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ヒロシマの心掲げて


高谷さんの作品「レクイエム 想」と井上参院議員
 
 

 参院議員会館の部屋の壁に「ヒロシマの心」を掲げることができました。

 当選以来一年半。小さい壁には京都の労組幹部からいただいた絵を掛けました。問題は広い壁に掛けるものです。被爆地ヒロシマに育ち、「憲法といのち輝く日本」を訴えてきた自分にふさわしいものはないか、ずっと考えてきました。

 そんな中、十二月の初めに京都精華大学の教授で染色家の高谷光雄さんの個展を訪れました。今回の個展のテーマは「戦争」。

 高谷さんが長い間温めてこられたテーマで、還暦を機にとりくんだとのことでした。会場で一番に目に付いたのが、「レクイエム 想」と題するろうけつ染の作品です。原爆ドームに向かい、一人の男が座り込み頭をたれています。強い印象を胸に上京しました。

 その週のことです。韓国在住の被爆者へも被爆者援護法の適用を命ずる大阪高裁の判決が出ました。寒空の中、被爆者のみなさんが「国は控訴するな」と厚生労働省の前に座り込みをされました。激励に行き、「被爆者はどこに住んでいても被爆者。外国に住んでいるからといって援護法を適用しないのは許せません」と訴えた後、高谷さんの作品を部屋に掲げたいという思いがいっそうわき上がってきました。

 すぐに高谷さんに電話しました。「ぜひあの作品を国会の部屋に掛けさせてほしい」。「光栄です」。「ありがとうございます」。

 さっそく東京に運び部屋に掛けました。鮮やかな赤で染めたバックが白い壁に映えます。十七日、国は控訴を断念することが明らかになりました。良かった。さらに「ヒロシマの心」を掲げてがんばりぬこう。(02/12/19付け「赤旗」関西版)


レクイエム


展示会場で高谷氏(左)と
 
 

 染色家で京都精華大学教授の高谷光雄さんの作品展「レクイエム」を一日、訪ねました。

 会場のギャラリー三条には、ヒロシマやアウシュビッツの建物、小林多喜二や棺に入った屍など戦争を告発した新作が並んでいました。写真の作品は、原爆ドームの前に横たわる死者。その胸に描かれた虹は途中で涙に変わり、哀悼の思いが込められています。

 「戦争」は高谷さんが長年温めてきたテーマでしたが、六十歳を機に取り組んだとのこと。学生達があまりにも戦争について知らないこともきっかけの一つだと言われていました。

 鑑賞にこられた人が、それぞれの思いを語っていかれ、日頃はこうしたテーマについて話をしたことがないような方が、会場で作品を鑑賞して、自らの戦争体験を語られたこともあったそうです。「こういう作品展を開くことが、戦争と平和を語り合う場になってます」と語られる高谷さん。私も、今年の夏に娘を連れて行った広島の原爆資料館が若い人でいっぱいだったこともお話をし、「戦争を語るきっかけが大事ですね」とお話しました。

 しばらくの間は戦争を主題にした作品に取り組むと語られた高谷さん。きっと、見た人の心も平和への思いで染まります。(02/12/8 付け京都民報)


赤恥、青恥



 
 

 「クイズ!! 赤恥、青恥」というテレビ番組の「政治家常識クイズ」に一日、出演しました。関西の放映は大阪放送だけでしたので、京都ではほとんど見ておられないと思います。与野党四人の政治家がビデオで登場してクイズに答え、会場の四人のゲストが自分の持ち点をかけて正解する政治家を当てるというものです。

 質問は、「かつての三公社五現業の三公社とは何か」。するとどうでしょう。俳優の中尾彬さんと光浦靖子さんは、「井上さんは、元『赤旗』政治部の記者だから知ってるよ」といい、タレントの松尾孝史さんに至っては、「こういう事は共産党に頼るしかない」と言いながら、持ち点を全部かけてしまいました。飯島愛さん以外、四人中三人が私に。責任重大です。

