2010年4月11日
清須市議選第一声/高山市演説会/アスベスト被害者/門さん大健闘
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朝から愛知の清須市議選の第一声で訴えた後、岐阜県高山市の演説会へ。夜、京都に戻り、選挙事務所で京都府知事選挙の開票を見守りましたが。門ゆうすけ候補は残念ながら勝利できませんでした。
自宅を7:20に出て、新幹線と名鉄を乗り継ぎ、清須市へ。清須市議選は合併後の4年前にも第一声の応援に来ました。その時は3人から1人へと議席を減らしてしまい、この4年間は佐々木ゆき子議員が1人で奮闘してこられました。
昨年10月に春日町とも合併し、今回は現職の佐々木さんと前回惜敗した加藤みつのりさんの2人の議席を必ずかちとる選挙です。まずは佐々木候補の事務所近くで第一声。続いて名鉄新清州駅前で加藤候補の第一声。
私は「4年前も応援に来ましたが、議席を後退させました。今回はなんとしても2議席をと志願して応援に来ました。候補の人物、実績とともに参院選を前にして政党の値打ちが問われる選挙です」と述べ、国会でも市議会でも光る日本共産党の値打ちをお話しました。
終了後、JRで高山へ。飛騨川にそって走る特急からの景色は、変化に富み、見あきません。下呂付近では満開の桜がとつても美しい。
高山に来たのは3年半ぶり。前回の演説会もあわただしい日程だったので、今度こそはと思っていましたが、今日も駅から演説会場にギリギリで到着し、かわえ明美比例候補とともに演説した後、駅に戻る日程。次こそは、ゆっくり町の風情を楽しみたいものです。
演説会終了後、かわえさんとともに出口で握手。まとまって参加してくださった三井金属神岡鉱山じん肺訴訟の原告や家族会のみなさんとも御挨拶しました。
JRの時刻までの1時間足らずでしたが、アスベスト被災者の羽根英成さんと懇談しました。市内でレストランを経営されていた羽根さんは、07年春に悪性胸膜中皮腫で、余命1年と診断されました。羽根さんは40年前の19~20歳のころ、19カ月間だけホンダの子会社で自動車整備の仕事をしたときにアスベストに被爆したのです。
以来、筆舌に尽くしがたい闘病生活を送りながら、労基署が労災認定したにもかかわらず会社の責任を認めないホンダを相手取り損害賠償を求める裁判を起こされました。「国会議員が高山に来た機会に、ぜひ話をきいてほしい」との羽根さんから申し出をうけての懇談でした。
「あとどれだけ命があるかわからないが、2度と再発を許さず、被害者の早期発見や救済を抜本的に拡充するために訴え続けたい」という羽根さんのいのちがけのお話をお聞きし、これまでの日本共産党の取り組みも紹介しなから、今日のお話を生かせるように頑張ることを御誓いしました。胸が詰まるような思いでした。
終了後、京都に戻り、20時半に門ゆうすけさんの選挙事務所へ。みなさんと開票を見守りましたが惜敗。家族とともに事務所に現れた門ゆうすけさんは、「みなさんの運動と私の公約を現職候補が取り入れざるをえないように追い込んだ。私自身は悔いのない選挙。臨床の場に戻り、これらからもご一緒に運動を続ける」と挨拶。大きな拍手で包まれました。
門さん、御苦労さま、そしてありがとう!
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