本文へジャンプ
井上哲士ONLINE
日本共産党 中央委員会へのリンク
2007年6月7日(木)

文教科学委員会
教育3法案について(参考人質疑)

  • 法案が文科相の定めで学校評価を行うとしている点について質問。与党推薦の参考人の東京私立中学高等学校協会の近藤彰郎会長は、「それぞれ教育目的が違う私学を文科相の基準で評価するのは非常に難しい」と答える。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、四人の参考人の皆さん、本当に貴重な意見、ありがとうございます。

 最初に、梶田参考人に、教員養成と、そして免許更新制にかかわって質問をいたします。

 教員養成、そして免許更新、いずれも教員養成大学の役割は大変重要になってくるわけでありますが、尾木参考人の資料にありましたように、一方で財務省が国立大学の運営費交付金にいわゆる競争主義を持ち込むということの試算が出まして、教育系大学は軒並み下位に並んでいる。実は、最も最下位になった兵庫教育大学の学長を先生されているわけでありますよね。私、一方で教育は重視ということを言って、教員が大変大事だということを言いながら、その一方で財務省がこういうことを出すこと自身が何たることかという思いを持っておるわけですが、そのことへの思いと、併せて実際にこの教員養成を充実をしていくという問題や、この更新制度が実際できた場合に、大学にとってはどういうことが今後必要になってくるのかということについて、まずお願いしたいと思います。

参考人(梶田叡一君)

 ありがとうございます。

 まず最初に、今非常に私にとって大事な御質問をいただきました。読売新聞、それから地元では神戸新聞が大きく出していただきました。兵庫教育大学、運営交付金九割削減という、それを出していただきました。もう地元の市長さんからもすぐお電話をいただきまして、どうなりますかという話でした。県の関係者あるいは県教組の書記長等々、いろいろとお電話をいただきました。

 こういう世の中を騒がせる理不尽な話が横行する時代なのかというのが私の率直なあれです。なぜ理不尽かというのはお分かりいただけますね。科研費というのはごく一部分の、研究の成果を測るごく一部分の話なんです。例えば、GPという形で大学でいろんな研究費を取ります。これは兵庫教育大、随分取っております。あるいは、大体そういうもので本当は研究の成果というのは測るべきではなくて、本とか論文とか学会発表なんです。これは随分我々やっております。よく私ども言っておりますが、教育で科研費で取ったって一件百万、二百万ですよ。工学部で取れば一件五千万、一億ですよ。そういうものを比較されてどうなるかというのがまず理不尽なということです。

 成果で私、測っていいと思うんです。じゃ、どういうことを教育系で見ていただきたいか。簡単です。

 例えば、兵庫教育大は三十年前、新構想大学ということで特別につくられた大学なんですよ、何にもないところに。もう師範の伝統も何にもないところなんですね。じゃ、何のためにつくられたか。現職の先生を大学院レベルで二年間マスターコースで勉強してもらって、新しい力を付けて現場に帰っていただいて活躍してもらうということ。

 じゃ、それやっていないのか。これはミッションですよね、ミッションその一ですよ、やっていないか。今年度も三百人の現職の先生が北海道から沖縄まで来て、そのうちの二百十何人は給料をもらいながら、出張旅費をもらいながらという派遣で来ておられます。三百人なんということはほかにありません。これは今までの成果が積み重なってなきゃ、だれが都道府県こんな財政不如意のときにあの兵庫教育大に、一人出すと二千万掛かると言われているんです、代わりの先生の給料も含めていろいろと考えますと。だれが出しますか。三百人来ているということは、これまでの成果があるからなんでね。ついでに言っておきますと、あと二つの上越と鳴門も百何十人のレベルですね。しかし、その中で一番あれです。もちろんほかの教育系でこんなに来ているところはありません。三大学以外にありません。これが一つですね。

 それからもう一つ、その後、学部を付けていただきまして、教員養成もしております、普通の。これは、ずっと兵庫教育大は教員採用率ナンバーワンです。つまり、ちゃんと教育した人が現場に行ってやるというのは兵庫教育大に肩を並べるところはないんです。

