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2006年3月28日(火)

文教科学委員会
「義務教育費国庫負担削減の法案」について(参考人質疑)

  • 参考人の陰山氏と穂坂氏が、いい教育のためには教員を増やすことが必要であり、そのためにも義務教育費国庫負担を削減すべきでないと強調する。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は三人の参考人の皆さん、本当にありがとうございます。

 まず、吉田参考人と穂坂参考人にお聞きをいたします。

 今回のいわゆる義務教育費の国庫負担金の削減問題というのは、当初、むしろ地方の声だということで進められました。地方案を尊重するということを総理はかなり強調してやってきたわけですが、実際上、議論の中でいいますと、地方議会の約六五%がむしろ堅持をすべきだという声を上げたということになりまして、一体何が地方の声だったんだろうかという議論もあったわけですが、それぞれのお立場から、この辺の経緯、特に穂坂参考人には、市長もされていたわけですから、現場の地方自治体のお立場からどうだったのかということをそれぞれお願いをしたいと思います。

参考人(吉田和男君)

 実際、詰めが行われた段階の話はちょっと聞いておりませんが、地方分権改革推進会議で三位一体の改革を行うべきだと、それから、その中で義務教育国庫負担金に関しては定額制、それから交付税化、それから一般財源化というふうな方向で検討すべきというふうな御提案をして、それを経済財政諮問会議で引き継いで、四兆円の補助金カットと三兆円の税源配分ということになったわけであります。そこで、具体的に中身ということで地方六団体が案をまとめられたと。

 今おっしゃられたように、地方の、地方全体の意思決定機関というのはないわけですね。したがって、その六団体の知事なり、まあこれは穂坂さんに聞いていただければいいと思うんですが、その首長たちが集まってある意味ぎりぎりの案を出されたと思うわけです。同時に、中央政府の、霞が関の方でもこれを受け止めてその対応をということになって、結局、最終的に二分の一から三分の一になったということであるわけです。

 したがって、我々、我々といいますか、私の立場からいいますと、この補助率が下げられたことは第一段階。第二段階で是非また次の議論をしていただきたいというふうに思うわけです。

参考人(穂坂邦夫君)

 全体的には、地方の声には二つあると思うんですね。都道府県の声と市町村の声が二つある。ですから、市町村の方は、直接税はありませんから余り今回の税源移譲はぴんと来ていないんですね。なぜかというと、県と国との関係になっちゃいますから、実施主体は余り関係ないんですね。ですから、そういうことで多少違うというふうに思います。これが一点です。

 それからもう一点は、税源移譲、要するに地方分権は絶対必要だと思っています。徹底してもっともっとやらなくちゃいけないと思います。ただ、どこが何をするべきかというあるべき論はきちっとしないと、何だか分からなくなっちゃって、それは困る。冒頭でさっきも言ったように、国がやるべき仕事、都道府県、市町村がやるべき仕事はこれはやっぱり明確にする上で、やっぱりしないと、あるべき姿論がなくなっちゃって、ごちゃごちゃになっちゃうと非常に困るなというふうに思います。

 税源移譲は、やっぱりどうしても財政民主主義の関係からいっても、払ったところからサービスを受けるというのが本来一番いいわけですよね。ですから、そういう意味では、教育なんかもそういうふうにも考えられがちですが、ある意味では、サービス、受けるというのは市町村なんですよ。ですから、そこの真ん中に今度は県が入ったり国が入りますからよく分からないんですよ、住民の皆さんが。

 だから、そういう意味では、財政民主主義のために税源移譲も地方分権も絶対必要だし、しかし、その政策ごとにどこがどういうふうに必要なのかということをやっぱり明確にすべきだというふうに思います。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 陰山参考人にお聞きをいたします。

