活動日誌

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原爆投下から75年の日、広島で誓い新たに。

 20.8.6 献花.jpg原爆が広島に惨禍をもたらして75年目の昨日。わが原点である核兵器廃絶への思いをかみしめる一日でした。朝6時に平和公園で志位委員長、笠井、本村衆院議員、仁比、大平前議員、地元議員の皆さんと共に献花で一日の行動を始めました。

 続いて母校広島国泰寺高校の原爆犠牲者慰霊碑への参拝、平和祈念式典を視聴し8:15に黙とう、県被団協(坪井理事長)との懇談、被爆建物・旧陸軍被服支廠の視察、県被団協(佐久間理事長)・黒い雨訴訟の原告の皆さんらとの懇談と続きました。途中、京都市で開かれている被爆者を描いた個展のオープニング企画にZOOMで参加しました。

 20一中慰霊碑.jpg国泰寺高校の慰霊碑に行った際、丁度、当時の一中の教頭先生の娘さんがお参りに来ておられ、お話しできました。被爆した生徒の救援に必死で、自宅に帰ってこられたのは三日後だったとのこと。その後亡くなられ、お名前が慰霊碑に刻まれていました。核兵器は無くさなくてはならないとの強い思いを聞かせていただきました。

 被団協や原告の皆さんとの懇談の中では、核兵器禁止条約の早期発効への期待と条約に背を向ける日本政府への厳しい意見が出されました。黒い雨訴訟の高野原告団長らからは、「原告の証言を丁寧に聞いて信用できるとした判決に感動」「控訴は許さない」などの声が次々とあがりました。

 被服支廠2.jpg一方、式典の挨拶で条約に一言も触れなかったのは今年も総理だけ。総理は黒い雨訴訟にも触れず、式典後被爆者との懇談での「控訴やめて」の要請にも何も答えませんでした。

 被服支廠の視察の前に、峠三吉の「原爆詩集」で描かれた被爆者の救護所として使われた投下直後の惨状を読み直しました。巨大な建物の前に立つと、75年前にこの中が被爆者のうめき声や家族を探してきた人々の呼び声に包まれたことが迫ってきます。改めて、全棟保存が必要と痛感しました。

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