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【2010年12月11日に都内で開かれた非核の政府を求める会が主催したシンポジウム
「『核兵器のない世界』への展望と被爆国の役割―2010年NPT合意から次のステップ」での報告

参議院議員 井上哲士


目次

一、「核兵器のない世界」をめざす国際社会のうねり―核兵器禁止条約の交渉開始が現実的課題となりつつある

二、日本政府は「核の傘」から抜け出し、「核兵器のない世界」へ積極的役割を

●「核抑止力」に固執し、国民の願いに背を向けてきた自民党政権

●民主党政権―政権交代直後の期待から、「自民党返り」への失望と怒り

●名実ともに「非核の日本」に進み、被爆国政府として国際社会の先頭に


NPT合意から次のステップへ、問われる被爆国政府の役割

一、「核兵器のない世界」をめざす国際社会のうねり―核兵器禁止条約の交渉開始が現実的課題となりつつある

 まず、核兵器廃絶をめぐる国際政治の到達点をどう見るのか、という問題です。一言でいえば、オバマ米大統領のプラハ演説をステップに、核兵器国の様々な抵抗、妨害はあるが、核兵器禁止条約の締結に向けた交渉の開始がスローガンから現実的課題になりつつある、といえると思います。

・重要な一歩―NPT再検討会議の「最終文書」

 この到達点を作る上で、今年5月にニューヨークの国連本部で行われた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は大きな役割を果たしました。五年ごとに開かれる再検討会議は、条約の見直しではなく、条約の運用を点検することに目的があります。そもそもNPT条約は、五つの核兵器国だけに核兵器保有を認め、他国にはそれを禁じた不平等なものです。そこで、条約は、核保有国に対し、核兵器を削減し、最終的にはそれを廃絶するための交渉を行うという義務を第六条に明記しました。しかし、米ソの核対立の下ではこの六条の交渉義務は棚上げにされ、問題になりませんでした。

 ところが、ソ連崩壊後、核保有国と非保有国という図式がはっきりと見えるようになりました。非保有国は核兵器を持たないという約束を守る一方で、核保有国は核軍縮・撤廃の努力をするというNPT本来の構図が浮き彫りになったのです。ですから、ソ連崩壊後に開かれた1995年の再検討会議以降、同会議は激しい議論の場となり、2000年会議の最終文書には「核兵器の完全廃絶を実現するという全核保有国の明確な約束」が明記されました。NPTの再検討プロセスが、核兵器を独占する仕組みから核兵器廃絶をめざす世論が結集する場へと変化したのです。

 今年の同会議で、全会一致で採択された「最終文書」は、(1)「すべての国が核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組み」が必要だと明記するとともに、(2)核兵器禁止条約の交渉の検討を提案している「潘基文(パンギムン)国連事務総長(5項目)提案に注目する」と明記しました。「核兵器のない世界」のための「必要な枠組み」といえば、核兵器禁止条約しかありません。同会議は、「核兵器のない世界」に向けての重要な一歩前進となりました。

・広島平和祈念式典での国連事務総長の挨拶

 さらに今年8月6日、潘基文氏は、国連事務総長として初めて広島の平和記念式典に参加し「私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)からグローバル・ゼロ(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影におびえながら暮らすことになるからです」と呼びかけました。

・国連総会決議。アジア政党会議「プノンペン宣言」

 流れはこれにとどまりません。第65回国連総会では12月初め、マレーシアやコスタリカなどが提案した、核兵器禁止条約の早期締結に向けた交渉の開始を呼びかける決議が、賛成133、反対28、棄権23で採択されました。

 同じく12月に初めにカンボジアの首都プノンペンで開催されたアジア政党国際会議第6回総会で「プノンペン宣言」が採択されました。この宣言では、「われわれは、とりわけ、2010年NPT再検討会議の最終文書で述べられている『すべての国が核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組みが必要である』との国際的合意、および核兵器禁止条約の交渉を含む国連事務総長の5項目提案を支持する」と明記されました。国連事務総長提案について、NPT再検討会議の最終文書では「注目する」とされていたのが、「支持する」と前進したのです。

