2008年4月29日
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京都在住の随筆家、岡部伊都子さんの訃報に接しました。享年85歳。自らの戦争体験から反戦平和を訴え続けてこられた岡部さん。9年前に「京都民報」で対談し記事を読み直して偲びました。
岡部さんはこの間、国政選挙での日本共産党の躍進に期待を表明して下さっていましたが、当時は、選挙とは一線を画しておられました。そんな岡部さんが対談という形で候補者への期待を表明してくださったは初めてのことでした。
対談の記事は、99年7月25日付けの「京都民報」。聖護院門跡のお部屋を借りて対談しました。岡部さんは婚約者、木村邦夫さんが沖縄で戦死したことを語られました。結核をわずらっていた岡部さんと戦場にいく彼。「死ぬもの同士だからせめて婚約させてやろうという親の愛情だったのでしょう」
初めて2人だけになった時、彼は「自分はこの戦争は間違っていると思う。こんな戦争で死ぬのはいやだ。天皇陛下のためになんか死ぬのはいやだ。君や国のためなら死ねるけど」とはっきり語りました。岡部さんは「私やったら喜んで死ぬけど」と答えたのです。
岡部さんは以来、自分があんな答えをしたために彼が沖縄で戦死したと悔やみ続けてこられました。対談の場で、まるで昨日のように彼とのことを語る岡部さん。病弱で小柄な岡部さんは小さな声で語られますが、そこ一言ひとことにこめられた思いは大きなものがありました。
「腹が立つのは立派な憲法はつくっただけで、魂を入れていないことなの」と語り、日米安保やガイドラインを日米による世界への宣戦布告よと断じられた岡部さん。私は、「岡部さんの思いを国会に届けられるようがんばります」とのぺて対談を終えていました。
「天皇のため」の戦争で、自分の婚約者の命を奪われ、反戦を訴え続けてこられた岡部さんが、「昭和の日」――昭和天皇の誕生日に亡くなられたのも歴史のめぐり合わせでしょうか。
天国で、木村邦夫さんと思う存分語り合っておられることでしょう。合掌。
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