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2008年12月16日(火)

外交防衛委員会

  • 田母神前空幕長が侵略戦争を正当化する幹部教育講座を開設した自衛隊の統合幕僚学校を外交防衛委員会として視察。終了後、国会にもどり自衛隊幹部教育に関する質疑を行う。

井上哲士君

 今日の午前中の視察の際に、この統合幕僚学校の生徒の方が、自分はそういう考え方もあるんだなと思って聞いたということでありました。ただ、五年間行い約四百人の方が受講されている。講話や訓話での徹底も含めて、やはりじわじわと私は浸透し、影響が出ているんじゃないかと。

 一つの例として、お手元に資料配付をいたしました。「遠州灘」というのは航空自衛隊の浜松基地の新聞でありますけれども、こう書いているんですね。「第二術科学校は、空幕長の歴史教育重視の方針を受け、学校長推薦の愛知県三ヶ根山頂付近にある殉国七士廟及び比島観音に、学校長以下七名で現地偵察を行いました。」と。「殉国七士廟は、極東国際軍事裁判によってA級戦犯として処刑された七名の遺骨を埋葬したもの」と、さらに、「今後、第二術科学校は、基幹隊員の防衛教養として、また課程学生の使命教育の一環として、三ヶ根山における現地研修を予定しています。」と、こう書いてあるんです。

 これは今年の五月二十日付けでありますけれども、つまり、歴史教育重視という航空幕僚長の方針を受けて、A級戦犯として処刑をされた戦前の軍の幹部を慰霊するということを自衛隊員の使命の教育として位置付けるということになっているわけですね。現に、やはり田母神氏の進めた特異な歴史教育というのがこういう形で現場に現れていると私は見ますけれども、いかがでしょうか。

防衛大臣(浜田靖一君)

 ですから、先ほど申しましたとおり、こういったことに、歴史教育というのはそこに今あるものを見てどう判断するかが問題でありまして、それによって、これを戦争を賛美するとか、そういったことではなくて、要するに現実として、こういう皆さん方、そしてまた一般の方々が造った町碑などが建立されているものを見て、やはりそこは、あくまでもここに書かれているように、要するに世界平和を願って建てられたものでということがまずしっかりとそこに書かれてもおりますし、そういった意味においては、そういった戦争に対する思い、地域の方々の思いというのもそこにしっかりと出ているわけですから、必ずしもそれが即正しい正しくないということではなくて、その歴史教育の中でも、そういった思い、現実、歴史というものを見るためには決して悪いことでは私はないと思っていますし、それが即影響が出てこういったことになっているとは思いません。

 逆に、それを冷静に考えれば、当然こういったこと、戦争というものを否定することにつながるというふうにも考えられるわけでありますので、私自身は、それがすぐ田母神さんの影響でこうなった、どうこうということではないと思います。

井上哲士君

 世界平和を願って建てたというのはこの比島観音の話なんですね。この殉国七士廟というのは、まさに東京裁判で処刑をされたけれども、それは国のためにやったんだと、悪い人じゃないんだということでここに置かれて、当時建立されたときにいろいろな問題にもなったそうでありますけれども、こういうことなんですよ。

 ですから、先日も指摘しましたけれども、この田母神氏が推進をした歴史教育の中心というのは、戦前の日本軍と今の自衛隊を連続としたものとしてとらえて、そして日本軍が悪いことをしたという贖罪意識を持っていたら元気が出ないと、士気が上がらない、日本が守れないということから、かつての侵略を正当化するというのが一番の中心だと思うんですね。それに対して大臣は、そういう連続などあり得ないということが先日の答弁でありました。しかし、この先ほど読み上げた第二術科学校だけではなくて、この連続したものとしてとらえるという考え方が、大臣は否定されましたけれども、やはり全国の自衛隊の中に相当あるんじゃないか、そのこととその田母神氏がやった幹部教育が呼応するような形があるんじゃないかということを私は非常に懸念をするんです。

 具体的に、日本平和委員会というところが全国のいろんな基地の資料館であるとか、それから広報資料というのを調べております。例えば、海上自衛隊の舞鶴地方総監部のところに海軍記念館というのがありますけれども、そこの説明の記述は、旧海軍の誇り高い史実と伝統を後世に伝えるとともに、隊員の教育に資することを目的としているということがあります。それから、大阪の信太山の駐屯地、これは陸上自衛隊でありますが、この地から満州を始め中支、南方に出征し活躍しましたと、愛国の至情燃え立たせた由緒あるところですというような記述が、これはホームページの中に書いてございます。

 お手元には、三重県の久居駐屯地で今年百周年というのが行われたときの地元新聞にその駐屯地の司令が書いた文書をお配りをしております。そもそも創設百周年の行事ということ自身が旧軍施設と通算をしてお祝いをしているということがあるんですね。この文書を読んでいただきますと、真ん中の三段目のところでありますが、「三十三連隊は、陸軍時代にあっては、日露戦争、支那事変に参戦し数々の戦果をあげ精強部隊として名を轟かせましたが、大東亜戦争では、無念にもフィリピンのレイテ島において玉砕を遂げられました。」とした上で、陸自時代においては災害復旧とかイラクへも隊員を派遣をしたと、こう書いて、一番下の段に、「このような、輝かしい歴史と伝統をもつ久居自衛隊、三十三連隊」と、こう続いていくわけですね。

 ですから、まさにあの戦前の軍と戦後の自衛隊を一体のものとしてとらえて、そして侵略の歴史も含めて輝かしい歴史と伝統としていると。大臣が否定されたそういう考え方がこういう形で公然と展開されていることについてどうお考えでしょうか。