・日本の平和運動と被爆者の運動の意義

 こうした情勢を切り開くうえで、日本の平和運動や被爆者の運動の果たした役割は巨大なものがあります。

 日本からNPT再検討会議に寄せられた691万の署名を受けとった、同会議のカバクチュラン議長が、会議冒頭の開会演説で、「昨日私は、市民社会が集めた署名を受け取りました。彼らの熱意はたいへん大きなものがあります。私たちはこの情熱にこたえなければなりません」とのべたことは感動的でした。

 8月の広島・長崎訪問から帰った潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は国連本部での会見でつぎのようにのべました。「(被爆の実相は)言葉にできない、私の想像を超えるものでした」「あのような苦しみを乗り越えた被爆者の勇気と力強さは、本当に感動的でした」「今回の訪問を通じて私は、核兵器のない世界の実現のために、力の限り、あらゆることをしなければならないとの信念を強めました」。

 日本共産党は、被爆国の党として国民や被爆者の運動と連帯してきました。NPT会議には志位委員長を団長とし、笠井衆院議員や私も参加する初の訪米団を派遣し、会議の成功のために奮闘しました。さきほどのアジア政党会議の宣言も、実は、原案には、核兵器の問題が書かれていませんでしたが、日本共産党の修正提案が、そっくりとりいれられたという経過があります。世界の核兵器廃絶の運動を励ます結果をうるために貢献できたことを大変うれしく思っています。

・米国未臨界核実験―プラハ演説に反する動きも

 一方、情勢には紆余曲折もあれば逆行もあります。オバマ政権が臨界前核実験を行ったことは重大です。これはプラハ演説にも核廃絶を願う世界の世論にも反するもの。そこには、アメリカ国内の様々な逆流や、この間の選挙結果も反映しています。逆流を許さないために、国際的な世論と運動で包囲することが決定的です。

二、日本政府は「核の傘」から抜け出し、「核兵器のない世界」へ積極的役割を

 国際世論を前進させるうえで、唯一の戦争被爆国・日本の政府の果たすべき役割は大きなものがあります。ところが実際には、被爆者と国民の願いに反し、国連総会で核兵器禁止の決議案に棄権するなど恥ずべき態度をとってきました。同時に、こうした表にでた態度だけでなく、国民に隠れて重大な対応をしてきたことがこの間、次々と明らかになっています。

●「核抑止力」に固執し、国民の願いに背を向けてきた自民党政権

・核持ち込みの密約を結び、国民を欺く

 まず、核密約の問題です。日本政府は、アメリカが日本国内に核兵器を持ち込む場合は、事前協議の対象であり、アメリカ側から事前協議がないので核兵器は持ち込まれていないと繰り返してきました。ところが、安保改定時に、核兵器を搭載した艦船や航空機の寄港や一時立ち寄りは事前協議の対象としないという密約を日米間で結んでいました。自民党政権は、アメリカの公文書間で公開された、密約をしめす討論記録などの動かぬ証拠を突きつけられても、元外務次官を含む4人の外務省元幹部が密約の存在について証言しても、いっかんして密約の存在を否定し続けてきました。

 しかし、政権交代後の調査で、「密約」の文書が外務省内に保管されていたことが明らかになりました。国会で虚偽答弁を繰り返してきたことになります。半世紀にわたり国民も国会も世界も欺き、「非核三原則は国是」だといいながら、それを空洞化させてきたことはきわめて重大です。

・「核の傘」への依存とアメリカの核政策への追随

(国連決議への対応)

 唯一の被爆国の政府でありながら、国民を欺き、核兵器の持ち込みを黙認してきた背景には、「核の傘」への依存があります。9月24日に報道されたNHK調査によると、この50年間に国連で採択された核廃絶や核軍縮を求める決議のうち、日本が賛成したのは半数余りにとどまっています。1961年から昨年までのおよそ50年間に採択された決議は562件で、うち日本が賛成したのは303件54%、反対は53件、棄権は206件です。報道では、「アメリカの賛成の比率が下がると日本の比率も下がるなど、日米両国の投票行動が、同じような傾向を示していた」と指摘しています。日本の消極的姿勢が改めて明確になりました。「核の傘」を危うくするような決議、アメリカの認めない決議には反対、棄権をしてきたというのが日本の対応です。

