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2006年12月6日(水)

教育基本法に関する特別委員会 静岡地方公聴会
「教育基本法」について

  • 現行教育基本法のどこを変えなければいけないか、不当な支配が現行法と政府案でどう変わるか、質問。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、公述人の皆さん、急なお願いの中、大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。

 まず、岡本公述人と松永公述人にお聞きをいたします。

 教育基本法を変えること、政府案に賛成だというお立場から御意見がございました。それぞれ、例えば私学への援助の拡大であるとか、それから松永参考人からは、例えばごみの捨て方一つ取ってみても子供たちが学んだことを親の世代も学ぶし、また逆、そういう生涯教育の問題などでも強化がされるんじゃないかと、こういう御意見もありました。

 私、それぞれに非常に大事なことだとは思うんですが、例えば私学助成の拡充にしても、私どもいろいろな皆さんと運動しますが、現行法でも十分に対応できることだし、対応できるんであれば今もっとするべきだと思うんですね。

 そこで、今の教育基本法のこの部分が問題だ、この部分を変えなくちゃいけないと、こういうところが、それぞれどこがあるとお考えなのか、お願いをしたいと思います。

公述人(岡本肇君)

 現行教育基本法でいえば、私学という言葉が一つもないことです。

 現状の私学の助成の制度でどこが問題かといいますけれども、要するに、国庫補助金というのは、これは生徒一人当たり六万円ぐらい来て、あと地方交付税交付金という形で地方公共団体へ来ます。この地方交付税交付金というのは教育の積算で来ますけれども、地方に行くと一緒になっちゃうんですね。現実問題として、今、全国の各都道府県で私学の方に来たはずを割り込んで、要するに県の財政が厳しいんで割り込んで削られてというところが出てきております。こういうところがやっぱり現行の基本法では問題で、本来でしたらば国庫補助金という形でもっときちんとした形で、法で裏付けられた形で補助金というのは出されるべきだというふうに思っております。

 以上です。

公述人(松永由弥子君)

 私も意見陳述のときに申し上げましたが、生涯学習という、現行の教育基本法が制定されたときはなかった考え方が盛り込まれたことと、それから家庭教育が社会教育と一緒になっているんではなくて、家庭教育という条項が上がって、学校教育、家庭教育、社会教育の三つの場が並列に上げられたことというところが現行法にはない部分ですので、その点を評価したいと思います。

井上哲士君

 私聞きたかったのは、足らざる部分を足したいという御意見はよく分かるんですが、要するに、今のここは変えなくちゃいけないと、この部分はどこなのかということをそれぞれにお聞きしたいということなんです。もう一回お願いします。

公述人(岡本肇君)

 ちょっと質問の意味、私よく理解していないかもしれませんけれども、一番最初に私のところでお話ししたように、この部分という具体的な部分というと、現行法のところでいうと、むしろ新しく付け加えられている部分が今度の改正案の方には非常に多いわけでして、これは最初に申し上げたように、この六十年の時代の流れのところで随分やっぱり教育の問題というのは足らざるところが出てきたんだなと。それを補わないと、今、日本の社会が抱えている、もう学校だけでなくてすべてのことを含めて、教育の問題というのはもう一度見直されていかないんだなというふうな意味で私は考えております。

公述人(松永由弥子君)

 現行法でということであれば、私も新設の部分について述べましたので、生涯学習については何もちょっと言えないんですけれども、現行法の第七条に「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、」ということでまとめてあるという部分が、現行法ですと学校教育は条項としてたしか六条にありますけれども、学校教育と社会教育、家庭教育ってまとまっちゃっているので、それよりは家庭教育が独立したという部分の方がいいかなと思っています。

井上哲士君

 どうもありがとうございました。

 嶺井公述人にお聞きするんですが、時間の関係もあったんでしょうか、十六条の部分については特に議論もされていますということでお述べにならなかったと思うんですが、この点の嶺井公述人のもう少し詳しい御意見をお聞きしたいと思います。

公述人(嶺井正也君)

 現行の教育基本法ができたときに、教育は、不当な支配に服することなく、直接責任というのは、極めて戦前の教育を反省することの中から出てきたものだと考えています。その中の不当な支配というのは、当時の文部省の解釈の中でも、教育行政もその場合もあり得るんだという解釈でございます。