 ところが、電電公社と専売公社はすぐに浮かびましたが、もう一つが出てきません。正解は国鉄です。あ、そうだと思っても後の祭り。「ブ〜」。司会の古館一郎さんが「井上さんが大番狂わせ。まっとうな推理でしたが、裏切られました」と大声で叫ぶのを聞いて、テレビの前で汗をかきました。

 それにしても、改めて「赤旗」と日本共産党に寄せられる信頼の大きさを感じました。クイズではその信頼を裏切りましたが、国会活動では絶対に裏切ることなく、がんばりぬきます。ゲストのみなさん、すいませんでした。

>> 関連記事「『クイズ赤恥青恥』に出演」


黄金の繭の糸


展示された黄金繭などを見る(左から)穀田、西山、井上の各議員


 
 

 臨時国会の開会日の十八日、本会議の合間を縫って、国会の隣の憲政記念館で開かれた「日本の絹・丹後ちりめんを考える国会議員の会」の第一回研究会、「丹後の歩みと職人の技と願い」を西山とき子、穀田恵二両議員と三人そろって訪れました。

 会場には「ベンチャーアミノ 21 シルクの会」のみなさんにより、着物や反物などが展示されていましたが、ひときわ目を引いたのが「黄金繭の糸」です。「会」のみなさんは京都工芸繊維大学の協力を得て創造的な絹織物の素材や製品開発を進めておられますが、その一つである黄金色の繭からできる糸は輝くような美しさです。穀田さんの夫人で、染色家である、こくたせいこさんもこの糸を使っておられ、色ののりもずいぶん違うと、ひとしきり話が咲きました。

 また、国内産生糸使用と海外産生糸使用の二種類の「丹後ちりめん」が展示してあり、手に触れることもできました。国内産生糸使用のものはなんともいえぬ「はり」があり、その風合いの差を改めて確かめることができました。「世界に誇れる日本の伝統文化の灯を守り抜き、後世に引き継いでいく事が、私たち丹後地場産業の使命であると考えています」という、「会」の代表の三浦艶子さんの言葉には、ずっしりとした重みがありました。

(2002 年 10 月 27 日「京都民報」)


デモの先頭に立って

 

 臨時国会の初日に行われた小泉総理の所信表明演説。中身も無ければ、元気も無いものでした。何しろ内閣改造をしたばかりなのに早速、大島農水大臣の口聞き疑惑が発覚し、「竹中ショック」で株価は 19 年ぶりの安値を更新。誕生したとたんに、行き詰まりが浮き彫りになった小泉改造内閣です。

 その中で、総理が「自信と希望を持とう」とあげたのがノーベル賞のダブル受賞。議場には、「政府が何をしたんだ」と野次が飛びました。政府が自らの政策で国民に希望を語ることができないこと自体、失格といわなければなりません。

 こんな政治を変えよう、という国民の運動は次々と国会に押し寄せています。初日の昼休みには今国会第一号の請願デモを激励。21 日には、新潟市内で開かれた「STOP! 有事法制、いかそう平和憲法 10 ・21 新潟県集会」に参加しました。立場の違いを越えて労組・民主団体が一日共闘として開いたもの。雨の中でしたが、市役所前の広場を埋め尽くすたくさんの参加でした。市民団体や宗教者とともに、私も社民党の参院議員と並んで挨拶。他党の国会議員と並んでデモの先頭に立つのは初めての経験でした。

 22 日夜の日比谷の中央集会には 3000 人が参加し、「守れ暮らし、許すなイラク攻撃」の唱和が響き渡りました。圧巻だったのは、23 日の日弁連による有事法制の廃案を求める国会請願パレード。全国から九百人をこえる弁護士さんが参加されました。

 通常国会では有事三法案やメディア規制法案の成立を許さなかった国民の世論と運動後から。いっそうスクラムを強めて、がんばりぬきます。

(2002 年 10 月 24 日「赤旗」)