 すると、その二つの、現職の先生を大学院で勉強してもらって活躍してもらうということ、そして兵庫教育大学で小学校や中学、高校の免許を取った人が現実に採用されてそれが現場で活躍すると、この二つをずっとやってきた。これがなぜ評価されないで、とんでもない、理不尽な、非本質的な、全く違うところでああいう新聞記事が出なきゃいけないのか。普通の人はあれで兵庫教育大は来年からなくなると思っております。こういうことは私は、成果主義という名前の下にこういう議論が横行するのは困りますので、是非皆さんの、先生方のお力で本質的な議論をやるようにお願いしたいというふうに思っています。これが一番目です。

 それとのかかわりで、更新制とそのほか今幾つか言われていることについて簡単に申し上げます。

 これは、昨年七月に中央教育審議会で答申を出しました。やはり現場の先生方にもっと力を付けてほしいということで、三本柱の答申を出しました。私は教員養成部会の部会長でもありますので、私の責任で審議をしてまとめました。いろんなこれ議論があります。ですから、私が部会長だからこの答申と同じ意見だと、必ずしも、ではない部分あるんですけれども、しかし立場上、どういうふうなことがあったかと申し上げますと、まず三本柱。十年の更新制と、それから教職大学院を発足させるということと、もう一つが学部段階の教員養成のカリキュラムを全面的に見直すということです。これは全部、大体、教職大学院は二十年度から、それから今の更新制と教職課程、これの見直しは二十一年度からいくということで準備をしております。

 その中で、更新制、十年一回、これは非常に議論がありました。かいつまんで言いますと、これで、先生方、嫌になるじゃないかというのはこれは当然あります。しかし同時に、専門職というのはそういうものなんだと、十年したら子供も変わる、親も変わる、指導要領も変わる、社会からの学校に対する期待も変わる。じゃ、やはり更新というか、十年に一回リニューアル、もう一度新しい知識やら新しい状況についての認識やらをインプットして、新しい気持ちでやる必要があるんじゃないか。

 これは、実は教師だけではなくて医者であろうと何であろうとそういうことであって、これから専門職の免許には全部それを入れていかなきゃいけないんじゃないかと。例えば、お医者さんで七十、八十のお医者さんが子供を診てくださる、うれしい話です、これはいいおじいちゃんが。でも、やはり病気も少しずつ変わっていく部分もあるでしょう。特に治療法も変わっていきます。やはり医者だって本来は十年に一回やってもらわなきゃいけない、そういうことで入れた。最後に、いろいろと議論ありましたけれども、それに落ち着きました。

 私は今回、これを本当に今回の教育職員免許法の改正に入れるかどうかということについてまた改めて、御承知のように三月十日までずっと中教審議論いたしましたので、改めて皆さんで議論しましたけれども、やはりリニューアルという意味での更新制はこれから必要だろうと。これはしかし、教師だけではなくてあらゆる専門職にこれから免許を考えなきゃいけないだろうという、そういう結論が出て、なったということを申し上げておきたいと思います。

 それからもう一つ、ちょっと違うようですが、先ほど尾木先生もおっしゃいました学校に副校長とか主幹とか指導教員、これも随分、三月十日に答申出すまでに議論がありました。しかし、やはり今度文部科学省が先生方の残業の実態調査をしました。これでごらんいただくと分かるように、今すごく多いんですよ。同時に、教頭さんがぬきんでて多いんです、残業が。だから、校長を支えるというのは大変な話なんです。これを、今までは校長がおって教頭が一人、大きいところで時には二人、あと教諭ということで、なかなかうまくいってない。そこを、教頭を助けるいろんな職が要るだろう。校長を助けるいろんな職が要るだろう。しかし、これは強制じゃない。学校教育法に書いておいて、そして、これが設置者において必要があればそれに応じてつくっていくというそういう枠組みをつくる。

 もう一つ大事なのは、それによってやはり給与の、やはり今までは教諭は教頭にならなければ給与は改善されなかった。やはり、中間的にいろいろと上がっていく、給与表は別にしまして、はっきり言うと中だるみといいますか、管理職にならなければ給与は上がらないという、そういう問題をこれを解決しよう、これを突破口にしようと。

