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若者に雇用をの声 国会へ

国会要請の青年たちとともに

 「若者に仕事を」「人間らしく働きたい」との国会要請行動に参加した若者たちと十三日、議員会館で懇談しました。前日に都内で千 四百人の集会を成功させた皆さんによる行動です。十一月には京都の若者たちと一緒に政府交渉も行いましたが、この間の取り組みが着実に情勢を動かしている ことを実感します。

 臨時国会では、「経済・産業・雇用調査会」で二度に わたり若者の雇用で質問しました。一つは、経済産業省の「新産業創造戦略」について。 この「戦略」は、日本のもの作り産業が持っている強みを強調すると ともに、産業人材の育成の遅れからわが国産業の空洞化が進む恐れがあると述べています。

 そこで私は、「派遣労働や請負の増加は、日本のもの 作りの強みに逆行するのではないか」と質問。これにたいし、経産省の局長は「派遣ではもの作りの強さは出ない」「リストラの時代にコストだけを考えて派遣 を増やしたのは、これからの国際競争力を考えて強い製造業を作るためにマイナス。むしろ終身雇用にもどすべき」と明言しました。

 もう一つは、国際的調査で、「気楽に暮らしたいので正 職につきたくない」と答えた青年が、アメリカ五七・九%、中国六七・六%、韓国二九・〇%に比べ、日本は一五・七%と格段に少ないことをあげ、「働く意欲はある。むし ろ雇う側への対策が不十分ではないか」ただしました。厚労省の局長は「真剣にいい仕事をしてい きたいと思っている方の方が圧倒的に多いのは、そのとおり」と認めました。

 日本経済の未来からも、若者の雇用に大企業の責任を 果たさせるべきだという政策にこそ道理があることが浮き彫りになってきています。来年こそこの政策を実らせ、希望拓く年に!

(しんぶん赤旗 関西版 2004 年 12 月 15 日付け)


豊岡から、長岡、小千谷へ

 泥だらけになった家の前にうずたかく積まれた電気製品やゴミの山。余震の恐怖で自宅に戻れず、車の中ですごす人々……。二十三日には台風被害の養父市と豊岡市へ、二十四日には新潟中越地震の長岡市、小千谷市に入りました。すさまじい光景でした。

 新潟での大地震のニュースが入ったのは、豊岡からの帰りの車の中、直ちに国対事務局と連絡を取り、翌朝、伊丹空港から空路で新潟に行き、そこから車で現地に入りました。 ひび割れた道を通って小千谷市に入り、まず目を引いたのは墓場の様子。墓石が飛び散らかっています。阪神大震災のときにも墓石がずれたり、倒れたりしましたが、こんな光景はありませんでした。

 こんな激しい揺れですから、倒壊を免れた家も中はめちゃくちゃ。私がいる時も、震度五の余震がありましたが、足元からドンと突き上げる揺れ。怖くて家の中にとても戻れません。

 豊岡でも小千谷でも地元市議さんの案内で被災地の方々を訪ねて、お話を聞きました。「水に浸かり売り物にならないカバンの処理費用などとても出せない。市で負担してほしい」(豊岡)「朝から家族でコッペパン一個。避難所にいっても毛布一枚支給されない」(小千谷)――被災者の皆さんから次々と寄せられた要望はすぐに市や政府に伝え、対策を求めました。

 翌二十五日、志位委員長とともに新宿駅で救援カンパに立つと、道行く人が次々と応じてくださいました。緊急の救援や被災者対策とともに、暮らしと産業の再生への希望をもてる温かい手を差し伸べることが必要。政治が問われています。

(しんぶん赤旗 関西版 2004 年 11 月 3 日付け)


広島・長崎の火

日本庭園にある石灯籠の中に灯された「広島・長崎の火」の前で
上野東照宮の境内にある「広島・長崎の火」の前で

 「広島・長崎の火」は赤道を越え、南半球の国で平和の願いを燃やしつづけていました。

 「参議院ニュージーランド国会公式招待訪問団」の一員として十二日から十七日まで同国を訪問しました。私の一番の関心は、この国の徹底した非核政策。特に希望して首都ウェリントン市内の平和公園にある「広島・長崎の火」を訪問しました。