(オバマ演説受け、「核の傘」維持求める。トマホーク退役に反対)

 ですから、オバマ米大統領のプラハ演説に動揺したのが日本政府です。「毎日」(09年5月4日)は、当時の麻生総理が、プラハ演説の10日後にオバマ氏に親書を送り「日本にとって日米安全保障体制化での核抑止力を含む拡大抑止は重要」とクギをさしたと報道し、「日本は、核軍縮演説を受けて、すぐに核の傘の確認に動いたが、そうした反応は国際的には少数派だ」と書きました。

 それだけではありません。昨年5月に発表されたアメリカの戦略体制に関する議会諮問委員会の最終報告書に驚くべき記述がありました。米政府がトマホークの核弾頭を2013年以降順次退役させる計画を持っているのに対し、日本の政府当局者がトマホークの削減、廃棄に反対する働きかけを行っていたことが明らかにされたのです。報告書にはアメリカと協議した日本の大使館員の実名も明記されています。
さらに、昨年5月7日の米上院軍事委員会の公聴会で、この諮問委員会のジョン・フォスター委員が証言しています。「特に日本の代表は、米国の核の傘としてどんな能力を保有すべきだと自分たちが考えているかについてある程度まで詳細に説明した。彼らが語った能力とは、ステルス性があり、透明で迅速であること、また堅固な標的を貫通できるが、副次的被害を最小化し、爆発力の小さな能力を望んでいた」というもの。これは地中貫通型の小型核兵器が想定されます。日本政府は、具体的核装備も含めて要望をしているのです。

  「朝日」(09年11月6日)の報道では、「日本政府当局者は、米国に維持してほしい核戦力を『信頼性』や『柔軟性』など六項目に分類。近代化された核弾頭、原子力潜水艦、B52爆撃機などを具体例として列挙した書面を提示した」とのべています。つまり、核軍縮どころか、トマホークは降ろすな、地中貫通型の小型核兵器など近代化された核弾頭も保有しろと迫っていたのです。核の傘をもっと強くしろと迫っていたわけです。

・一方での「核保有」の検討―西独との懇談。外交政策大綱

 このように「核の傘」を求めながら、一方で「核の傘」がなくなれば日本が核を保有することを検討していたことも重大です

 10月3日のNHKスペシャル「”核”を求めた日本」で、69年2月に日本と西ドイツの外務省が箱根で会議を開き、日本側出席者が「10年から15年のうちに(日本として)核保有を検討せざるを得ない『非常事態』が起こると考えている」「日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することができる」などと発言したとされました。この報道を受けて前原外相が調査を指示し、その報告書が11月29日に出されました。この報告書では、「日本側出席者から報道されたような内容に関する発言が何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけています。

  さらに、この調査の中で存在が明らかになった、核兵器に関する外交文書が発表されました。その中には、1970年のNPTへの署名を前に、核兵器保有とNPT加盟を天秤にかけながら加盟の長所、短所を活発に論議していたことを示す文書があります。当時の外務省の外交政策企画委員会の議論の内容や、同委員会が作成した「我が国の外交政策大綱」です。

  「調査報告書」に引用されていますが、「政策大綱」では、「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう=制約)を受けないよう配慮する」という記述があります。さらに、当時の議論として「NPT加入のデメリットとして『核武装のフリーハンド』を失うことの是非も議論の論点の一つとして指摘されていた」と述べられています。

 しかも、「核の傘」に依存しつつ、核保有についても選択肢として持つというのは、昔の話ではありません。昨年6月の共同通信記事は、米大統領選挙中の08年9月に、ワシントンで、ペリー元国防長官らに対し、日本政府高官が語気を強めてこういったと述べています。「日本が核拡散防止条約に加盟したのは米国の核抑止力があったからだ。だから抑止の前提が崩れれば、日本は政策の根本を見直さざるを得ない」。記事は、「『核の傘』が弱体化すれば、独自核武装もありえない選択肢ではないという”脅し”が込められていた」と続けています。この時点でも核武装の選択肢を持っていることを示しています。

