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2006年12月5日(火)

教育基本法に関する特別委員会
「教育基本法案」について

  • 政府が「現行教育基本法10条を旭川学力テスト最高裁判決の趣旨を踏まえて改定した」としてに対して、伊吹文科大臣に、最高裁判決が「不当な支配」について主体を限定しておらず、国や教育委員会もその主体になりうることを認めさせる。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 現行教育基本法の十条及び政府案の十六条について質問をいたします。

 近代公教育制度の下では、義務教育学校の整備一つ取りましても、国家権力が教育に関与することは避けられないと思います。だとすれば、国家権力が教育にどこまで関与できるのか、その当否と限界というものを明らかにする必要があると思います。

 その点、現行基本法の十条というのは、戦前の国家権力による教育への強い介入、支配を反省して、その誤りを二度と繰り返さないために作られた条文だと思います。今、与党委員からも同趣旨の質問がありました。これは基本法制定に当たった田中耕太郎元文部大臣もこう述べています。教育は不当な行政的権力的支配に服せしめられるべきではない、それは教育者自身が不覊独立の精神をもって自主的に遂行されるべきものであると立法者意思を明らかにしております。ですから、この十条を改変するということは、国家と教育の関係、そして憲法にかかわることでありますから、私は慎重に慎重を期さなくてはいけないと考えております。

 そこで、五月二十六日の衆議院の本会議で前文部大臣はこの十条の改定について、最高裁判決の趣旨を踏まえたものだと、こう答弁をされました。つまり、この最高裁判決とは今日も度々出ております一九七六年のいわゆる旭川学テ判決であり、国家権力と教育との関係について憲法や教育基本法の重要な解釈を示したものだと思います。

 政府案はこういう解釈を踏まえたものなんだということをまず確認をしておきたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 小坂大臣が答弁をした趣旨はこれは小坂大臣の頭の中にあることですが、私の理解では、現行法は国民全体に対して直接責任を負って行われるべきものであると書いてありますね。我々の改正案は、不当な支配に属することなくこの法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであると書いております。この法律及びその他の法律は、これは国権の最高機関というか、民意の集積場所である国会、つまり国民の意思によって決められているものですから、この法律及び他の法律の定めるところ以外のことをやったら、具体的に言うと内閣あるいは地方自治体その他は当然不当な支配になるわけですよね。

 ですから、ただ、国民全体に対して直接責任を負って行われるべきものであるという現行法について、何度もこの法律の趣旨が裁判によって争われているわけですよ。だから、そこを明確にしたいと。国民の意思に従うということは、全国民が参加をして選挙で選ばれた立法府である国会の意思が国民の意思を代表するものであるということを明確にしたということを小坂さんは答弁したんだと思います。

井上哲士君

 中身についてはこれから議論をしたいと思うんですが、それは、しかし、最高裁判決の趣旨を踏まえた、つまり旭川の学テ判決の趣旨にのっとってという、このことを私は今確認をしているんです。

国務大臣(伊吹文明君)

 ですから、旭川のその判決は、これは少し法律論になりますから、しっかりと判決をなぞって御答弁しないといけないんで、ちょっと……

井上哲士君

 のっとったものか。その中身はまた議論します、中身は議論をしますから。細かく議論しますから。

国務大臣(伊吹文明君)

 ですから、いやいや、しかし、これはここを申し上げないと答弁にならないんですよ。

 不当な支配はその主体のいかんを問うところではなく、ですから、国である場合もあるし教育委員会である場合もあるし、あるいは教育に介入するその他の思想団体である場合もあるし、いろんなものがあるよということをまず言っているわけですね。論理的には教育行政機関が行う行政でも不当な支配に当たる場合があり得ると最高裁は判示しております。これは確かにそのとおり。

 同時に、憲法に適合する有効な他の法律、つまり国会の議決によって行われる法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここに言う不当な支配となり得ないことは明らかであると。ですから、この判例に従って、民意を表現するのは国会で議決をした法律であるということです。