 もう一つは教員の定数の問題であります。毎年毎年減らされております。もっと言いますと、改革推進法の中に書かれておりますけれども、子供の減少の数を超える程度の教員の数の削減というようなことが言われておる。これ私はもう、これもちょっと私は暴論じゃないかと思っております。だんだん難しくなるんですよ。そうしますと、やはりそういう副校長、主幹ということをつくって、これも別枠にしながら、そして教員の定数の改善にここからもアプローチできるんではないか。

 ですから、待遇と給与の問題を副次的に入れながら、しかし一番大事なのは、学校が自主的あるいは自律的にやっていくためには、校長を助けるいろんな職があって、それをやっていかなきゃ結局ごく一部の人にしわ寄せがあって、結局破綻してしまうと。そういうところで踏み切ったということでありまして、その辺も御理解いただきたいと思います。

井上哲士君

 次に、尾木参考人に伺いますが、いわゆる北風でなく南風をというお話がありましたが、先ほどのお話の中で、教員の資質向上、いわゆる指導力不足教員問題というところまで少し話が十分に行かなかったと思うんですが、この点で先生お考えの点をお願いしたいと思います。

参考人(尾木直樹君)

 レジュメの方でも書いて、先ほど時間がなかったんですが、二ページの下の方に、教員の資質及び能力の向上の問題で、第九十二号にあることで僕が気になったところをちょっと書いたんですけれども、一つは、一年以内の指導改善研修という教特法の改正と連動して述べられていますけれども、これが、悪気があって思うわけではありませんけれども、例えば指導力不足教員の基準というのも各今都道府県によっていろいろありますよね、それを国で決めるとかいうことも言われていますけれども。

 一番僕重要なのは、それが、基準を設けてはいけないというふうには思いません。基準を設けられるのはあるだろうと。ただし、僕は教師のやっぱり基本的な人権だとかいうことを、あるいは働く権利とか考えたときに、当然、反論権だとかきちっと保障すべきであろうというところがあるんですね。何か、この間の教員政策がいつも上から下を見下ろすような管理強化みたいなので。管理強化するんであったら、今度は反論もきちっと保障していくというのが当然僕は成熟した国家のあるべき姿だろうと思うんですけれども、そこがなくて。

 それで、資料の五番にも入れましたけれども、これついこの間の新聞なんですけれども、何日でしたか、五月二十八日付け見ていて驚いたんですけれども、年内にはILOとかユネスコの合同専門家会議が、日本の教員の地位の保全というのがどうも怪しくなっているんじゃないかということで調査に入ってくるという報道があるわけですよね。

 つまり、国際的な視野で見たときに、日本のこの教員バッシングというのがかなり行き過ぎていると。バッシングしてもそれにちゃんと立ち向かっていける保障というのを差し上げていればいいのか分かりませんけれども、ないままで行ってしまっている危険があるんじゃないかというところ、やっぱりそういう調査団が入るというようなことも含めて、これは重大な問題であろうというふうに思います。そこのところが僕、今教員の政策のところでは非常に問題になっていると。

 それからもう一つの、二本目でいいますと、教員の資質をどう上げていくかとか、現場の教師たちの力量をどう上げていくかということでいえば、基本に座るのは、教員の自主的な研修がどれだけ盛んに行われるようになっていくのかと。

 もちろん、教育行政が責任を持ってやってくださるというのも有り難いことなんですけれども、それはそれで進めながら、教師の自主的な研修をきちっと保障していくということですね。だけれども、これ現場の感覚でいいますと、今それがほとんど奪われていくような状況で、自主的な研究サークルだとかいうのがほとんどそれへの参加が認められない状況があります。だから、官製の、教育委員会のおやりになるのはもちろん認められるわけですけれども、非常に視野が狭く、先生方のいろんな興味、関心に基づいて研修していくというところが十年前、二十年前に比べると極めて細ってきた、やせてしまったというふうに思います。

 だから、梶田先生がさっきおっしゃった心配事とかいろんなこと、すごく僕も分かるんですけれども、現状のやっている研修体制だとか中身というのをもっときちっと丁寧に検証しながら、そして、どういうふうにして研修体制を整えていくのかという、そこのところをもっと先行させるべきだと。先行させるのを例えば後ろ押しするような新しい制度だとかあるいは十年の免許の見直しだとか、そういうものであるんならばいいんですけれども、どうもなしで、その制度を導入したら何とかなるというのは僕は違うと。甘過ぎるというふうに思いますね、現場を見ますと。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 近藤参考人にお伺いします。