●民主党政権―政権交代直後の期待から、「自民党返り」への失望と怒り

 昨年の総選挙前の党首討論で当時の鳩山代表は、「(核密約は)あるという蓋然(がいぜん)性が高い。アメリカに行って事実を調査し、しかるべきタイミングで国民に説明します。(核を持ち込まないと)オバマ大統領を説得し、OKさせるまで頑張ります」と述べました。

 そして政権交代直後に外相は、核密約の調査を命じました。鳩山総理は就任直後に国連で演説し、「唯一の被爆国としての我が国が果たすべき道義的責任」を強調し「日本は核廃絶に向けて先頭にたたなくてはなりません」とのべました。国民の期待は高まりました。しかし、鳩山内閣が核抑止論の枠からは一歩も出ませんでした。鳩山氏がゆきづまって投げ出した後、菅総理は、アメリカと大企業にいっそうの忠誠をいました。様々な分野での「自民党返り」が進み、民主党政権への失望と怒りが進んでいますが、核兵器問題でも同様です。

・「核密約」―「討論記録」の存在を認めたが「密約」と認めず、廃棄しない

岡田外相は就任直後に核密約について調査を指示しました。日本共産党も調査について協力を惜しまないとして、これまでに米公文書館で入手した資料等を提供しました。調査の結果、政府は、核搭載艦の寄港は事前協議の対象としないという「討論記録」の存在を認めました。ところが、「討論記録」の存在は認めても、これが「密約」だとは認めませんでした。なぜか。予算委(10年3月24日)での私と外相との質疑で浮き彫りになりました。

 井上 「米国側は討議の記録に基づき、核搭載艦船の日本寄港は事前協議の対象外との立場だ。これは変わったのか」

 岡田外相 「アメリカの解釈は今も変わっていないと考えております」

 井上 「(アメリカに対し、その解釈は間違いであり)核搭載艦の寄港は許されないことを通告して解決すべきだ」
 ―これに対し岡田外相は通告はしないとの答弁です。なぜか。あれこれ答弁しましたが最後は、

 岡田 「アメリカは核の存在について明らかにしないという政策を取っている。日本はアメリカの核の傘によって日本の国民の安全を確保しております。そういう中で、アメリカの基本的な核政策を変えるということは、結局それは核の傘を危うくすることにつながるというふうに考えております」

 つまり、密約と認めれば廃棄通告をしなくてはならない、そうなれば核の傘が危うくなるという立場です。調査しても、アメリカが核搭載艦の寄港は事前協議の対象外だとしている現状には触れない。これでは自民党政権と変わりません。

・引き続く「核の傘」への依存―核抑止の呪縛にとらわれている点で同じ。

(国連総会決議への対応は踏襲。NPT会議でも核兵器禁止条約に背) 

 日本政府は、今年の国連総会で、核兵器禁止条約の早期締結への交渉開始を求めるマレーシアの決議案に棄権しました。外務省の資料では棄権した理由について、「我が国は、核軍縮の着実な進展を達成するためには核兵器国の関与を得つつ、さらなる具体的手段をとるべきとの立場。核兵器国を含む多くの国が受け入れていない核兵器禁止条約の早期締結につながる多国間交渉を開始することで、即時にかかる義務を履行するよう要請することは、かかる我が国の立場と合致せず」としています。

 インドの決議にも棄権しましたが、その理由を「核兵器国の合意を得つつ、核軍縮及び核不拡散における着実な進展を達成することの方がより効果的との立場」とのべています。これらの決議に棄権する態度も、その理由も自民党政権と何一つ変わっていません。 

 NPT再検討会議でも同様でした。日本政府代表は演説で、核兵器禁止条約は一言も触れませんでした。それだけではありません。同会議の第1委員会の報告草案で、「核兵器廃絶のためのロードマップを検討する国際交渉の開始」が提起されたことを受け、笠井亮議員が衆議院の外務委員会で、「被爆国の政府として当然この方向を支持すべきではないですか」と迫りました。岡田外相は、「非常に注目すべき点です。今までになかった提案です」といいながら、「核保有国が納得しうるものでなければ(最終合意は)難しい。簡単に『日本は賛成』とはいいにくい」と答弁しました。核兵器国、とりわけアメリカが認める範囲でしかものを言わない点が貫かれています。これが被爆国の外相の態度といえるでしょうか。