井上哲士君

 正に旭川判決を読み上げて、これを踏まえたものだということだったと思います。

 私は、今結論のお話をされたんですが、ここに至る憲法判断がどのように積み重ねられているのかということを私はまず確認をしたいと思うんです。

 お手元に旭川の学テ判決の核心部分をそれぞれ配付をしてありますけれども、まずこの判決は、義務教育の無償などを定めた憲法二十六条の教育を受ける権利について述べております。

 お手元の資料でいいますと、二ページ目の右上の辺りでありますけれども、この二十六条の「規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的機能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。」と、こういう二十六条の解釈をしております。

 つまり、二十六条は、子供の学習をする権利に対応したものだと、こういう考えも当然踏まえられているということで確認してよろしいでしょうか。

国務大臣(伊吹文明君)

 今先生がおっしゃったのは、判決文そのものをお読みになっていると理解をいたします。

 そうすると、判決文の中に、同時に次のような判決の文言があるんですよ。それは、教育基本法第十条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することはそれなりの合理性を有するけれども、このことから教育内容に関する行政の権力的介入が一切排除されることとの結論を導き出すことは早計であり、この後ですね、憲法上、国は適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法について、法律により直接又は行政機関に授権して必要かつ合理的な抑制をする権利を有するとありますから、ちょっと先生のおっしゃっていることは間違いではありませんが、こういう制約を受けているということは判決文に明示をしております。

井上哲士君

 いや、私が質問しているのはそのことではないんですね。その話は後でやりますので。

 要するに、今、先ほど最高裁判決を読みましたけれども、その二十六条の教育を受ける権利というのは、その教育を施す側の支配的機能ではなくて、子供の学習を受ける権利に対応しているんだということをこの学テ判決は言っている。正にこの考え方は、子どもの権利条約とかユネスコの学習権宣言など国際的にも私は確立していると思うんですが、そういう子供の学ぶ権利に対応しているんだと。ここを共通の認識で確認をしておきたいだけなんです。そこを、どうでしょうか。

国務大臣(伊吹文明君)

 子供には憲法上も当然教育を受ける権利があるということは間違いございません。ただ、どういう教育を施すかということについてはおのずから制約があるということです。

井上哲士君

 この憲法判断というのは非常に重要なんですね。正に教育を施す側の支配的機能ではなくて、子供の学習権に対応しているんだと、これをこの判決は示した上で、次に、じゃ、学問の自由から教授する自由はどの程度認められているのかということについても判断をしております。

 これは、お手元の判決の右、二ページの右下辺りにありますけれども、ここでは、おっしゃるように、普通教育でもある程度の自由な裁量は認められるけれども、しかし完全な教授の自由を認めることは到底許されないと、こういうふうに述べております。同時に、ある程度自由な裁量もあるんだと、これは当然だと思うんですね。

 最高裁判決は、こういう判断を経た上で、子供の教育の内容及び方法をだれがいかにして決定していくかという判断を示しております。これは二ページの左下辺りにあるわけですが、今大臣も言われましたように、国は、憲法上は、あるいは子供自身の利益の擁護のため、あるいは子供の成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する機能を有すると確かに述べております。同時に、その判決は、この機能も無制限ではないと。教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重するべきものとしている憲法の下においては、子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的な介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子供に植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二十六条、十三条の規定上からも許されないと、こう正に述べておりますけれども、この最高裁の判決の立場ということも、これも確認をしておきたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 それはもう当然のことなんですよ。ただ、今度はそのどこまでが最高裁の判決に当たっているのか、憲法違反なのか法律違反なのかということについては、我が国の統治の仕組みからいうと一義的有権解釈権は法律を所管している内閣にあるんですよ。ですから、内閣は、今先生がおっしゃったような憲法違反その他のことを侵さないようにきゅうきゅうとして抑制的にやるわけですよ。しかし、やっていても、それが侵していると思う人が出てくると、イズムが違ったりいろいろな立場から、それは何ら否定されてないんですよ。

 ですから、侵したと思われる人は司法に訴えればいいわけですよ。司法に訴えて最終的に司法の判断を仰ぐと。だから、旭川の案についても国は間違ったことはしてないと主張しているが、間違ったことをしたということを主張する人がいるから、一審、二審、最高裁に行って、今読み上げられているようなその判決になっているわけでしょう。

