24ヵ国訪問記

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中南米訪問記

国際協力庁長官/日秘文化会館/秘日議員連盟/議長を表敬訪問

 忙しい一日でした。朝一番に国際協力庁で長官と懇談。続いて日秘文化会館を訪ね、日系人協会の皆さんらと懇談。その後、国会に行き、秘日友好議員連盟の皆さんとの懇談や議長への表敬訪問を行いました。

 国際協力庁はODAの窓口になっている役所。バンド長官からは、日本からの支援に関する重点要望として、水道などの生活基盤整備とともに環境対策、文化遺産の発掘・保全への支援を上げられました。

 続いて日秘文化会館へ。大変立派な建物なのに驚きました。ペルー日系人協会の津覇テオドロ幹事長らの案内で移民資料館や館内のホールなどを見学し、懇談しました。

 続いて国会へ。コロニアル風の立派な建物。アルコスタ外交委員長代理やヤマシロ会長をはじめペルー日本友好議連の皆さんと懇談(写真上)。日本のODAが 歓迎されている様子や、今後の要望についてご意見を聞きました。ここでも医療等への援助とともに環境、文化対策、さらに地震対策への要望が出されました。

 その後、カストロ議会議長を表敬訪問。首相兼第二副大統領もつとめたことのある方で、与党の重鎮です(写真下)。議事堂内にも入って見学しました。

 さらにヤマシロ会長の招待による秘日友好議連との昼食会。議会所有の食堂で行われ、ペルー料理をいただきながら歓談。話題の一つに2院制の問題がでました。ペルーはかつて2院制でしたがフジモリ大統領時代に議員の大幅削減と1院制が強引に進められました。

 そのもとで現在、法律を成立させるには議会で2回の議決を必要とし、しかも1国会で議決は1回のみ。2国会をまたがらせることで拙速な成立を防いでいます。そのため今、2院制に戻すべきだとの議論が広がっているとのこと。

 私も日本での2院制をめぐる議論や「再考の府」としての参院の存在意義やその発揮のための努力についてお話しました。

エマヌエル孤児院/ポリクリニコ/老人ホーム/地震防災センター

 午後からは,日系人の皆さんが中心となって運営するエマヌエル孤児院、病院、老人ホームを視察したあと、日本・ペルー地震防災センターを訪問して説明を聞きました。

  リマの中心部から車で30分も走らないうちに景色は一変し、茶色の世界になります。山には一本の木も生えておらず、砂漠が広がります。道の周りには、レン ガや板の壁にトタン板やむしろを載せただけのような住宅が並び、山の急な斜面にも張り付くように住宅があります(写真上)。貧富の格差のすさまじさに愕然 としました。

 その貧困地区によるエマヌエル孤児院を訪問しました。日系人のカトウ神父が当時の日系人メンバーに声をかけて資金を集め、 設立した施設。多く日系人がボランティア活動を行い、テロの影響で両親を失ったり、貧困のなかで捨てられた孤児に施設内で衣食住を提供しています。この施 設の改修のために日本の資金援助がされました。

 JICAから若い女性が1人、一緒に寝泊りしてのボランティア活動を行われており、貧困の中で発育障害のあった子どもが施設の中で体も心も元気になっていく様子もお話いただきました。

 子どもたちがお礼の歌をプレゼントしてくれました。ペルーの歌かと思えば、どこかで聞いたような歌。なんとSMAPの「世界に一つだけの花」を日本語で歌ってくれました。ボランティアの女性が日本語と一緒に教えたそうです。とってもすばらしい歌声でした。

 その後、孤児院に隣接する病院ポリクリニコと、移住一世を中心に入所されている老人ホームを訪問しました。3つの施設はいずれも日系人の皆さんが中心に運 営されていますが、実に整理整頓が行き届いていました。雑然とした貧困地区の中では、ここだけ別世界ようです。日系人の勤勉さが、こういうところにも現れ るようです。

 リマ市内に戻り、日本・ペルー地震災害防災センターへ。日本とペルーは同じような地震国。昨年はペルー南部で500人の方が亡くなる地震も起きています。同センターには日本から機材や専門家の提供で支援が行われています。

 夜は日系人協会やJICAボランティア、日系商工会の皆さんと夕食をとりながらの懇談会。さまざまなご苦労やご意見を聞きました。スペイン語の乾杯ハ「サルー」です。

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