防衛大臣(浜田靖一君)

 そもそも、その前に、田母神さんの件に関して大変、逆に言うと、井上先生のお話を聞いているといかにも影響力があってすごいなというようなあれがあるわけですが、私はそうは思っていませんで、そもそも、だからこそ私は責任取って辞めていただいたというのもあるわけで、私はそんなに影響力のある人間だとは思っておりませんし、逆に言えば、これ記述の中にもありますように、このいろんな施設が、これ昭和七年ごろに建った要するに碑があったりするわけですよね。

 だから、こういった旧軍時代の要するに慰霊碑だとかそういった忠魂碑だとかいうものはもうその時代からあるわけでありますし、そこにあって、なおかつその歴史をひもとけば当然こういった昔の軍の歴史というのがあるわけで、その地に我々の部隊がいるということにすぎず、先生、精神文化のことでいろいろ御心配をされているのかもしれませんけれども、我々とすれば、軍と要するに自衛隊というのは連続性がないというのは、片っ方は軍であって、片っ方は軍じゃないと、自衛隊だと言っているわけですから、そういった意味においては、もうそもそも旧軍時代と今の現代とは違うわけですから、そこに連続性は私はないと思っています。

 ましてや、この六十数年間、この平和な日本の中でしっかりとした平和教育がなされている人たちが我々の自衛官として入ってきているわけですから、当然そこで、その時代の教育的な背景と歴史的な背景と今は違うということで、私自身は、あくまでもそこにある歴史をこういった形で書いておられるけれども、しかし、やれる任務という、やる任務というのは決して、旧軍時代とは全然連続性もないし、逆に言えば、もっと要するに日本の国を守るという純然たる部分で、外征軍ではない、要するに専守防衛の中で自分たちの任務を全うするんだということを考えているということを考えれば、当然これはもう連続性が私自身はないというふうに思っているところであります。

井上哲士君

 連続性がないのはそのとおりなんですね。にもかかわらず、それをつなげて考えて、そして、田母神さんが述べたように、戦前の軍が悪いことをしていたと考えたら元気が出ないという立場で教育などが行われてきたということの影響をしっかり見る必要があるんじゃないかということを申し上げているんですね。

 今配ったものの下から二段目のところをもう一回見ていただきますと、この駐屯地に誠心の碑という記念碑があるということを説明しているんですが、この誠心という言葉は軍人勅諭の真髄を表すものとされていますと、我々、久居自衛隊の隊員はこの誠心という言葉を心のよりどころとしてやっているということが書いてあるんですね。ですから、まさに軍人勅諭の真髄を現在も自分たちの心のよりどころとしているということを堂々と書いているというのは、私はやっぱりそういう懸念するような状況があると見るべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。

防衛大臣(浜田靖一君)

 その点については、確かにその軍人勅諭からこの言葉を、真髄を表すことというふうに書かれていますけれども、そこに書いてあるいい部分もあるわけですよね、当然。それ全部、軍人じゃないわけですから、自衛官の場合は、今。

 そういう意味においては、忠節、礼儀、武勇、信義、質素から成るというのは決して悪いことでは私はないと思いますし、いいとこ取りと言われるかもしれませんけれども、私とすれば、必ずしも軍としての在り方というよりも、そういった精神的な部分の今のこういった言葉に対して、意味は決して悪いことではないのかなというふうに思うんですがね。

 それで、建てられたものもこれ昭和七年のものですから、必ずしもできたときに新しく自衛隊が造ったわけでもないわけですし、そこでその中にある言葉の部分を、当然我々自分たちの方でしっかりと抽出していいものをやっていこうというのは、決して悪いことじゃないと思うんですけれども。

井上哲士君

 軍人勅諭の真髄というのは、まさに天皇に誠をささげ、そのために戦地に赴くということだったわけですよ。ですから、確かに忠節とか礼儀とか個々の言葉でとらえる問題ではなくて、あのやはり悲惨な侵略戦争を起こし、そしてまさに一億総玉砕と言って国民をあの無謀な戦争に巻き込んでいったという、その戦争推進の支柱だったのがこの軍人勅諭だったんですよ。それを私は、個々の言葉をとらえて肯定されるようなことを大臣が言われるというのは、これは問題だと思いますよ。いかがですか。

防衛大臣(浜田靖一君)

 先生、大変申し訳ないんですけれども、私とすると、軍人、今言ったように、天皇陛下というようなお言葉がありましたけれども、我々とすれば、戦後の中の体制の中でやっぱり自衛隊というのがあるわけでありますので、これがいいとは、何でしょう、言葉としては私はいいと思っていますけれども、ただ軍人勅諭云々の、今の自衛官の中にそういったものがあるというふうには私自身は思っていませんので、それだけが何か抽出されて言われるのは私としてはちょっと違和感があるので、逆に言えば、今の戦後の自衛隊としての在り方というものを考えたときには、その中にも、言葉としてはそういったものを当然当たり前のように人間としてやらなきゃいけないことも中にはあるわけですから、その部分がいいと言っているだけのことであって、軍人勅諭がいいと言っているわけではございませんので、その点も含めて考えて、これが駄目だから、要するに今連続性があって旧軍時代と同じじゃないかと言われると、そうではないんではないかなと私は思います。

井上哲士君

 そういうものに今の自衛隊のよりどころを求めるといういろんな動きがあるということ、そして、それと田母神氏のあの幹部教育というものが呼応しているということは、私は厳にしっかり見て、その全容についてしっかり把握するべきだと思います。

 強く求めまして、時間ですので、終わります。

資料


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