 この火は、広島の被爆兵が被爆地から故郷の福岡県星野村へ持ち帰った火と、長崎の被爆瓦から摩擦でおこした火が上野東照宮の境内で一つにされ、永遠に平和を誓って燃やされ続けてきたもの。十年前にこの火が上野東照宮の宮司とウェリントン市長により同市に灯されました。

 私は様々な会談のなかで、自分が広島育ちであることも紹介し、同国の非核政策に敬意を表しました。ハント国会議長は、「私は最初の選挙のときから核兵器廃絶を土台にして訴えてきた。」と述べられました。国会の外交・防衛・貿易委員長のピーター・ダン議員は「時折、非核政策見直しの意見がでるが、そのたびに国民から反対の声があがり、拒否されてきた。」とはっきり述べられました。

 会談のなかで、「わが国は、人口六百万の小さな国」という前置きを何度も聞きました。しかし、そこには、小さな国であっても非核政策をつらぬき、存在感を示している国の誇りがあります。

 同国は、イラク戦争に反対しつつも「復興支援」には軍を派遣していましたが、九月末の期限を前倒しして撤退を決めました。その理由を「技術援助などで派遣したが、結局アメリカの政策の中であり、正当化につながりかねない」と語られました。明快です。


新京都コンビが始動

新京都コンビの誕生。(左は井上参院国対委員長、右は穀田国対委員長)

 参院選挙後の体制で、新たに参議院国会対策委員長を務めることになりました。新米の国対委員長として責任の重さをずっしりと感じながらのぞんだ臨時国会は、他会派との折衝、議員団会議の運営などなど、嵐のような日々でした。

 一番の仕事は参院の運営の民主的改善を求めた行動。日本共産党は九議席に後退しましたが、参議院では、十人未満の会派は、本会議の質問は事実上年二回しかできず、院の運営の要である議院運営委員会にも入れないという運営が続いてきました。

 日本共産党はこうした少数会派排除をやめるよういっかんして主張してきましたが、議会制民主主義の根幹にかかわる問題として改めて強く要請。参院議長に対する三度の申入れをはじめ、議院運営委員長や他会派に対する要請など、連日行動しました。今国会では突破できませんでしたが、粘り強く改善を迫ります。

 もう一つは「国民の苦難あるところ議員団あり」の活動です。各地の豪雨被害では、直ちに議員団に対策本部を設置し調査団を派遣。衆参で災害対策特別委員会が開かれましたが、住民とともに復旧活動に泥まみれになってきた地方議員団と結び、具体的な要求を示して迫った党議員の質問は他党を圧倒しました。草の根のたたかいと結んだ国会活動こそ、新しい前進の土台だと痛感しています。

 かつて、寺前巌国対委員長、神谷信之助参院国対委員長の京都コンビで国対を務められました。先輩のたたかいに学びながら、今度は穀田恵二国対委員長との新・京都コンビでがんばります。

(しんぶん赤旗 関西版 2004 年 8 月 13 日付け)


破産法案可決の力

全建総連の国会内での集会で報告する井上参院議員(4月18日)

 企業が破産したときの労働債権の保護を前進させる破産法案が九日、参院本会議で可決しました。私も、法務委員会で二年前から求めてきたもので大きな前進です。

 この問題に取り組むきっかけは、二〇〇一年暮れの京都総評の幹部の皆さんとの懇談会。私が法務委員会に所属したことを知ると、「倒産した時に、未払いの税金や社会保険料が未払い賃金や退職金に優先して回収されるので、労働者に回ってこないケースで困っている。法改正に取り組んでほしい」という要請でした。

 早速、化学一般や合同繊維、JMIU の各労組に資料をもらい、翌年の法務委員会で質問。例としてあげたのが破産した京都の運送会社です。破産財団の現状は預金通帳に残る三百七十一万円なのに対し、税金などの未払いは二百九万円。労働債権は千二百二十八万円あるのに、税金が優先されるとほとんど残らない態を示し、法相から、「非常に重要な課題。見直し作業中」と答弁を引き出しました。それから二年たって今回の改正案が出され、債権の優先順位を手直しすることにより、労働債権の保護を前進させることになりました。

 建築現場で請負の形で仕事をしていても、実態は労働者の皆さんの賃金も労働債権として確保されます。十二日には全建総連の国会内での集会で報告し、喜んでいただきました。

(京都民報 2004 年 4 月 18 日付け)