(広島での菅総理の記者会見)

 特に被爆者の怒りをかったのが広島での菅総理の発言でした。秋葉市長が平和宣言の中で「核の傘」からの離脱を求めたことに対し、総理は記者会見で、「国際社会では核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散の現実もあり、我が国にとって核抑止力は引き続き必要だ」と明言しました。被爆者から厳しい抗議の声があがったのは当然です。長崎では、前の年に当時の麻生総理が核の傘の必要性に言及したことも挙げ、自民党と何も変わらないと批判の声が出されました。

(アメリカの臨界前核実験に抗議もせず理解示す)

 アメリカが9月15日に臨界前核実験を実施したことが明らかになりました。オバマ政権になってから初めてで4年ぶりの実験です。「核なき世界」の実現に逆行するものです。広島の秋葉市長は「激しい憤りを覚え、被爆地ヒロシマを代表して厳重に抗議する」と抗議文を発表しました。ところが仙谷官房長官は抗議をしないどころか、「貯蔵する核兵器の安全性を確保するための実験であり、包括的核実験禁止条約で禁止されている核爆弾は伴わないと理解している」と理解を示しました。さらに「核なき世界」とは「矛盾しない」とまでのべて擁護したのです。

・「消極的安全保障」を主張―被爆国政府としての存在感なし。核兵器使用を容認

 民主党政権が強調するのが、核を持たない国には核で攻撃しない、いわゆる「消極的安全保障」です。NPT会議でも日本政府は、肝心の核兵器廃絶交渉については一言も言わず、「消極的安全保障」を主張しました。この議論が一定の前向きの意味をもった時もありました。しかし今、国際社会が核兵器禁止条約を現実的課題にしようとしている時に、この主張をする日本には何の存在感もありませんでした。

 こういう報道もありました。「カバクチュラン議長は、日本が推進する消極的安全保障について『「核の傘」の下の国には与えるべきではないという議論もある』と突き放した」(「朝日」、5月9日付)。大体、「消極的安全保障」という議論は、は核保有国に対しては使用を認めるものであり、核兵器のない世界とは相いれません。

●名実ともに「非核の日本」に進み、被爆国政府として国際社会の先頭に

・核密約を認め、直ちに廃棄を

 被爆国政府として今、何がもとめられているか。自分は核の傘で守ってもらっているといいながら、核兵器をなくせ というのは矛盾しており、核兵器廃絶への説得力を持ちません。「核密約」を認め、アメリカに廃棄を通告し、名実ともに「非核の日本」にこそ進むべきです。

・核兵器禁止条約締結のための国際交渉開始に積極的役割を

 これまでの日本政府は、「核の傘」「核抑止力」論の呪縛にとらわれて、被爆国の政府としての役割を何も果たせないできました。何とも情けない姿ではありませんか。核兵器禁止条約締結のための国際交渉開始についても「核保有国の納得がなければ難しい」として、一連の決議に反対してきました。しかし、核兵器国の納得がなければ難しいとあきらめるのではなく、納得させるために核兵器国に働きかけるのが唯一の被爆国の政府の役割ではないでしょうか。

 日本共産党は、NPT会議の際に各国代表らへの要請文で、「核兵器廃絶のための国際交渉」というのは、どういうイメージのものかを明らかにしました。それは、核兵器廃絶の目標そのものを主題として、この目標にいたるプロセスを検討する国際交渉。つまり、特定の提案への支持ではなくて、核兵器廃絶へのプロセスについての様々な提案をもちよって検討を始めようもので、多くの国々が一致できるものです。

 被爆国日本が、核兵器禁止条約の国際交渉開始に消極的立場から積極的立場に変わるならば、大きな推進力になることは間違いありません。その実現のために世論と運動をさらに広げようではありませんか。

□以上


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