 建学の精神に基づき自主性、独自性を尊重してほしいというお話がございまして、大変同感をするところなんですが、今回の学校教育法では、文部科学大臣の定めるところによっていわゆる学校評価が盛り込まれました。これもかなり私学では正に建学の精神にかかわる問題で、既にいろんな様々な取組がされていると思いますが、その辺の中身と、同時に、言わばこの「文部科学大臣の定めるところに」という条文になっているわけでありますけれども、これも運用上求めたい点についてお願いしたいと思います。

参考人(近藤彰郎君)

 私立学校のそれぞれの学校の評価というのは、私は大事なことだというふうには思います。しかし、評価というのは当然基準があるわけですから、その基準というのが私学に当てはめる場合に非常に多様性な価値観を持っているわけです。

 先ほど言いましたように、例えば東大にもう一生懸命受験生勉強して入れるという学校もあれば、全人教育をやって受験というものについては余り興味がない、むしろ人間的な成長を期待して育てようと。それは、それぞれの建学の精神によって違うわけですから、当然目的が違うわけですよね。目的が違う私学をそれぞれ文科大臣の求めによって評価するということになるんですけれども、非常に私は難しいと思います。

 逆に、評価というのが大事だと言った意味は、どんなに我々がそういうふうに目標を掲げていても、私立学校というのは時代の背景として支持をされなければ受験生来ないわけですから、ですから、どんなに一生懸命やっていても受験生来ないと。そのまま学校を閉じるのか閉じないのかということも含めて、自己責任で私立学校というのは判断していくんだろうというふうに思いますので、一番大事なことは、明確に学校の建学の精神、目標、こういうものをやっぱり開示をしているわけですね、ほとんどの学校がしていると思いますけれども、それによって学びたい生徒たちが受験してくるという構図をしっかりしていれば、おのずとその教育がなされているかどうかということは一般的には評価されていくんだろうというふうに思います。

 ですから、そういう意味で、私立学校というのは、学校法人というのがあって、経営者として理事がいまして、そして評議委員会というのがあります。これは学識経験者、卒業生であったり、一つの定款、寄附行為によって決められておりますので、その人たちも実際には見ているわけですね。今、公立でも学校評価ということを地域的にやっていくと。評価委員会つくったりしていますね。それが既にありますので、その中で自己評価は今までも行われてきているというふうに思いますので、他者から教育の内容について、もっとこうしろというふうに言われることが果たして的を射ているのかどうかということも含めて、非常に難しい問題だと思います。

 ですから、評価をすることは大事なことだと思いますが、一校一校の評価というのは非常に難しいと。私立学校の独自性、それはもう極端な場合のことは別ですよ、先ほど言いましたように、社会に有益でない、反社会的だとか、こういうことはもう論外なんですが、そうでなくて、本当に効果が上がっているかどうかということについてこれを確認をしていくというのは、それぞれの求めがありますから、その辺のことは是非御理解をいただきたいというふうに考えております。

委員長(狩野安君)

 井上哲士君、微妙な時間でございます。

井上哲士君

 あと一分しかございませんので、梶田先生、ごく簡潔に。

 当初の中教審の議論では、更新制度、いわゆる修了試験はやらないと言っていましたけれども、今回やるということを言っている、その点について御意見、ごく簡潔にお願いします。

参考人(梶田叡一君)

 中教審答申二回出しまして、最初のやつはやらないという、もうこれは五、六年前でしょうかね、それから、やるということを出しました。そこの更新制の前提が違っていたんですね。前は、不適格教員の排除と絡めるという形での更新制だったんです。これはやらないという結論を出しました。今回我々出したのは、そしてこの改正案にも盛り込まれているのは、これと切り離した話です、リニューアルなんです。ですから、もう一つ今回の、教育公務員特例法の改正として、不適格というか、指導力不足というか、そういう方の問題はそちらでまた違う論理で扱おうと、そういうことであります。

井上哲士君

 ありがとうございました。


リンクはご自由にどうぞ。各ページに掲載の画像及び記事の無断転載を禁じます。
© 2001-2005 Japanese Communist Party, Satoshi Inoue, all rights reserved.