 現場のお話、本当によく分かりました。私も小学校五年生の娘がおるんですけれども、時々勉強を見てやっているつもりですが、地理などはどんなことを教わっているか知りませんでした。ただ、先ほど、今学校では都道府県の名前を教えないというお話でしたけれども、うちの子は何か全部学校で覚えておりまして、私も仕事柄全国回りますので、すらすらと北海道から沖縄まで挙げますと、大変びっくりしておりまして、久しぶりにおやじの権威が上がったというようなこともあったんですが、多分現場の先生がいろんな独自の取組をされたんだと思うんです。

 先生のところも大変いろんな創意あふれる取組もあるわけですが、よくお話聞きますと、そういうところのお話を聞きますと、だから財源もすべて地方へと、こういうお話になるわけですが、先生はやはりしっかり、給与部分ですね、これはやっぱり国が見るべきだということを先ほど強調されました。

 先ほど教育委員会のお話もあったわけですけれども、やはり教育ということから考えるときに、国、それから地方自治体なら教育委員会、そして現場、それぞれがどこに責任を持ち、どこを現場でもっと工夫できるようにするべきなのか、その辺のあるべき方向について御意見をお聞かせいただきたいと思います。

参考人(陰山英男君)

 今、この義務教育の国庫負担の問題はお金であろうかと思います。ですから、その負担の部分について、まず日本の教職員のやはり士気を絶対に落としてはならない、むしろこれ上げていかなきゃいけないという点で、義務教育の国庫負担は絶対堅持しなければならないということは先ほど申し上げたとおりであります。

 それに付け加えて、そうはいっても、それこそ個人の実は持ち出し部分でやっていると。例えば、原田隆史先生という先生がいらして、陸上で全国大会に何度も全国優勝されたと。この間お話を聞きましたけれども、たまたま御夫婦で教師をされていますから、奥さんの給与で生活をする、自分の給与は全部仕事に使うということをされて、そして実は実績があるんですね。

 ですから、これは何でもそうだと思うんですけれども、必要なものはやはりお金なんです。ただ、これが今国全体の流れの中で非常に苦しくなってきているわけだから、その部分をどのような形で補うのかという、そういう工夫が僕は必要になっているんだろうなと思うわけですね。ですから、NPOなんかの活動というのも非常に重要になってくるだろうと思うわけです。

 ただ、私はもっとそれ以前に、もっとその前にやれることがあるだろうと。つまり、それぞれがそれぞれの立場でプロの仕事をしてほしい。先ほど申し上げたように、報道関係の方はまず本当に学校現場の実態がどうなのかということをきちんと理解をしてほしいと。土堂小学校へ来て百升計算ばっかり映して帰るのもいいんだけど、もうちょっとほかのこともちゃんと報道してよというようなことがありますし、それから保護者の方々にはやっぱり朝御飯ぐらいきちんと食べさせてくださいと。

 隣の小学校の校長先生が、朝御飯きちんと食べさせてくださいという話をされると、どういう答えが返ってきたかというと、土堂小学校のまねをするんですかと。何かい、朝御飯は土堂小学校が始めたんかいと。もうそれは信じられない話が返ってくるわけですね。で、次に何とおっしゃるかといったら、朝御飯を食べさせられない家庭はどうするんですかと。何かもう本当、頭が真っ白になりますね。朝御飯を食べさせられない家庭はどうするんですかって、朝御飯を食べさせられない家庭は朝御飯を食べさせるように努力する、それ以外の答えがあるはずはないわけですよね。朝御飯を食べさせない子育て、それは虐待というんですよ。

 ですから、そういうふうにある一種のそのスタンダードが狂ってきている。それぞれがそれぞれに、それぞれの立場で教育のために何ができるのかということを是非とも考えていただきたい。

 私は、あるテレビマンの方からこんなやり取りをしたことがあります。何か陰山先生、テレビマンに言うことがありますかって言ったときに、自分の出した情報がどのように子供たちに伝わり、それが子供たちが成長するようになるのかという、そのイメージだけ持っておいてくださいねということをお願いしたんです。で、そのテレビマンの方が何て答えられたかというと、考えたこともなかったと言われて、こっちの頭が真っ白になったんですけれどもね。