 基本的に、やはり教育というのは自立的な営みの中で地域社会あるいは学校の中で行われるべきだということを踏まえて規定されたものですから、ここのところの精神が全く変わってしまうような中身になっておりますので、そこのところが一番大きな問題だと考えております。

井上哲士君

 次に、粕谷公述人にお伺いしますが、現場のいろんな思いもあったかと思うんですが、少し教職員評価の問題で十分にお話ができなかったのではないかと思っております。せっかくのアンケートなども出ておりますので、是非これについてもう少し詳しくお話をいただきたいと思います。

公述人(粕谷たか子君)

 教職員評価制度は、静岡ではただいま九校、県立高校、高等学校と障害児学校含めて九校で試行が行われております。義務制も含めますと二十二校ですが、私どもは県立高校の試行校の教職員に対してアンケートを行いました。

 その評価、ちょっとどういう形で行われるか、済みません、少し簡単に説明させてください。

 まず、教員は個々に学校経営目標にのっとって自己の目標を定めなければならないと。この学校経営目標は校長がつくるものであると。それで、学校経営目標に基づいて各自が目標を定めて、そして一年間の達成度を評価する。これは、評価は教頭とそれから校長、二人の面接を受けて評価を受けるということです。そして、一年ごとに評価は出される。そして、将来的には賃金、処遇に反映させるという、そういうものになっております。それで、目的は、教職員の資質向上、それから学校組織の活性化の二つが挙げられております。それですので、私どもはそのことについてアンケート項目を作りました。

 ごらんいただいているように、まず教職員評価制度そのものについて賛成か反対かと聞きましたところ、賛成は七%、反対は六七%でございます、回答者は二百八十八名ですけれども。それで、賛成の方の理由は、そこに、二番に書いてあるとおりですが、反対の理由として挙げられたものの一番多くが公正な評価ができないのではないかというところですね。右側の図表の四番。それは設問のエになるんですけれども、評価者が全員の教育活動を把握して、公正に評価をすることができない、それを試行の中で感じ取っているという、これが一番大きな理由。それから、その次が、教職員の資質能力に資するものではない、これは目的として掲げているその目的が達成されるものではないというふうに皆さんお答えになっております。それから、その次が、八番ですね、多忙になる。それから、あとは職場のチームワーク、これがとても大事なんですけれども、チームワークが壊されてしまうという、そういう教育の本質、根幹にかかわるような点で問題があるから反対であるという具体的な回答を得ております。

 そして、評価の試行、今年度行ったと、来年全校試行を一斉に行うとしているんですが、まだこの試行の検証が十分できないわけです。このような反対意見があるのに、ですが、県教委は全校試行を来年度以降行う予定であると。それについては試行反対であるという意見、五番ですね、この試行は、七二%ですか、反対であるということで、とにかく上から下ろされてきたことを早く進めなければならないという形で行政の方進んでいるんですが、これはやはり時間掛けてきちっと討議して、私どもは反対ですけれども、そのような問題が起きております。

井上哲士君

 私たちも、教職員の皆さんが指導力をより向上さしていく様々な自主的研修など必要だと思っておりますし、これは多くの国民、父母の願いだと思うんですが、必ずしも評価制度を受けている皆さんからはそれに資するものでないというお答えがあったということなんですが。

 そこで、嶺井公述人にお聞きしたいんですが、こういういわゆる評価制度というものが果たしてそういういわゆる教職員の資質向上に資するものになるのだろうか、その辺の考えをお聞きしたいと思います。

公述人(嶺井正也君)

 ユネスコの教員の地位に関する勧告を見ますと、教員の評価につきまして規定をしております。ただし、それは当該の教職員とそれから実施する方とがともに協議をして、どういう評価が望ましいのかということを協議した上でやる場合には、そしてその中身は教職員の動機を上げるような、そういう評価ならば望ましいというふうには書いてあるんですが、今日の日本の教職員評価の導入過程を見ますと、とてもそういうふうになっていないところが問題でございますので、私は現行の評価制度については疑義を持っております。

