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2011年4月19日(火)

法務委員会

  • 成年後見人を立てると機械的に選挙権を奪われる問題で質問

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 民事訴訟法の改正案については、国際的な民事紛争を裁判所の管轄権を定め、ルール化することは必要であり、紛争解決に役立つものだと思います。特に、消費者や労働者の権利保護に配慮した特例を新設するなど国民的利益にかなうものでありますから、賛成であります。

 そこで、民法と国民の権利に関連して質問をいたします。

 民法の改正によりまして、従来の禁治産制度を改正する形で成年後見制度が九九年に創設されました。この制度の理念、目的というものはどういうものなのか、まず法務大臣にお聞きします。

国務大臣(江田五月君)

 成年後見制度は、認知症であるとか知的障害、精神障害などの理由で判断能力が不十分な方々、これを保護する必要があるというのが、保護し支援する制度をつくるというのがその理念でございます。

 これは、こういう方々は、不動産や預貯金などの財産を管理したり、あるいは身の回りの世話をしてもらうためのサービスや施設への入所に関する契約を結んだりする必要がある。しかし、自分でこれらのことをするのが難しいという場合があるわけで、後見人等がその判断能力の不足を補うということにしておりまして、平成十一年、一九九九年の民法改正前はこの制度に当たるものとして禁治産、準禁治産というものがありましたが、これが十分利用されていたとは言い難い状況にあったので、自己決定の尊重あるいはノーマライゼーションといった現代的な理念を十分考慮して、これらの理念と本人保護の理念との調和を図りながら柔軟かつ弾力的な利用しやすい制度にしようと、こういう目的で現在の成年後見制度が導入されました。

井上哲士君

 自己決定の尊重、そして本人の保護、権利擁護が理念にあるわけですね。

 ところが、逆に権利が奪われるという事態が起きております。公選法の十一条一項の禁治産者は選挙権及び被選挙権を有しないという条項をそのまま引き継ぎましたので、被成年後見者も選挙権を奪われるということになっております。先日、成年後見を付けて選挙権を失ったのは憲法違反だということで、四十八歳の女性である名児耶匠さんが東京地裁に訴えも起こされました。

 なぜ、その禁治産の制度から発展をさせて自己決定の尊重そして本人保護という理念を掲げたにもかかわらず、その古い規定をそのまま受け継いで、この選挙権を奪うという規定を見直すことをしなかったのか、総務省来ていただいておりますが、いかがでしょうか。

副大臣(鈴木克昌君)

 御答弁させていただきます。

 今委員おっしゃったように、公選法第十一条、申し上げるまでもなく、成年被後見人については選挙権及び被選挙権を有しないというふうにされておるわけであります。

 そこで、お尋ねの、なぜ平成十一年の民法改正以前が、禁治産者についてはその要件が心神喪失の常況にある者であるから、行政上の行為をほとんど期待できないため、選挙権及び被選挙権を有しないこととされておったわけであります。

 この改正によって禁治産者というのは成年被後見人と呼称が変わったわけでありますけれども、その定義を、委員十分御案内のように、心神喪失の常況にある者から、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者に改められたわけでございます。その対象は一致をするということでありまして、選挙時にいわゆる個別に能力を審査するということも事実上困難であるということから、従前の禁治産者同様、選挙権及び被選挙権を認めないとされているところでございます。

井上哲士君

 当時の法改正のときも同じ答弁だったんですね。その後、しかし、国民の選挙権の保障について重要な判決がありました。海外在住の日本人の選挙権について争われた二〇〇五年の最高裁大法廷の違憲判決ですね。こういうふうに述べております。

 憲法の趣旨に鑑みれば、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきであると。そして、そのような制限をすることなしに選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない事情とは言えず、このような事由なしに国民の選挙権の行使を制限することは憲法に違反すると。非常に厳しい基準を示したわけですね。

 選挙の公正を確保できない事情がない限り制限してはならないと言っているわけでありますが、なぜ被成年後見人が選挙権を持つことが選挙の公正を確保できない事情に当たるんでしょうか、総務省。

副大臣(鈴木克昌君)

 御指摘の最高裁の判決にそのような記載があることは承知をいたしております。一方で、御指摘の最高裁判決は在外の国民の方々の選挙権の行使について争われたものでありまして、成年被後見人の方々の選挙権の有無について直接に判断をされたものではない、このように考えております。

 繰り返しになりますけれども、先ほどのように、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者ということが成年被後見人でございますので、従前から選挙権及び被選挙権を認めないということでありまして、そのことには一定の合理性があるといいますか、そういった流れであるというふうに理解をいたしております。

井上哲士君

 役所が答弁を書くと最高裁判決はそう読むことになるんでしょうが、今日、副大臣に来ていただいたのは、是非やはり政治家として普通に読んでいただきたいんですね。

 確かに、最高裁判決は在外の日本人の選挙権の問題で起こされた裁判です。しかし、判決そのものは広く選挙権一般について述べているんですね。こういうふうに言っています。議会制民主主義の根幹を成すものであり、民主国家では一定の年齢に達した国民の全てに平等に与えられるべきものであるというふうにしているんです。

 むしろ、日本に帰ったら選挙権が得られる当時の在外邦人と比べて、一旦選挙権を奪われますと回復できないんですね、被成年後見人は。おかしいといって、そういう法律を決めた国会議員を選び直すことも、その権利も奪われているわけですから、より深刻だと思うんですよ。しかも、選挙での判断能力を選挙権の条件にいたしますと様々な矛盾が出ております。

 これ、法務大臣にお聞きしますけれども、民法におけるこの被成年後見人の規定というものは、選挙での判断能力がないということが問われている規定なんでしょうか。

国務大臣(江田五月君)