 ですから、私は、少なくとも内閣は法律、内閣というものは議会によって選ばれているわけですよ。そして同時に、議会で法律が決まっているわけです。だから、内閣の場合は、どちらかというと、同じ国会によって選ばれ、同じ国会によって議決をされた法律を運用しながら、例えば学習指導要領を作ったりしていますから、ここがおかしなことになったらもう終わりなんですよ。ですから、司法の場で争われることは比較的少なかろうと私は思いますし、また少ないように行政はしなくちゃいけないんですよ。

 しかし、これを、現在教育委員会の持っている権限を都道府県の知事や市町村長に与えた場合は、そのあれが随分多くなるんじゃないかということを危惧しているということなんです。

井上哲士君

 私たちはそういう主張はしていないんです。抑制的であるべきだという点は、今正に判決に書いてあるとおりだと認められました。

 以上のように、最高裁判決というのは、教育を受ける権利というのは、教育を施す者の支配的権利ではなくて、子供の学習する権利に基づいているんだと。それから、普通教育でもある程度の自由な裁量は認められるけれども、完全な教授の自由というのは許されないと。それから、国は、必要かつ相当の範囲で教育内容を決定する権利はあるけれども、国家的介入は抑制的であるべきだと、こういう憲法判断をずっと積み重ねて、その上でこの教育基本法の現行十条の解釈を示しております。

 お手元のこの判決の三ページ目の左上の方にこの十条の非常に重要な解釈が示されておりますが。

国務大臣(伊吹文明君)

 何ページですか。

井上哲士君

 三ページの左上ですね。そのポイントは、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合に不当な支配に含まれないと解すべきかどうかというところですね。ここから後の文章が非常にややこしいので分かりにくいということで、私なりにまとめてみましたのが別途付いているこの表のわけです。(資料提示)

 ここでは、この文章の中では、教育行政機関が法令に基づいてする行為には二種類あると。一つは、憲法に適合する有効な他の法律をそのまま執行する教育の行政機関の行為、それからそれ以外の、言わば法律をそのまま執行するのではない、要するに法律を運用する場合と、この二つの場合があるというふうに分けて書いております。

 そこで、法律をそのまま執行する教育行政機関の行為というのはどういう意味で、具体的にどういうものがあるのか、これをまず確認をしておきたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 ちょっと先生、私よく分かりかねるので御質問の形で教えていただきたいんですが、この日本国において憲法に適合しない法律というのはあるんでしょうか。それがもしあるとすれば、この国では憲法は守られていないことになるんですよ。ですから、この国の法律はすべて憲法に適合していると私は思います。

井上哲士君

 いや、そこは全然争っているんじゃないんですよ。ただ、違憲立法審査権というのはあるわけでありまして、先日も住基ネットの違憲判決が出た。そこを言っているんじゃなくて、要するに法律をそのまま執行するというのはどういう行政行為なのかということを、当局からでもいいですよ、答えてください。

国務大臣(伊吹文明君)

 法律をそのまま執行するといっても、それは法律には政令があり、そして省令があり、予算の肉付けがなされて具体的な行政行為となるわけですから、今先生がおっしゃっている部分は、具体的に政府は憲法違反になるという行為はしていないと、私の立場から言えば、ということになるわけですが、それが憲法違反に当たるという解釈をされても構わないんですよ、そのことは何ら否定していないんですよ。

 だから、先ほどの子供のところも、最高裁の判例は次のようなことを言っているわけですよ。しかしながら、このように、子供の教育が、専ら子供の利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきであるということからは、このような教育の内容及び方法を、だれがいかにして決定すべく、また決定することができるかという問題に対する一定の結論は当然導き出されないと言っているわけですから、だから政府としては法律を所管して行政行為をやらなければならないんですから、政府は政府の判断でその行政行為をするわけです。それが憲法違反だという場合は、それはもう司法の判断を仰いでいただいて結構なんで、国が何もそのことを憲法違反にならないなんていうことを言い張ったって、そんなことは通らないのが日本国の仕組みなんですよ。