 やはり自分たちが、一人一人社会を良くする責務があると思うんですね、一人一人が。それは、一人一人が子供や教育に対して責任があると思うわけなんです。それを学校だとか家庭だとかということで、学校は家庭の責任にする、家庭が学校の責任にするということはいけないと思うんです。まず必要なのは、お互いが相手を批判することではなくて反省することだと。日本人の美徳はそうだったでしょうと。だから、きちんと親としてできているの、教師としてちゃんとできているの、そういうふうなことをそれぞれが反省し合うことによってできてくるのではないか。

 まさしく土堂小学校は、とにかくすばらしいなと思ったのは、まず、あの校長自殺事件があったときにPTA会長がこうおっしゃった。我が誇りに思う土堂小学校の子供たちと先生方、もう必ずそのことを呪文のように言われたんですね。そう言われたら教職員の方も背筋伸びますよ。やはり、そういうふうにしてPTA会長としての役割をきちっとなされる。やはりこういうことが必要ではないのかなと。

 ところが、日本の教育というのは、何か問題が起こるとすぐ批判から入るわけですよ。そこが問題だろうと思うんです。どこかでありましたよね、包丁で刺したり何やらしたり。もう例の宮崎勤事件以後、物すごい勢いで映像文化が子供たちに与える悪影響が出ているんだけれども、やはりそれについての規制がないと。規制が問題だというんだったら、せめて自主的にその辺何とかならないのという思いは正直あります。でも、問題が起きると、大体、子供がやったんだからということで校長さんや教育長さんが出てきて、取りあえず謝ればそれで事が済むみたいなところがあるわけですよ。で、重要な問題は次から次へと先送りにされてしまっている。そういうふうなことがあるわけですね。

 先ほども申し上げましたように、いかに子供が百升計算でつまずいたかという本ができると。これもう異常だろうと思うんですよね。この間は、昨年、一生懸命こっちやっているのに、陰山方式で学力は低下したなんていう本がオピニオン誌で書かれるんですよ、非常に、最も著名な教育学の大先生から。もうお願いだから背中の方で切り付けるのやめてくれというのが我々の思いで、要するに批判されても反論している余裕もないわけですよ。目の前の子供を良くするためにもう様々な問題を見て、起きているわけですからね。

 是非とも、批判はやめましょう、反省しましょうと。それぞれがそれぞれでプロの仕事をしましょうということを申し上げたいと思います。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 再び吉田先生と穂坂参考人にお聞きをいたしますけれども、私、実は京大の経済学部と同じ御町内である左京区の吉田本町に住まいをしておりまして、正に京大の小学校区に子供は通っております。それで、五年ほど前に通学中に女の子が車で連れ去られそうになる事件がありまして、そこから非常に、地域でどう子供を守るかということで、最初はPTAの朝の見回りをしていたんですけれども、ちょっとできないということで、地域の皆さんにお願いをして、朝夕登下校時に水やりやったり庭掃除したりと、こういう取組が始まりました。今はかなりのところをやっておるんですけれども、これは実ははしりでありまして、NHKのあの「ご近所の底力」で御紹介をいただきまして大変有名にもなったんですが。非常にそういうことで言いますと、学校自身が地域に支えられているし、またそこを中心としていろんな地域づくりが広がっておりまして、一時期廃れていたあそこの吉田神社の伝統的な行事なんかを子供たちが引き継ぐというようなことも夢広がってきているということがあるわけですし、それがひいては地域の教育力の向上ということにも長い目で見るとつながっていく話だと思うんですね。

 そういう、言わば目先の財政合理主義だけでは測れないような役割をやっぱり学校というものが持っているんじゃないかということを思うわけですが、その辺の学校の位置付けという、地域の中における位置付けということをどうお考えか、吉田参考人、穂坂参考人にそれぞれお願いしたいと思います。

参考人(吉田和男君)

