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「被爆2世としての決意」(しんぶん赤旗東海版2019年1月23日付「憲法と命輝け④」より」

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 2017年7月7日、井上さんはニューヨークの国連会議場で感動に胸を震わせていました。「核兵器禁止条約」が採択された歴史的瞬間。各国の代表や被爆者、市民が総立ちになって拍手を送り、抱き合う光景が...。広島で育った被爆2世として、その感動はひとしおでした。

 井上さんが卒業した広島県立国泰寺高校は、爆心地のすぐそば。前身の県立第一中学校は原爆投下で全壊し、登校していた1年生の多くが亡くなりました。

 

●衝撃の上映会

 入学早々、映画「ひろしま」の上映会でその事実を突き付けられました。「自分と同じように夢を持っていた先輩たちが、一瞬にして命を奪われ、人間の姿で死ぬことも許されなかった。なぜこんな理不尽なことを止められなかったのか」。昔話のように思っていた原爆の話が、頭の上からガツンと降ってきたような衝撃でした。

 「誰もが亡くなる瞬間まで人間らしく生きられる社会をつくりたい」「理不尽には立ち向かう生き方がしたい」と考えるように。進学した京都の大学で、おかしいものにはおかしいと声をあげる日本共産党の先輩にであい、入党を決意しました。

 大学1年の夏、地域や街頭で署名とカンパを集め初めて原水爆禁止世界大会に参加しました。平和公園に全国から集まってくる色とりどりの旗。その一本一本に草の根の運動があるんだと目頭が熱くなりました。「その運動の先頭に立つ共産党に入ってよかった」と感じました。

 そんな井上さんが「被爆2世」であると知ったのは、歳の頃でした。母から原爆手帳をとったと知らされました。学校の講堂で被爆者の救護をしていたのだといいます。「2人の姉への偏見を気にしたのでしょう」。何十年もひとり胸の内に苦しみを抱え、今も多くを語らぬ母。「原爆は一番身近な人をこんなにも苦しめていた。原爆は今でも多くの人に深い傷を負わせているのだと改めて痛感させられました」

 深い傷を負いながら、地獄のような体験を語り、「二度と被爆者をつくらせない」と運動してきた被爆者たち。国連での「核兵器禁止条約」の採択は、「被爆者と市民の運動が世界を動かした」瞬間でした。だからこそ、唯一の被爆国でありながら、その場にいない日本政府に強い怒りがこみ上げました。

 

●「妨害役」追及

 井上さんは、核兵器のない世界を求める人びとの「妨害役」となっている日本政府を厳しく追及してきました。

 オバマ前米政権の核削減の方針に日本が反対し、核弾頭の最新鋭化を促していたことが米側の資料で明らかになったときは、発言メモを入手して追及(参議院予算委員会18年3月26日)。沖縄に核貯蔵庫をつくる提案に対し、外務省が「説得力があるように聞こえる」と答えていた問題も、手書きのメモを手に政府に迫りました。

 「あなたは、どこの国の総理ですか」という被爆者の言葉を、国会の場で安倍首相にぶつけました。

 井上さんは各地を駆け、熱く訴えています。「被爆者の方に、こんな悲しい言葉を言わせる政治を変えなければいけない。被爆者の方が『やっぱり被爆国の政府だ』と心から思える政府をご一緒につくろうじゃありませんか。それが、被爆2世として、日本共産党の参院議員としての一番の決意です」(おわり)

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