意義ある裁判員制度を

参議院法務委員会で質問する井上議員
 

 あなたも裁判員になり、裁判所で判決を下す――そんな裁判員制度の法案がいよいよ審議に入りました。司法制度改革の締めくくりとなる今国会には関連法案が十本も出ていますが、その中でも最大の注目がこの裁判員法案です。

 司法に国民が参加し、裁判に国民の声を反映させるこの制度は大きな意義を持っています。ところが法案では、職業裁判官三人に対して裁判員六人。私は十六日の参院法務委員会での大臣所信にたいする質問で、「裁判官の前で萎縮せずに意見を言えるためには、裁判員の人数は裁判官の三倍以上必要だ」と、模擬裁判での実例も示して迫りました。

 さらに問題なのは、同時に提案された刑事訴訟法改正案。これまで最大二十三日も被告人の身柄を拘束して密室で取り調べが行われ、自白の強要による冤罪を生んできた、「人質司法」といわれる問題点はそのまま。その上、「開示された証拠の目的外使用の禁止」など、弁護活動や支援運動を大きくしばる条項が盛り込まれました。私は、法相に「これでは改革からの逆行だ」と改悪条項の撤回を要求しました。

 これから毎週、二〜三回の質問が続きそうですが、司法制度改革の正念場にふさわしく、がんばりぬきます。

(京都民報 2004 年 3 月 21 日付け)


国対、議運で緊張の連続

参院議院運営委員会理事会に出席する井上議員
 

 前回のこの欄で、通常国会での議員団の体制で新たな分野を担当し、責任重大だと決意を書きました。ところがそれにとどまらず、このほど、参院国対副委員長、議院運営委員会理事になり、毎日の活動が大きく変わりました。

まず国会対策委員会。開会中は月曜から金曜まで毎朝九時半から、通称「朝国」とよばれる会議があります。さらに他党との対応や論戦、法案審査などの会議もしょっちゅう。

 議運理事会は本会議の開催をはじめ議会運営の様々な問題を決めるので、与野党対決が激しくなると一日中拘束となります。イラク派兵承認案の質疑をおこなう参院本会議の開催についての協議は、朝十時から何度も開いてはすぐに休憩し、最後は夜の十一時四十分でした。また、本会議での質疑の際、答弁漏れがあれば直ちに演壇の横に上がり、再答弁を求めるのも議運理事の大事な役割。わが党の質問への答弁の時には、答弁漏れがないか質問原稿をにらみながら聞かなくてはならず、実に緊張します。

 国対の一員となって、想像以上だったのが穀田国対委員長の超多忙さ。他党とわたりあいながら、様々な重大問題に次々と決済を下し、息つく間もありません。力合わせてがんばります。

(京都民報 2004 年 2 月 22 日付け)


巨悪は眠らせない


金権・腐敗政治追及委員会の第 1 回会合に出席する(左から)井上参院議員と佐々木、穀田両衆院議員
 
 

 19 日から始まる通常国会を前に党議員団の新しい体制が決まりました。私は、新たに参院憲法問題調査会にも所属することになり、党議員団の法務部会長、金権・腐敗政治追及委員会事務局長に就任しました。いずれも重責であり、大変、緊張しています。

 金権・腐敗政治追及委員会は、ロッキード事件から鈴木ムネオ事件まで、抜群の調査力と鋭い追及で数々の実績を上げてきた伝統ある委員会。新任の責任者となった佐々木憲昭衆院議員とコンビになります。

先日、早速第一回の会合を開き、今国会での重点課題について論議。最大の問題は道路公団にからむ利権疑惑です。公団の藤井前総裁が昨年、石原大臣との会談の中で自民党の青木参院幹事長の実名をあげて公団への介入を明らかにしましたが、年明けには工事関連企業から青木氏への違法献金も次々と報道されています。

 鳴り物入りの道路公団改革が結局は、ムダな道路も計画通り作り続け、その付けを国民に回す仕組みにすぎないことがハッキリしました。その背後にある利権構造にこそメスをいれなければなりません。「巨悪は眠らせない」――全力でがんばります。

(京都民報 2004 年 1 月 18 日付け)

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