2002年9月2日
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厳しい暑さを避けるために朝7時にホテルを出て、王家の谷のあるルクソール西岸に向かいました。 まず着いたのが、ハトシェプス女王葬祭殿。この場所で97年、日本人観光客10人を含む56人が犠牲となった無差別銃撃テロがありました。犠牲となった日本人の中には新婚旅行中の方もいらっしゃたそうです。 調査団を代表して関谷会長が献花をし、全員で手を合わせました。 ハトシェプスは古代エジプト最初の女性ファラオ。自分の娘婿であるトトメス三世(即位時3歳)の共同統治者として即位し、その後、王権のみならず神権まで手に入れ、平和外交を展開してエジプトは栄えました。 はとしぇぷすは、自ら王号も使うことを許されなかったトトメス三世によるクーデターで命を落としたといわれています。トトメス参政の命令で、この神殿をはじめ、ハトシェプスのありとあらゆる像はこわされ、壁画や名前も削り落とされています。 当時の権力闘争のすさまじさをうかがわせます。
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ハトシェプス宮殿を後にして、王家の谷に向かいました。 トトメス1世以降、新王国のファラオたちは墓泥棒を避けるために自身の墓を岩窟に掘りました。この王家の谷には62基が発見されていますが、公開されているのは10基以下です。 墓の内部に入ると、通路や玄室の壁にヒエログリフが描かれています。つい最近描かれたような色鮮やかさで、これが4000年前のものとはとても信じられないほどです。 墓泥棒を避けるために岩窟に掘られたわけですが、実際は盗掘であらされました。ツタンカーメンの墓はほとんど略奪されない状態で発見された唯一の王墓ですが、その理由は、彼が18歳の若さで急死ししため、本来、大臣の墓になるはずだったものをもちいたらしく、非常に小さな墓だったから。実際、ツタンカーメンの墓に入ると、他のものよりも随分小さかったことがわかりました。 さらに王妃の谷などを回り、昼前にホテルへ。40度をはるかに越す暑さで、日差しも強烈でしたし、日本を出て一週間以上たっていることもあり、午後は、それぞれ休息。私も昼寝をした後、ホテルのプールでひと泳ぎ。ナイル河畔のプールで強い日差しのなか泳ぐのもなかなかよいものでした。
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夜7:30にホテルを出て、ルクソール博物館を見たあと、ルクソール宮殿へ。 ここは、昨日視察したカルナック神殿の付属神殿として建設されたもの。その荘厳さに、1799年のナポレオンの遠征の際、この神殿に至ったフランス軍は感動の余り最敬礼したといわれています。 とりわけ夜はライトアップされており、いっそう荘厳さを増していました。 第一塔門の前にはかつてはオベリスクという塔が二本立っていましたが、今は一本だけ。右のオベリスクは現在、パリのコンコルド広場に移されています。 この神殿の中には、イスラム教のモスクが建てられています。「13世紀に建てられた物です」と聞いても、「そんな最近か」と思ってしまうほど、時間のものさしが変わったような気持ちにされます。 夜8時を過ぎても、石が焼けており、38度の暑さでした。
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