2004年10月23日
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台風による大きな被害が出た兵庫県北部の調査へ自宅を七時過ぎに出発。養父市や豊岡市に入り、市長さんから実情や要望をお聞きするとともに被災現場を回りました。
新幹線で姫路まで行き、兵庫県議の筒井さん杉本さんらと合流。車で養父市に向かいました。養父市は合併後初の市議選の最中で、明日が投票日。現地の皆さんは、台風被害の復旧と選挙勝利に全力をあげておられます。センターにいくと、元京都府委員会で中央選対の水谷定男さんも支援でこられていました。
ここで衆院比例候補の平松さんとも合流。十分な挨拶を交わすまもなく、直ちに養父市役所へ。佐々木市長さんから状況や要望をお聞きしました。被災した住宅では電気製品や畳をはじめ大量のゴミが出ており、分別も困難な状況。「被災住宅のゴミの収集は無料で」と要請すると市長さんからは「その方向で考えている」との答えでした。
その後、集落全体が水につかった宿南地区を視察。水は引いて、町内や知人の方など総出でゴミや泥の大掃除の最中。住民の皆さんの表情には疲れの色が濃くなっています。
続いて、豊岡市へ入り、まず党但馬地区委員会へ。地区事務所も一回は一メートルぐらい水没し、泥などをかき出している最中。炊き出しのおにぎりをいただいた後、党豊岡市議の安治川、村岡、中家と打ち合わせし、中貝豊岡市長を訪問、状況や要望をお聞きしました。決壊した堤防の早期復旧や生活再建への国の支援が強く求められました。
市役所を後にして決壊した円山川の現場へ。70メートルにわたり堤防が崩れ、周りの田んぼや住宅は見渡す限り泥だらけです。26日までに復旧するために必死の作業が続けられていました。さらに周辺の江本地区を歩いて周り住民の皆さんを激励しながらお話を聞きました。同市の中心産業であるカバン製造業者の方は、百万円以上する機械二つと大半の材料が水につかり、途方にくれておられました。こうした損害への直接支援も必要です。
同地区にある民医連のろっぽう診療所も水につかりましたが、各地の民医連から30人も支援こられており、診療を再開するとともに、地域のお宅を一軒いっけん訪問する活動も行い、訪問先の要望に基づく往診や訪問看護も始まっていました。さすがです。
全体として、水はほぼ引いて、復旧作業が始まっていますが、道端にだされた大量のゴミで大変な交通渋滞。水も十分ではなく、多くのお宅は泥をかきだすのにもまだまだかかりそうでした。泥まみれになった畳は水をすってとても重く捨てるにも一苦労ですが、新しい畳を確保するめどはない状況です。
数日間、寝ることもできないような状況のなかでの復旧活動で疲労がたまり、さらに、将来の暮らしと仕事への不安もひろがっている状況。ボランティア夕の支援とともに、生活と仕事の再建へ希望のもとるような具体的な支援を国や自治体が示す必要があります。
五時半ごろに豊岡を出て姫路へ。大変な渋滞です。そこへ、新潟の大地震のニュースが飛び込んできました。一体、日本はどうなっているのか!。しばし絶句です。とにかく国対事務局と携帯で連絡を取り、明日朝、空路で新潟に入ることにしました。交通が寸断されており、どこまでいけるかわかりませんが、とにかく現場に行くことが先決です。
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