井上哲士君

 いや、僕はこの判決の文をそのまま分けてね。事実として確認はちょっと当局から答弁してもらえませんか。

 要するに、法律をそのまま執行する行為とそれ以外の運用する行為というのは、それぞれどういうものがあるのかということを事務的に私は聞いているんですから、事務的に。ちょっとお願いします。

政府参考人(銭谷眞美君)

 まず、「法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為」というふうにありますけれども、政令、省令というのは法律の命ずるところをそのまま規定をして、そしてそれに基づいて、その法律に基づいて法律の命ずるまま執行するということになるのではないかと思っております。

井上哲士君

 義務教育の国庫負担法に基づく国庫負担などは正にそのまま、今年は歳入が少ないから減らしますなんというのはできないわけですね。私、これに当たると思うんですが、これは不当な支配には含まれないというふうに判決では明確に言っております。

 そして、それ以外の、当該法規規定が特定的に命じていることを執行する場合を除きというのは、正に直接ではなくて運用する場合、この下に当たると思うんですが、これは具体的にはどういうものが当たるということになりますか。

  〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕

政府参考人(銭谷眞美君)

 その教育行政機関がこれらの法律を運用する場合において「当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、」という、この「除き」という意味でございますか。

 法律の運用は、とにかく法律の命ずるままに執行するのがまず当然のことでございますけれども、その法律の定めの中に、言わば規定ぶりに一定の幅といいましょうか、そういうのがあると想定されている場合なのかなというふうに思っております。

井上哲士君

 例えば、地方教育委員会などが政令を解釈して発出する通知とか、こういうものがこれに含まれるというふうに考えてよろしいですか。

政府参考人(銭谷眞美君)

 通知等のたぐいは、文字どおり法律の命ずるところをそのまま執行する通知もございますし、当該法律の規定が多少幅を持っている場合に、それを示すような通知もあろうかとは思います。

井上哲士君

 地方教育委員会などが発出する通知などがこのそれ以外の場合に当たり得るんだということでありました。

 そして、最高裁判決は、この場合は不当な支配とならないように配慮しなければならない拘束を受けているというふうに判じまして、全体として、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にもこの十条は適用があるものと言わなければならないと、こういうふうに言っているわけですね。これはつまり、教育行政機関が法令に基づく行為であっても、これは午前中も大臣言われていましたけれども、言わばこの不当な支配になり得るんだということをこの旭川判決は言っていると思うんですが、その点確認をしておきたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 先生が、せっかくですが、これ二つにお分けになったことがかえって問題を非常に複雑というか、分かりにくくしていると私は思いますよ。

 すべてこの国にある法律というものは、どのようなものであれ憲法に適合しているんですよ。だから、法律として存在するわけです。ただ、その法律を執行していく過程、過程で行政府が関与してくる部分がありますから、そこのところについては行政府は当然のこととして憲法違反にならないというチェックをしながら発出するわけですよ。しかし、それが不当な支配になると感ずる人がいても構わないんですよ。それは当然のことなんですよ、日本の法制上、イズムが違いますから。

 だから、それは司法の場で最終的に争って結論を出すということになっているわけですから、私が例えば文部科学行政を預かっていて最も心すべきことは、憲法違反のそしりを受けるような行政行為を厳に慎みながらやっていくと。しかし、それでも憲法違反だと言われる場合は司法で争うということです。

井上哲士君

 決して違うことを言っているんじゃないんです。確認をしているんですね。

 午前中の答弁でも、この不当な支配というのはこの主体のいかんを問うところはないと、だから政府も当然ここに入るということを司法は言っていると。そして、国権の最高機関である国会が国民の意思であると。しかし、国民の意思の下で作られた法律あるいは学習指導要領においても不当な支配になることはあり得るんだと。もちろん、大臣としてはそういうことはあり得ないと思っているけれども、これはあり得るんだと、こういうことをお答えになりました。この答弁、もう一回確認しておきたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 国会が議決した法律が不当な支配になるというか、若しくは憲法違反であるというようなことがあれば、そもそも法律としては成り立たないわけですよ。