中東から見えた日本と日本共産党

 
エジプト・ルクソールの王家の谷で

 参議院調査団の一員として八月二十五日から九月七日まで、トルコ、シリア、レバノン、エジプト、イギリスを訪問してきました。二週間で会談した要人は、シリアとレバノンの両首相や各国の外相、国会議長、宗教指導者など十八人に及びました。

 遠き中東から見えた日本の姿はどうだったか。まず、世界中の国々がアメリカのイラク攻撃に次々と反対を表明している中、アメリカの姿勢に「理解」を示し、イラク攻撃に「ノー」と言えないという世界の流れから孤立した姿です。中東各国の要人も「イラク攻撃に反対。攻撃はアラブ地域全体に想像できないような否定的影響を与え、テロの口実にもなる」(シリア・ミロ首相)。「大国が力で他国の政権を倒すような悪しき前例を作ってはならない」(エジプト・スルール人民議会議長)とすべて反対の立場でした。

 同時に見えてきたのは、日本が期待されている役割。どの国の要人の会談でも「ヒロシマ・ナガサキで大変な被害を受け、復興した国」と日本への好意が示され、中東和平で積極的役割を果たしてほしいという声が出されました。

 中東で会った日本人の日本共産党への見方も二つ。ある国の日本大使は「井上さんは赤旗記者だったそうですね。外務省では赤旗を読まないと仕事ができないといわれていました」と挨拶され、びっくりしました。また、中東に駐在している商社マンからは、前日の中国での不破さんの学術講演のことを衛星テレビのニュースで見て「共産党は市場経済を認めるのですか」との質問。「レーニンも市場経済を通じて社会主義へという路線を進めていたのですよ」と答えると驚いていました。日本共産党への新たな注目を実感しました。

(「京都第一法律事務所日本共産党後援会ニュース」より)


イスラムの地で平和の対話

 
イスタンブールでタシュ氏(左)と平和問題について懇談する井上哲士議員=26 日

 成田空港を出て十二時間半。二十五日の夜にイスタンブールに到着しました。 参議院の海外調査団の一員として九月七日までの二週間、トルコ、シリア、レバノン、エジプトとイギリスを訪問しています。テーマは「中東諸国におけるイスラムの政治、経済、社会及び文化に関する実情調査」。団員は、参院国際問題調査会の与野党の六人です。

 二十六日の午前中、イスタンブール県担当宗教指導者のタシュ氏と懇談しました。タシュさんは、ヒロシマ・ナガサキの悲劇を毎年共感しているとし、「人間の心の中にある悪魔的なものをコントロールしなければ再び起きる」とのべて宗教・信仰の重要さを強調。同時に、同時多発テロをおこしたイスラム原理主義について「イスラムが内包する共存の精神とは相容れない」とのべ「宗教が異なることはマイナスではない。人類の豊かさと考えるべき。宗教間の対話なしに世界平和はない」と語られました(写真)

 イスタンブールはアジアとヨーロッパの接点にあり、ローマ帝国やオスマントルコの首都として栄えた歴史都市。町中に様々な時代の文化財があり、イスラム教の巨大なモスクは人々であふれていました。

 これから二週間、イスラムの国々とどう理解と友好深めていくのか、アメリカのイランへ攻撃に世界から反発の声が広がる中、中東諸国がどのような思いを持っているのかなど、おおいに対話・調査を進めてきます。

 毎日の調査の様子や感想は私のホームページで(http://www.inoue‐satoshi.com)。パソコンを持参し、毎日、現地から更新しています。(八月二十七日、イスタンブールにて)

(2002 年 8 月 29 日付け しんぶん赤旗)


真っ黒なお弁当箱

 
 
 

 お盆に広島へ帰省した時に、小二の娘を初めて原爆資料館に連れて行きました。「平和のための京都の戦争展」で、原爆の展示を少し見たことがある娘は、「怖いから嫌だ」と言っていましたが、「怖いけど、本当にあったこと。お父さんもお母さん、二度とあんなことが起こらないようがんばっているんだよ」と話すと見る気になったようです。

