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井上哲士ONLINE
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2002 年 11 月 6 日

国際問題調査会
中東派遣についての報告と懇談

  • 中東への派遣で、各国首脳からイラク攻撃反対の共通の声が出され、被爆体験を持つ日本への親しみの気持ちや期待が強いことを報告。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 調査会での一年間にわたるイスラムの勉強を踏まえて、しかもアメリカのイラク攻撃問題が国際的な焦点となっているときに、大変時宜にかなった充実した調査ができたと思っております。

 与野党六人で和気あいあいと調査活動をいたしまして、まとめていただいた関谷団長、また一緒に参加した同僚議員の皆さん、事務局の皆さんに改めて感謝をしたいと思います。

 また、現地で大変歓迎をされたというのも御報告をしておきたいことでありまして、この種のものはキャンセルになることも結構あるかと思うんですが、例えば、シリアでは、当初は副首相と会うはずだったのが急遽首相が会いたいということになったり、エジプトでも次々と要人の会談が前日、前々日にセットをされるということで、大変日本の政治家と会いたいという熱意を感じましたし、逆に言いますと、まだまだ訪問が少ないということの裏返しかなとも思いましたけれども、そういう点で、大変充実した調査ができたかと思っております。

 幾つか私自身が印象に残ったことについて述べさしていただきます。

 一つは、それぞれ今ありましたけれども、アメリカのイラク攻撃計画に対する中東各国の反対論の強さでありました。訪問した国の中には、湾岸戦争のときには多国籍軍に加わった国もあったわけでありますが、そこも含めて、それぞれが反対を表明をされました。幾つか共通をする声がありましたけれども、一つは、やはり中東に及ぼす影響が非常に大きい。シリアのミロ首相は、否定的な影響は、イラクのみならず中東地域の安定に悪い影響を及ぼし、テロリストの活動を引き起こしてしまうだろうと、こう述べられました。

 二つ目は、外国が力によって政権転覆をさせるというあしき前例を許してはならない、こういう言葉でもありました。エジプトのスルール人民議会の議長は、サダム・フセインは確かに独裁者であるが、米国の力によってフセインを攻撃することが許されるのか、私はフセインには反対するが、米国のイラク攻撃にも反対すると、こういうふうに述べられました。

 それから三つ目は、やはり共通をして、国連決議の遵守という声でありました。先ほど、現状への失望ということも出されましたけれども、それと裏腹のやはり期待もあるわけでありまして、レバノンのハンムート外相は、世界の平和の維持のためには国際法、国際的な決議を誠実に守ることである、異なった基準、ダブルスタンダードはよくないと、こういうことを言われました。

 それから、二つ目に感じた、印象に残った問題は、そういう中で、日本がどのように親しまれ、何を期待をされているのかということでありました。政治家のみならず、国民的なレベルで非常に親近感が強いというのが印象でありました。

 その中で、私自身でいいますと、私が広島で育ったということもありまして、何人かの要人が広島、長崎について述べられたということが大変印象的でありました。例えばイスタンブール県の宗教指導者のタシュさんは、日本は自分の国のように近い存在と思える、なぜなら我々は五十七年前の広島、長崎の悲しみの感情を共有するからであると、こう言われましたし、シリアのカッドゥーラ人民議会議長は、第二次大戦では最後の段階で広島、長崎の被爆という悲劇を経験された、しかし、大戦後は他の国民に有益なものを作ること、発明に努力をされた、日本は力ではなく合理性に基づいて国際関係を築いておられると、こう言われました。また、同じくシリアのアッタール元文化大臣は、シリアは感受性が強い国民である、余り教養のない人でも広島、長崎について同情を禁じ得ない人は多い、私は広島に行って深い印象を受けた、私たちが受けている状況からして広島、長崎は遠い存在でないと、こういうふうに言われました。

