したことを満腔の怒りをもって抗議する」と発言したことの紹介もあり、禁止条約にサインする政府を作るためにも国際署名を広げようと盛り上がりました。

 充実した2日の行動を終え、京都へ。

 一中慰霊碑.jpg明日の平和祈念式典に参列するために京都を朝出てに広島へ。まずは、お好み焼きで腹ごしらえをした後、母校、広島国泰寺高校に行きました。

 正門のそばの広島一中原爆死没者慰霊碑にお参りし、先輩たちに核兵器禁止条約採択の報告をしました。

 安らぎ園.jpg午後からは高橋、大平両衆院議員、辻県議、近松広島市議と共に原爆病院、原爆養護ホーム神田山やすらぎ園を慰問。

 原爆病院では有馬副院長から原爆投下時の必死の医療活動を原点としてきた歴史や現況などお聞きし、養護ホームでは入所者の皆さんにご挨拶。お見舞い金や花束をお渡ししました。 

 続いて広島被団協・被爆者相談所を訪問し、佐久間理事長さんや吉岡所長さんらと懇談。核兵器禁止条約採択の時の様子をお話しし、今後の課題や明日、被爆者7団体として安倍総理と懇談する意気込みなどお聞きしました。

 本通り.jpg17;20から本通り交差点での志位委員長の核兵器禁止条約報告の街頭演説会へ。暑いなか千人を越える人が足をとめ聞いて下さいました。

 街宣後、平和公園にある「原爆の子の像」へ。2才で被爆し12才で白血病でなくなった佐々木貞子さんの同級生が全国に呼びかけ、平和を築こうと建立したものです。

 原爆の子.jpg完成した1958年5月5日は私の誕生日です! この碑の前にくると、平和のバトンをついでがんばってとさだ子さんの声が聞こえるような気がします。今日も沢山の千羽鶴が捧げられている碑を前に、二度と悲劇を起こさせない誓いを新たに。

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