 一番見せたかったのは弁当箱の展示。最近、妻が借りてきた「真っ黒な弁当箱」という児童書に出てくるものです。母親が作ってくれたお弁当を楽しみにしながら、勤労動員先で被爆死した息子。母親が見つけたなきがらは食べられなかった弁当箱を抱きかかえるようにしていた。その中は原爆で真っ黒にこげていた。実際のあった話です。その弁当箱が展示してあります。「ほら、あの弁当箱だよ」と声をかけると、じっと見つめていた娘。平和の意味を感じ取ったのでしょうか。

 焼け野原になった広島の町の展示には「二度とこの様な非人道的な兵器を許さないために、広島はヒロシマに変わった」と解説文が添えてありました。ヒロシマの心を伝えたい。もう少し娘が大きくなれば、また行きたいと思っています。

(2002 年 8 月 25 日付け京都民報)


一歩も引かぬたたかいを受け継いで

 
 
 

 7 月 29 日は参院議員当選 1 周年の日。国会は最終盤で、朝から京都と東京の間を 1 往復半するあわただしい日になりました。

 夜は、京都市内で開かれた「杉之原寿一先生の労に謝する会」に出席してあいさつ。部落問題研究所の理事長を 13 年間も務められ、今年、顧問になられた杉之原先生は、部落問題での理論的な柱として活躍されてきました。先生があいさつの中で、部落解放同盟の妨害を避けるために講演会場の一つ前の駅で降りて、車で会場の裏口から入ったことなども紹介され、「彼らは暴力団と一緒で、一歩でも下がればそこにつけこんでくる。一歩もひかない思いでやってきた」と語られたことは大変印象的でした。

そして、「今日はたくさんのお褒めの言葉をいただいたが、それにふさわしい者になれるように精進する」とも述べられました。一歩も引かない生き方をしてきて、79 歳にして、なお精進とは――頭が下がりました。

「一歩でも引けば、つけこんでくる」のは自民党政治も同じ。一歩も引かぬたたかいを受け継ぎながら、日々、精進する―― 2 年目の誓いを新たにしました。(8 月 4 日付け京都民報)


公衆電話と口利き政治

 
 
 

「あの議員は、まるで公衆電話みたいだ」――昔、こんな言葉を聞いたことがあります。誰の話でも聞いてくれる、という意味かと思いきや、まったく逆。「先にお金を入れないと、話ができない」という意味だと聞いて、うまいことを言うものだと大笑いしました。

 しかし、これは、自民党の体質なのだと、最近つくづく思います。

 参院倫理選挙特別委員会で二十八日、あっせん利得処罰法改正案の質問に立ちました。この法は、政治家が公共事業などの口利きの見返りにわいろをもらうことを処罰するもの。与党の議員立法で一昨年、作られましたが、抜け道だらけで、連続した口利き疑惑にも役に立たず、ざる法だと批判されてきました。

 余りの批判の強さに、与党は、私設秘書を処罰対象に加えるというだけの改正案を出してきましたが、野党はそれにとどまらず、抜本的に強化する対案を共同で提案しています。

 私は、質問で、口利きの対価でわいろをもらっても、政党支部に献金として入れてしまえば、この法律では処罰されないという抜け道を追及。野党改正案を取り入れ、政党など第三者が見返りを受け取っても処罰できるようにせよと迫りました。

 ところが、自民党は、野党案のように法律を強化すると国民の要求をくみ上げる政治活動の自由が妨げられるというのです。冗談じゃない。野党案は政治活動は自由であり、その見返りでお金をもらうことを規制するものです。これが困るという自民党の本音は「見返りでわいろをもらわないような政治活動は考えられない」ということなのです。まさに、「公衆電話」状態です。(2002 年 7 月 2 日)


W 杯成功へ。国会から




 
 

 日韓そろって決勝トーナメントに進出したサッカーワールドカップに日本中が沸いています。私も、W 杯推進議員連盟に所属し、大会成功に政治の場から貢献してきました。

 一つはフーリガン対策。私の所属する法務委員会で出入国管理法を改正し、国際的な協力も得て、悪質なフーリガンの入国を拒否できるようにしました。これも力になり、心配された騒動は今のところおきていません。