 私たち日本人が思う以上に中東の皆さんが広島、長崎と、そして中東の現状などを重ね合わせながら親しみを持っていらっしゃるということは大変印象的でありました。

 こういう立場を生かして、今日の中東和平の問題とかイラク攻撃の問題で、日本がやはり大きな立場を、役割を果たすことが必要ではないかということを感じました。

 それから三つ目は、イスラム国家の多様性、そしてイスラム教の寛容さということが、言葉ではなく実感として分かったということであります。一口にイスラム国家と言っても、宗教や政治、社会とのかかわり方がそれぞれ違うということはこの一年間勉強してきたわけでありますが、やはり現地に行きますと大変実感をいたしました。

 トルコは完全な宗教分離がされておりまして、逆にイスラム教の服装で国の公の施設には入ってはならないというところまでやられておりました。シリアとレバノンは大変共通する国でありまして、陸続きで国境も渡りましたけれども、シリア国内では英語の看板というのはほとんど見ることはありませんでしたが、国境を越えますとたくさんあるであるとか、大変文化状況も違っておりました。

 それから、今も御報告あったように、イスラム教が寛容で他の宗教と共存をできるということは、言葉としてもありましたけれども、私自身はいろんな宗教施設を視察をする中でそのことを感じました。

 例えば、あのシリアのウマイヤド・モスクというのを見ましたけれども、これは四世紀時代にはキリスト教のセント・ヨハネの教会堂でしたけれども、七世紀にイスラム教がダマスカスに入城をして、しばらくの間はこのキリスト教の教会の一部を間借りをしてイスラム教徒の皆さんが祈りの場としておられた。その後、イスラム教徒が買い取って今はモスクに改造をされているわけでありますが、その中にセント・ヨハネの首が今も納められている墓もありました。

 それから、トルコのアヤ・ソフィアも見ましたけれども、これは六世紀に建てられたキリスト教の大本山で、当時は内部の壁に様々なキリストやその家族などのモザイク画がかかれておりました。十五世紀にオスマン・トルコに接収されてモスクになって、その際に内部が全部しっくいで固められたわけでありますが、最近それが発見をされたということで、ここを博物館にして、しっくいを外して昔のキリスト教の教会時代のモザイク絵を見れるようにするという工事も行われておりました。

 アフガニスタンでのあの仏像の爆破というような映像を見ておりますと、大変イスラム教が他の宗教に対して非常に非寛容な印象を我々持つわけでありますけれども、実際には、いろんなこういう宗教施設も含めて、いろいろと共存をしているという歴史を見ることは大変有意義だったかと思います。

 最後に、歴史と文化の多様さをお互いに認め合い、その中で共存をしていくということは今調査会のテーマでありましたが、大変その必要性も実感をいたしました。よく日本では何でもまくら言葉にグローバルスタンダードという言葉が今聞かれるわけでありますが、あちらに行ってそういう言葉を聞くことはありませんで、むしろそれはアメリカンスタンダードとして理解をされている。それぞれ歴史も文化も社会風俗も政治も違う。それを認め合うことが必要であり、特定の国のやり方を押し付けるということが矛盾を負い、いろんなやっぱり中東の反米感情の根元にあるのではないかということも見ることができました。

 以上、私の印象を述べさしていただきました。


 …略…

井上哲士君

 お手元の会談記録の十五ページのところにやり取りがあるんですが、質疑で書いてあるのは、実は私質問したんです。もう少し、実は吉田先生が言われたように、確かにその目的は自己の生命、土地、財産を守ることであっても、手段としてああいう自爆テロなどになると、これはやっぱりテロと区別付かないんじゃないかという質問を私実はしたんです。そうしますと、答えとしては繰り返しでありまして、そこにありますように、そのジハードとテロの基本的区別ということを繰り返されましたので、手段としてどうなのかということには明確なお答えはなかったなというのが印象でありました。

 ただ、この方自身は宗教指導者でありまして、全体としてはこれは宗教指導者の方は、ああいう行われたようなことについては大体否定的なことを言われていたとは思うんですが、ここについてはそういうやり取りだったかと思います。


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