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2011年5月4日

③いわき市地震・津波・原発被害調査/復興プラン/ボランティア

 いわき市の被害調査の続報。大門議員らとともに薄磯地区の区長代理をはじめとしてたみなさんから地区の復興計画についてお話を伺いました。

 津波被災地域を非居住地域にし、高台に住宅地を造成すると同時に、地区の中心を走る県道沿いに、3階建以上の蒲鉾工場などを配置して雇用の場とともに防波堤と避難所の役割も果たしてもらう。さらに一階は土産物などの店舗として観光資源を生かすというもの。

 住まいと地域社会の再建と資源を生かした地場産業の再建を一体としたもので、地区役員の皆さんが熱く語られました。こうした地域からの論議が復興の何よりの力です。

 丁度のこの地域に全国からこられた日本共産党や民青同盟のボランティアの皆さんが入っておられました。京都からは前城陽市議の西さんが娘さんと一緒に来られていました。いや~こんなところで、と挨拶しつつ記念写真。

 その後、やはりいわき市内で中小企業経営者の方からお話を伺いました。原発事故で重大な影響をうけるなかでも従業員の首切りはせずに頑張っておられます。先日の第一次指針では補償の対象となっていません。

 早く補償を明確にさせるとともに、この間の国会質問で前進させてきた資金面での支援の内容なども業者の皆さんにしっかり伝えていくことが重要だと実感しました。

 これで調査を終了。早く現地に入りたったのですが、地方選の応援や国会質疑が連続したため、今日まで入ることができませんでした。来てよかった。今後の国会質疑等にしっかり生かします。東京に戻り、宿舎着は20時半。



②いわき市で地震・津波・原発災害調査/豊間・薄磯地区

 いわき市での調査の続き。小名浜漁港を出て、小名浜地域、永崎、江名を回った後、一番津波の被害が大きかった豊間、薄磯の地域に入りました。被災直後は道もがれきでふさがれていましたが、今は車は何とか通れるようになっています。

 豊間地区は約8割、薄磯地区は約9割の住宅が津波で破壊されました。いずれも、砂浜が広がる海水浴場の背後にある地域で、波が集まりやすい地形的な条件が特に甚大な被害を引き起こしたようです。

 津波は堤防を乗り越えて住宅地域を飲み込み、ほとんどが基礎だけ残しがれきの山に。いくつかの住宅は土台部分からちぎれ、まったく別の場所に流されていました。恐るべき津波の破壊力です。

 豊間地区の災害対策本部に長谷部前県議とともに立ち寄り、区長さんからお話を聞きました。区長さんからは隣の薄磯地区などとともに、津波で被害にあった地域は非居住地帯にし、隣接した高台に住宅地を造成して地域全体が移り住むという復興プランの説明があり、ぜひ応援してほしい要請をうけました。

 私は、「生活と地域社会の再建こそ復興の土台。上からの押し付けではなく、住民の皆さんの声を生かした復興計画を作ることが大切だと国会でも政府に迫っています」とお話しました。

 つづいて薄磯地域へ。ここは地区の規模も大きく、見渡す限りの廃墟に声を失いました。がれきは一部撤去され、小学校のグランドに山ができていました。

 基礎だけ残った住宅には、がれきの撤去作業の時に出てきたものでしょう、アルバムが置いてありました。押し流された住まいの中に、家族があり、たくさんの思い出があったことが胸に迫ってきます。

 ここで大門議員と合流し、近くの観光業者の方を訪ね、お話を伺いました。この地区にある海水浴場には、美空ひばりの歌にもなった塩屋崎灯台があり、美空ひばりの歌碑も立っています。

 年間40~50万人の観光客が訪れる人気の観光スポットですが、災害以降は通行止め。人気のアワビやウニも、原発事故被害で漁再開のめどは立っていません。雇用や資金繰りの問題など現状や要望をお聞きしました。

 地場産業の再建なしに住民の生活も地域社会の再建もありません。原発被害へのきちんとした補償と再建への公的支援が不可欠です。
 

 

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