 先ほども申しましたけれども、学校をもっと地域に開いていく、地域が学校を支えていく、そういう仕組みをどうつくっていくかというのが今後の課題ということになるわけですが、これもまた悩ましい問題があるわけでして、先ほど申しましたように京都でも学校の統合が進んでいるわけでして、廃校になるということになるわけですね。これは小学生人口が減少している、特に町中ではその減り方が激しいということになるわけです。

 しかしながら、やっぱり町づくりの在り方と、それからこの少子化というのはある程度前提にせざるを得ない、子供の入ってくる、子供の流入を促進する政策を行うということはあり得ても、なかなかそう有効な手段はありませんので。今言った学校と地域の融合というのを、先ほども申しましたように悩ましい統合問題というのと一体として、やっぱり町づくりとして進められるように、そういう意味で学校の、義務教育の予算を、予算といいますか財政を地方で分権する、また、特に今特区で行われている、今度一般化されるということですが、市が財政負担して、市の域でやっていくというのは非常にそれを前進させる方法であるというふうに思います。

参考人(穂坂邦夫君)

 私は小中学校というのは地域コミュニティーの核になるんだというふうに思っているんですよ。ですから、やっぱりその辺を、特に公立の小中学校というのは私学とやっぱり対抗できるといいますか、まあ対抗というよりも、特徴は地域を持っているということなんですよね。ですから、どういうふうに地域と一緒にやっていくかということをもっともっとこれから考えるべきだと思います。その中に、例えばボランティアとかNPOとか地域だとか、そういうものが多様な形で学校に入ってくることもやっぱり必要ではないかと、こういうふうに思っています。

 ですから、その辺がやっぱり、国と市町村の本当の役割というのはやっぱり違うんですよね。どうもその辺が何かごちゃごちゃになっちゃうので困るなという気もするんですが、私は、学校というのは地域というバックグラウンドがあるものをもっともっとしっかり意識をして、融合して、また地域の役割と学校の役割をお互いがやっぱりしっかりする、そこに信頼関係とかそういうものが出てくる、こう思っています。

井上哲士君

 同趣旨のことを陰山先生にもお聞きをしたいんですが、早起きのお話もあったわけですけれども、なかなかうちも子供に言っても早寝早起きしないわけですが、地域ぐるみでこうなったということはいろんな地域との関係もあったんだろうと思うんですけれども、校長をお務めになる中で地域との関係というのをどのようにお考えでしょうか。

参考人(陰山英男君)

 やはり地域のかかわりというのが決定的だったと思います。

 本校はコミュニティ・スクールに昇格をしましたけれども、別に指定されなくても元々コミュニティ・スクールであると。つまり、地域が最も学校を大切にしているという、そういう地域だったわけですね。

 先ほども申し上げましたように、校舎が八十年前の鉄筋コンクリートです。あの昭和恐慌の中、工事がストップするんですけれども、地域の方々が広島県庁まで押し掛けていって、おらが町の、村の校舎をきちんと造ってということで、工事が突貫で行われているわけなんですよね。

 やはり地域が本当に学校を大事に思っている、そういう風土がありますからこういうことができたというわけであって、土堂小学校、先ほど偉そうに申し上げましたけれども、ほかの学校で、いわゆるほかの地域でできたかというと難しかったかもしれません。

 実は私たちの実践をどんどん取り入れようというような動きも出てきました。山口県の山陽小野田市、ここでは市長さん、教育長さんが本当にとにかくやりたいと。それから、宮城県の栗原市。それから、もう既に実践が始まっておりますけど、高知県の室戸市。室戸の小学校ではもう半年間で全国平均を下回る子がいなくなったというぐらい劇的に上がったというような成果も出ております。それから、佐賀県というようなところで、やはり地域の方から動いて、そしてやろうというようなところが出てきておりますので、そういうふうなところが具体的にいい形が出てくると、その中でよりいいものが淘汰されて残ってくるのではないかなと。

 いよいよ、様々な教育デザインが数年前から出てきましたけれども、これからは本当にいいものは何だったのかということが問われる時代に入ってくるというふうに思います。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 終わります。


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