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2012年4月25日(水)

憲法審査会 4号

  • 「大震災と統治機構」をテーマに福島県双葉町の井戸川克隆町長、東北大の牧原出教授、京大の大石眞教授のから意見陳述を聞き質疑しました。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、三人の参考人、ありがとうございます。また、井戸川町長、本当に大変な中、御苦労さまでございます。

 地方自治にかかわって牧原参考人と井戸川参考人にまずお聞きいたします。

 非常に災害は多様だということが言われましたし、災害には顔があるということもよく言われます。被害の状況も違えば地域の状況や文化も違うと。こういうときだからこそ、むしろ地方自治の本旨を発揮するときだと思うんですね。

 被災地の状況を聞きますと、この間の市町村合併によって、非常に役場が遠くなってきめ細かな対応ができなかったということであるとか、そもそも職員であるとか施設がなくなっているというようなこともありました。そういう現状についてどうお考えか。

 そして、その上で私たちは、復興について決めるのは住民、やるのは地方自治体、そして財政は国と、これが大事だと思っておるんですが、そういう国と地方自治体の役割分担について今回の事態を踏まえてどのようにお考えか、それぞれからお聞きしたいと思います。

 それから、大石参考人にお聞きいたします。

 いただいたこの事前の資料で戦後憲法学についていろいろ言及をされておりまして、前提となる国家論が、一方で国家性の最小化を要請しつつ、他方ではその最大化を求めるアンビバレンスを呈さざるを得ないと、こう言われております。一方では、先ほどありましたような自由権に対する制約立法の合憲性で、公共の福祉を援用することについては批判が向けられる。一方で、この平等原則を使って、これが非常に拡大適用され、生存権の規定からは、当然に各種の社会福祉・社会保障政策を拡充すべきものとして説かれるようになってきたと、こういうことが書かれております。

 私は、十三条や二十五条に基づいて、単に生存権を規定するだけでなくて、国の責務を規定していたということは非常に憲法にとっては重要なことであって、それがいろいろ力になってきた、今回の災害においてもこれの考え方から様々な個人補償なども含めてつくられてきた、大変憲法の重要な特質だと思っております。実は、前回の参考人のときにも少しこのことを議論いたしまして、前回、参考人に来られた先生は、そういういろんな個人補償などの国家施策は非常に大事だけれども、しかし、この生存権や幸福追求権という形で本来個人がそういう権利を有しているかというと、国家からの給付について、そうではないんだというお答えでありました。

 私は、もちろん当然法制化ということは要るんですが、むしろここから直接的に導かれる、ここに非常に憲法の良さがあると思っておるんですが、その辺はどうお考えか、お願いいたします。

会長(小坂憲次君)

 それでは、牧原参考人からお願いします。

参考人(牧原出君=東北大学大学院法学研究科教授)

 御質問の中のまず市町村合併でございます。

 確かに、きめ細かい対応ができない自治体もあったかのように聞いております。ただ、一方で、今回の被害が余りにも甚大であり、かつ、特に海岸部の、リアス式海岸の地域の海岸部の自治体は、元々集落ごとにかなり、何といいますか、自立したといいますか、それぞれがそこで、その地域で生活を営んでいる中でどう連絡を取るかというのは、非常にこれ自体が難しいという問題が少なくとも初動の段階ではあったのかと。なかなか、市町村合併だけできめ細かい対応ができなかったかというと、合併していなくてもできない自治体が随分あったということをどう見るかという問題も含めて、やはり制度設計をもう一回見直す必要があるんだろうと思っております。

 それから、二番目の国と地方の役割分担ですが、初動においてやはり国の役割は非常に重要であるということはこれは言えますので、ここは今、大石先生のおっしゃられたある種の平常時の緊急事態というんでしょうか、その状態の中でどうこれを入れ込むかという問題が非常に重要だと思います。

 さはさりながら、現在のような復興の段階になってきますと、やはり今度は自治体の役割が非常に重要でございまして、今東北のその被災自治体で言われているのは、復興交付金であるとかあるいは復興特区の支出の決定において、その自治体内部での総合的な復旧という観点でなかなか見てもらえない、個別のメニューごとに判断される傾向が非常に多いと、ここが問題だというような声が上がっております。もちろん査定する側の論理はあると思いますけれども、特に被災していない、地域の中の被災していない地区をてこに復興を図っていくというのがやはり私は基本的な復興のスタイルだと思うんですね。ところが、被災していない地区にはなかなかそういう資金を投下しないというのが今の全体の傾向というふうに伺っておりますので、ここをどういうふうにクリアするか。総合性といってもいろいろなものがありますが、そこをきちっと見ていただいて、是非被災地の総合的な復旧復興に資するような、そういう国の対応が望まれる。そういう場合に、やはり自治体の役割というのは重要になってくるのではないかと考えております。

参考人(井戸川克隆君=双葉町長)

 当町は合併をしておりません。双葉郡の町村は合併はしておりません。それぞれの町村で今避難生活をしておりますが、双葉町についていえば、人口が少ないものですから、私は大変今回は助かったなと思っております。これが大都市だったらば、直接選挙で選ばれる人は小さくても大きくても一人です。ここにいろんな問題が集中した場合には対応が大変だと思います。

 したがって、この問題を感じたのは、東京電力が、保安院もそうですけれども、事故は絶対起こさないということに、私も手抜かりだったなというふうに思っております。というのは、町民と行政との役割分担、これをしておく必要が、絶対必要です。

 というのは、町を復旧するにしても、パワーを温存できるということと、自分が主役だという町民がいることは行政にとっては非常に助かります。当町の職員は今本当に半分は病気になっております。何人かはもう退職しております。そんな中で今頑張っておりますけれども、準備不足で、やはり一方的に町長を見る、このような形になって、私の方に背中を見せる町民は非常に少なくなりました。そんな中で、町としても行政としても、いろんな意味の負担、それから町民に対する享受、これには限界がございますので、どうしても住民にも応分の仕事を担ってもらうことが必要だと感じております。これは全国的にこういう意識を持つ必要があると思います。よろしいでしょうか。

参考人(大石眞君=京都大学法科大学院教授)

 統治機構の話ということで、余り人権の話は予定してこなかったんですが、井上先生からの御質問でございますので、一応私なりの考え方を要約して申し上げます。

 私がアンビバレントな状態にあると書きましたのは、やっぱり元々自由を保障するための憲法なんだという前提がございますと、要するに権力は最小化する方が望ましいという方向の議論がずっと優勢を占めるわけですよね。したがって、当然に民事不介入というようなことにもつながるわけですね。しかし他方では、十四条なり、あるいは二十五条なりを使ってできるだけそれは最大限保障すべきだという、請求権については言わば最大化を図るということでありますから、しかし請求権を保障するためには権力が必要でしょうと。それなりの配分する権力が必要なので、そこのある種の権力性を意識しなきゃいけませんし、同時に、自由を保障するということも非常に大事なことだということで、戦後の憲法学がどっちかに傾いたからけしからぬということを申し上げているわけではないんですよね。特に、憲法二十五条というのはGHQの草案にもなく、日本側の発意であれは入った条文ですから、非常に大事なことだと思っています。

 もちろん、アメリカを専門にする学者の中には、憲法はプロセスを定めるんだから実体的な権利とかなんとかはその次の話だというような論調の人もいるんですが、私は全然そうは考えないので、やはり十三条なり、あるいは二十五条なりは非常に大事なことだと思っていまして、そこの調和を図る、その調和を図るときの理屈をきちっと立てることが大事だということを申し上げているということでございます。


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