 ただ、私が申し上げているのは、その法律の運用等について、結果的に、我々はそういうことは断固ないと信じて行政をやっていても不当な支配と感ずる人があり得るということを申し上げているわけです。

井上哲士君

 それは、国がそうだということは、例えば地方の教育委員会の命令や指導などもそういうことになり得るということでいいですか。

国務大臣(伊吹文明君)

 ちょっとごめんなさい。失礼しました。

井上哲士君

 国もあり得るということになれば、例えば地方の教育委員会等がそういう間違いを犯すこともあり得ると、これはよろしいですか。

国務大臣(伊吹文明君)

 国が例えば指導要領を発出しておりますが、それがおかしいということであれば、日の丸・君が代については文部科学省を訴えられるべきなんですよ。ところが、なぜ東京都の教育委員会を訴えられたのかということから結論は明らかじゃないですか。

井上哲士君

 地方教育委員会がそういう間違い、言わば不当な支配をやることも理論的にあり得るということだと認めたと思うんですね。

国務大臣(伊吹文明君)

 いやいや、それは違う、違う。ちょっと待って。

 すぐあしたの赤旗にそういうことを書かれると困りますから率直に申し上げておきますが、誤りがあるということは私は一切認めておりません。見解の相違があるから司法に訴えることができるということを申し上げているんです。

井上哲士君

 そうすると、正に最高裁判決というのは、そういう国の行政であっても地方教育行政がやるものであっても、それは不当な支配だということで訴えることがあるんだと、あり得るんだと、こういうことを判示しているわけですね。

 ところが、じゃ政府の改正案の十六条がそれを踏まえているということを前文部科学大臣はおっしゃったわけですが、そうなっているんだろうかと。

 五月三十一日に、前文部科学大臣は、今回の十六条のように明確に規定することによりまして、この法律の定めるところにより行われる教育委員会等の命令や指導などが不当な支配ではないということが明確になったと、こう述べているんですね。これは正に地方の教育委員会が出す命令や指導などは、この法律を変えることによって最高裁判決の趣旨と違って、これはもうそういうものにならないと。言わば裁判の道もふさぐような私は答弁だと思うんですけれども、これは正に最高裁判決とも全く違うんじゃないですか。

国務大臣(伊吹文明君)

 それは先生、文部科学大臣たるものが国会で答弁をして、国会で議決をされたその法律に基づいてやる文部科学省の行政行為、あるいはそれに基づいて地方がやっている行政行為が憲法違反だとか不当な支配だとかという答弁をするということ自体がこの法律を否定していることになるんですよ。

 見解の相違があったって構いません。だから、小坂さんはそう思っているわけです。思っているけれども、そうと違う方は司法に訴えられればいいんです。

井上哲士君

 それは、小坂さんがそう思っているって大問題ですよ、それ。これ、この法案の核心部分の解釈なんですよ。それが、前の大臣はそう思っているけど私は知らないじゃ、それは通用しませんよ。

 いいですか。法案、法律を変えることによって不当な支配ではないということになったと、こう言っているんですから、現行と変えるものじゃありませんか。

国務大臣(伊吹文明君)

 それはよく私の答弁を聞いて、その端々をつかまえてそうおっしゃられて、またいろいろなところで書かれちゃ困るんですよ。

 私が申し上げているのは、小坂文部大臣の答弁趣旨は、国民の民意の総結集である国会で議決をされた法律に基づいて、この法律若しくは他の法律に基づいて行われる行政行為というのは、文部科学大臣としては不当な支配に当たることはないということを言っているわけです。しかし、そうじゃないという考えがあったって構いません、それは。

井上哲士君

 私は、正にこの法案の核心部分が大臣によって答弁が違うということ自体、これは正に法案の審議が全く尽くされていないということを示していると思いますし、しかし、大臣が今日の中で、こうした国や地方の教育行政についても、それはそういうものとして争訟などの対象になり得るんだということを答弁されたことは大変大事だと思っておりますので、それを確認をして質問を終わります。


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