 民法の規定は、選挙権行使の能力についてとは関係ないと思います。

井上哲士君

 明確な答弁なんですが、私、手元に最高裁の出した成年後見制度における鑑定書の書式というのを持っているんですが、この中にも、鑑定事項は、精神上の障害の有無、内容及び障害の程度、二つ目が自己の財産管理、処分をする能力、三つ目が回復の可能性、四つがその他でありますから、そもそも鑑定項目に選挙する能力はないんですね。ある意味で、高い能力が要る財産管理と選挙で判断する能力は全く別物だと思います。

 実際、千葉県の手をつなぐ育成会が二〇〇四年にアンケートをしておりますが、療育手帳の区分で、審判の申立てをすれば被成年後見人になる可能性の高い知的障害の最重度、重度三百十三人のうち八十七人、約二八%が投票に行かれているんですね。訴えを起こされた名児耶さんも、二十歳のころからずっとほとんど選挙に行っておられました。ですから、現に行っておられるんです。

 それから、例えば事故で高次脳機能障害になった方がいらっしゃいますが、記憶障害などがありますから、悪徳商法に引っかかることがあるということでこの成年後見人を付けるという場合もありますけれども、日常生活は普通に行えるんですね。もちろん選挙の判断も十分に行えるんです。

 ですから、財産管理能力の判断を選挙の能力とリンクさせた結果、財産管理の能力はないけれども十分に選挙の判断能力がある人からも、結果としては選挙権を奪うということになっているんですね。私はこれは許されないと思いますけれども、総務副大臣、いかがでしょうか。

副大臣(鈴木克昌君)

 委員のおっしゃることも分からないわけではありませんが、繰り返しといいますか、この裁定のというか決定の過程の中で、いわゆる本人からの申立てや鑑定やそして陳述聴取など、家庭裁判所で手続を経てこういう決定がなされておるのはもう御案内のとおりであります。

 したがって、今係争されておるということでございまして、私どもはこの係争の状況を、裁判の結果はもちろん注視をしていかなくてはいけないというふうに思っておりますが、現段階では、やはり行政上の行為についてほとんど期待するということはできないとなっておるこの現在の状況については、私は先ほどから申し上げておるように一定の合理性があるというふうに判断をさせていただいてもいいんではないかなと、かように思っております。

井上哲士君

 鑑定をしていると言いましたけれども、鑑定項目には選挙の能力というのはまずないんですね。

 一定の合理性があると言われますけれども、現に三割の例えば知的障害の方でも選挙に行かれていたのが行かれなくなる、高次脳機能障害の方が行かれなくなるということには、到底私は合理性は感じられないんです。

 もう一つ矛盾があるんですね。選挙の判断については同じ能力、そもそも私は、能力が問われるべきなのかということはあるんですね、誰でも与えられるべきだと思いますから。仮に能力を問うとしても、同じ能力の人が成年後見を申し立ててそうなれば選挙権を奪われるんです。しかし、申し立てなければ奪われずにそのまま投票に行くわけですね。これはやっぱり法の下の平等に反するんじゃないでしょうか。

 副大臣、いかがでしょうか。

副大臣(鈴木克昌君)

 確かに委員のおっしゃることはある種分からないわけではありませんけれども、いずれにしましても、先ほどからのまた繰り返しになって恐縮ですけれども、本人だとか配偶者、四親等内の親族、検察官などの申立てによって、いわゆる精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者ということで裁判所において手続をされておるわけでございまして、そういったことでいうと、繰り返しになりますが、私どもは今現在の状況では一定の合理性があるというふうに考えておるところであります。

 また、いわゆる成年後見の申立てをされていない方々ということでございますけれども、じゃ、選挙のときに行政上の行為が期待できるか否かの審査をその都度その都度するというのも、これはやはり困難なことであろうというふうに思っておりまして、いずれにしましても、法の下の平等に反するのではないかというお考えは分からないわけではありませんけれども、今の状況の中では、やはり手続においてそうされておるこの流れの中で私どもは判断をさせていただいておると、このように御理解をいただきたいと思います。

井上哲士君

 なかなか理解できないわけでありまして、個別に審査するのができないというのであれば、投票所に来れる人には認めるべきだと思うんですね。できるのに奪っているわけですから、これは本当に是非見直しをしていただきたいと思うんです。この規定があるために成年後見制度の利用をちゅうちょしているという方も随分いらっしゃるわけですね。国民の基本的な権利や法の下の平等にもかかわる問題でありますし、是非これは総務省任せにせずに法務大臣としてもいろいろ私は努力もしてもらいたいし、政治家としても努力も必要だと思うんです。

 先ほど紹介した最高裁判決では、海外在住者の比例は認めたけれども小選挙区、選挙区は認めなかったというのは、これは国会議員の不作為だということも指摘をされ、その後法改正をしたという経過があるわけで、私はそういうことじゃなくて、やっぱりこれだけの問題明らかになっているので国会動くべきだと思っておりまして、是非各党の皆さんにも御検討いただきたいわけでありますけれども、大臣の決意、最後にお聞きして、質問を終わります。

国務大臣(江田五月君)

 成年後見制度の趣旨は先ほど申し上げたことでありまして、不動産やあるいは預貯金の管理、あるいはいろんな契約を結ぶ場合に適切な判断能力を欠いているときに、成年後見制度をなるべく広く認めて、そしてこの支援によってそういう皆さんも社会で十分に社会生活を営めるようにしていこうということですから、これはなるべく広くした方がいいと。しかし、そのことによって一方で選挙権が制限されるというのは合理性があるのかという委員の御指摘は重要な指摘だと受け止めます。

 ただ、私は今法務省を預かっておりまして、これは法務省の所管でないのでそれ以上踏み込むことは差し控えますが、重要な指摘だと受け止めておきたいと思います。


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