 もう一つは、大会を盛り上げる国会議員チーム同士の親善試合への出場。昨年は韓国チームと、開会後は 1 日にイングランド、11 日にロシアとの試合に出場しました。結果はいずれも敗戦。とりわけ代表戦の敗戦の雪辱に燃えるロシアとの試合は 11 対 0 のボロ負けでしたが、それも友好は大いに深まりました。

 一方、許しがたいのは国会での与党の暴挙です。日本の決勝トーナメント進出決定でニュースが持ちきりになる 14 日にあわせて健保改悪法案の委員会強行採決。そのうえ、悪法が成立しないからと会期延長。負けそうだからと試合時間をのばすようなスポーツがあるでしょうか。とことんルール違反の小泉政権にレッドカード!(2002/06/23 付「京都民報」)


表現の自由が危ない


5 月 2 日、メディア規制法案をめぐり在京都マスメディア関係者と懇談する井上氏
 
 
 

 「私の親も新聞記者だった。戦争中は、社内ではみんな嘘とわかっていても大本営発表を書かざるをえなかった」――ある全国紙の支局長はこう語りました。メディア規制など大問題を持つ人権擁護法案の質問準備のため、京都にある新聞・テレビの本社や支局を訪問して、局長さんたちにお話を聞きました。その時に聞いた言葉です。

 当選後の挨拶などで訪問したことはありますが、こうした課題で懇談するのは初めてのこと。それぞれ、「こんな法案を許したら民主主義の恥」「戦後五十年かけて築いてきた民主主義を台無しにしてしまう」など、表現の自由と民主主義への思いが語られました。また、日野小での少年殺人事件の時に過剰取材の是正のために地元の代表と報道側が話し合いを持ったことなど、メディアの側の努力もあげて、「我々にも反省すべき点はある。しかし、あくまで自主的な解決を進めるべきで、行政権力が規制する法律を作ること別次元の問題だ」と共通した強い意見が出されました。

「有事法制と関連して考えると恐ろしい」との声も出されました。実際、七日から始まった有事法制の委員会審議では、日本共産党の志位委員長の質問の中で、この法律が「戦争反対」という内心の自由にまで踏み込み、戦争非協力者を犯罪者としてしまうものであることも浮き彫りになりました。

 悪法目白押しの終盤国会。一方、金権政治と国民との矛盾も広がるばかり。共同を広げてがんばりぬきます。(2002/5/7 付け赤旗関西版)


初めての本会議質問


本会議質問を報道する各紙
 
 
 

 初めての本会議質問となった四月二十四日の人権擁護法案への質問。メディア規制の問題にマスコミも注目し、特に、当日の「ニュースステーション」が長い時間、放映しました。すると、当日の夜から、「テレビ見たよ」「落ち着いてよかった」と激励のメールや電話が届き、メーデー会場でも会う人ごとに声をかけられました。やはり、テレビの影響力はすごいものです。

 質問時間は十分間。法案の問題を浮き彫りにしつつ、党の立場もわかりやすく示すためにどうするか――事務所で論議したうえで原稿を書き、国対や政策委員会、関係部局にも見てもらいます。たくさんのアドバイスや意見をもらって何度も書き直すうちに、わかりやすく、鋭いものになっていきます。こうして原稿が完成したのは前日の夜でした。

 何度か読んでみて、これでよし、と当日の朝を迎えました。ところが、急遽、大阪高等検察庁の元公安部長逮捕について法相をただすことに。大急ぎで質問を付け加え、その分、他を削らねばなりません。本会議場内で原稿を仕上げて、登壇。粘りと英知の結晶があの質問でした。

 「わが診療所のナースはみんな井上議員の保護者気分…もう自分が育てたような気分」そんなメールももらいました。送り出してくださった皆さんにも、一緒に質問を練り上げていただいた皆さんにも、感謝、感謝です。(2002/5/12 付け京都民報)

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