井上哲士君

 高校の未履修問題の中で、学習指導要領の問題というのが改めてクローズアップをされました。大学の受験の数を追うだけに未履修問題が起きたというのは大変私は問題だと思っておりますが、一方で学習指導要領の現場での在り方ということもまた問い掛けたと思うんですね。私たちも大綱的な基準として、例えば転校したら全然違うことをやっていたと、これは困ると思うんですが、一方でそれぞれの地域やクラス、それぞれの授業があるという中での現場でそれに合った教育をするということも大変大事だと思うんですが、この辺の学習指導要領の現状がどうなっていて、学校現場にどういうことになっているのか、粕谷公述人の御意見をお聞きしたいと思います。

公述人(粕谷たか子君)

 先ほど申しましたように、学習指導要領そのものを、私ども正直申して毎日の座右の銘として置いて、それを見ながらやっているわけではございません。教科書とか、それから行政の指導という形でそれが私どもに下りてまいります。

 それで、この必修科目の未履修問題につきましては、学習指導要領に必修と書かれていたものが行われなかったということにつきましては、結局、かなり文科省の方もそれはつかんでおられたのではないかと思います、黙認をされていたということで。私どもとしましては、大綱的基準、それはあくまでもやはり教育基本法に定められた目標を達成するためにこれだけの学習は必要だということで定められているもので参考にはします。

 ですが、子供たちの状況などはそれぞれ学校によって違うものですから、やはり教育課程の編集権というか、自主的な、それは学校にあるというところは、あっては欲しくないという、そういうふうに思っております。学習指導要領があって、それは何が何でも守らなければならないものだという形で下ろされると非常に問題が大きくなってきます。

井上哲士君

 嶺井公述人にも同じ問題についてお聞きしたいと思います。

公述人(嶺井正也君)

 今、学習指導要領につきましては非常に試行錯誤になっているんではないかと思います。といいますのも、構造改革特区のところではほとんど学習指導要領は逸脱してやられているわけですね。それは認められております。そういう意味で、指導要領自体をどう位置付けるのかという基本的な議論をしなければいけない時期に来ているんではないかと思います。

 フィンランドとか諸外国の中ではあれだけ細かな指導要領にはなっていないのではないかということもございますので、教育課程行政自体を見直す中で再度議論をする必要がある時期ではないかと考えています。

井上哲士君

 岡本公述人は私学ですので、学習指導要領の扱い、また違うところがあると思うんですが、御意見があればお願いしたいと思います。

公述人(岡本肇君)

 これはもう既にいろいろなところで言われていることですけれども、やっぱり今度の新指導要領の中で、小学校で三割削減、中学で三割削減ということで来て、そして大学の方は余り変わっていないわけですね。そして、実際、今年辺りで入学希望とそれから募集の方が大体バランスが取れて、行きたきゃどこでも行けるというけれども、行きたい大学はもう限定されているわけなんで、そういうところはますます競争が激しくなるということです。

 まあ、私の学校なんかでも、見ているともう本当に多様なんです、進路が。もう本当に、極端なことを言うと宝塚から始まって、音楽、美術ですね。それから、私の田舎みたいな、私みたいな学校でも毎年十五人ぐらいはいきなりアメリカの大学なんですよね。何で田舎の校長がこんな英語のサインしているかなと自分自身不思議に思うぐらいなんで。

 大変多様化なんですけど、大学の方はそれぞれ、私、多分、大学の先生おいて悪いんですけれども、何か学部ごとでみんな勝手にうちの学部は受験科目こうだと決めて、うちはここまで譲らぬとか、隣の学部と見てあっちに負けられぬからこうだとか、何かそういうような感じで、実際、高校でどれだけこのキャパシティーでできるできないという関係なしに受験科目が決まってくると。

 ただ、やはりお子さんをお預かりした以上は、やっぱり高校というところは子供や親が行きたいという大学へ入れるというのも、これも大変大切な役割だと思っているわけなんで、そういう意味でいうと勢い私の学校でも七時間目、八時間目というのをやっています、学年によっては。それから、授業によっては二人とか三人、音楽の授業なんて、この間見たら三人並べて何かソルフェージュだとかなんとかやっていました。

 この辺はやっぱり建前と本音のところで指導要領というのは大学入試の関係でもう一度整理されるべきだと思っております。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 終わります。


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