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2002 年 5 月 7 日

法務委員会
商法質疑、アメリカの制度を導入する改正案に関連して

  • アメリカの制度を導入する改正案に関連して、米国と日本との法制や社会的背景の違い、監査委員会の問題点等について、参考人にただす。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、三人の先生方、本当にありがとうございます。

 最初に、岩原先生にお尋ねをいたします。

 著作の中、「商事法務」を読ませていただいたんですが、会社法の改正の留意点として、経済の効率化、競争力の向上への貢献ということを挙げた上で、それとともに公正や適法性も追求されなければならないことを強調したい、公正で適法な経営が、健全で競争力のある企業を育てることにもなるんだと、こういうふうに言われております。大変同感であります。

 その上で、我が国の実態に即した慎重な検討が必要だと述べられまして、特に会社法のアメリカ化の主張に対して、やはりアメリカの法制や社会にはそこから生じる弊害に対処できるような別の仕組みが備わっているんだということを強調されております。そして、アメリカの制度をつまみ食い的に参考にするのでは全体としてはうまく機能しないおそれもあると、こういう指摘もされております。

 今回、アメリカの仕組みを取り入れていくわけでありますが、ここで指摘されていますアメリカと日本の法制、社会の背景の違い、仕組みの違いについてお答えをお願いしたいと思います。

参考人(岩原紳作君)

 お答え申し上げます。

 一つは、企業の在り方そのものがかなり違っているというところは確かにございます。さっき、コンプライアンスの問題なんかが出ましたけれども、アメリカの企業の場合ですと、企業の内部自体にコンプライアンスの仕組みを作っているというところは昔からあったわけです。それを前提に監査委員会が機能する、それを監査委員会が更に上の取締役会の方にいろんなことを上げていくということになっているわけで、そういった点が日本でも当然やっぱり充実していかないと、アメリカと同じように機能しないということは出てきます。

 それから、さっき申しましたように、このモデルは外部監査、公認会計士監査が非常にうまく機能して、それによって取締役会に財務的な正しい数字が上がってくるということが非常にこのモデルが機能するために大きい条件になっているわけでありますので、そのディスクロージャーを充実し、かつ会計監査に関するいろんな意味での広い仕組み、会計ルールを含めてですね、それが充実していくということがこの制度がうまく機能していく大きい前提になると思います。

 その意味で日本で従来、それからもう一つ言えば、さっきから出ている問題として、本当に社外取締役として活躍してくれる人材の供給がどれだけあるのかということもやはり実質的なバックグラウンドとしてある問題であります。そういったことがすべてうまく機能したときに、アメリカ型のモデルというのもうまく機能していくということはかなり確かであります。

 先ほどからここで議論されておりますように、現時点の日本ですぐ日本の企業全体がアメリカと同じような形で機能できるかというと、まだそういった、そういう前提になるいろいろな言わばインフラの部分で必ずしもそうはなっていないということは私は事実だと思います。アメリカでさえさっき言ったようにいろんな問題が出ているわけでありますし、ましてや日本ではまだそういった点が必ずしも十分でないことは確かだと思います。

 そういう意味で、私も、日本全体がすぐアメリカ型のところに一〇〇%飛び付いていくということはとてもできないことだというふうに考えておりまして、そういった体制ができたところから順次そういったものも取り入れ、そしてそういった企業がさっき申しましたようにうまく成功するところが出てきてもらって、そしてそれによって日本のシステム全体がそういったアメリカ型のインフラが機能するようなものに移っていくということが一番望ましいのではないかというふうに考えている次第です。

井上哲士君

 七〇年代以降の商法改正を見ておりますと、企業の不祥事が起こるたびに監査役制度の見直しが叫ばれて、その権限の強化とか社外監査役の導入などが行われてきました。去年の臨時国会でも監査役の強化ということが行われたわけですが、この間の一連の不祥事でありますとか経営破綻ということを見ておりますと、この問題は引き続き日本経済にとって大変重要なことだと思います。

 今回のアメリカ式の委員会制度の導入に当たっては、日本の監査役協会などは、一部自己監査になるとか、それから監査委員会が常勤とされていないなど、現行の監査役制度よりも監査品質が低下するんじゃないかと、こういう懸念が出されておりますが、岩原先生と本渡先生、それぞれこの指摘についてどのようにお考えか、お願いをいたします。

参考人(岩原紳作君)

 お答え申し上げます。

 確かに、監査役協会が御指摘のように、少なくとも制度の表面を見ますと、監査委員というのは監査役と違って常勤者を必ずしも要求していない、あるいは独任制を監査役は取っているのに対して、監査委員会の場合は独任制でないというような違いもあります。

 ただ、少なくとも今回の法案について言えば、今の常勤のところはある面大きい違いではありますけれども、それを除けば、比較的従来の監査役と比較して、今回の社外取締役によって構成される監査委員会がそれほど大きく制度的に引けを取るものになっているとは私は考えておりません。むしろ、ある意味で言うと、やや監査役の制度に引きずられたものになってしまっているのかなという私は印象を持っております。

 監査委員会の場合は、やはり一番決定的に違うところは、社外取締役が過半数を占め、しかも社外取締役の選任過程が、さっきから出ております指名委員会によって、言わば経営者の影響力をなるべく排除したところから選ばれてくるということを前提にしているわけで、それが本当にうまく機能してくれれば、監査委員会であっても十分にむしろ独立した判断ができるがゆえにその機能を果たしてくれるんではないかというふうに考えております。

 なお、常勤の問題について言えば、なぜ常勤になっていないのか、私も詳しいことはよく分かりませんけれども、一つは、さっき言いましたように、根本的な考え方の違いがありまして、アメリカ型のモデルは、さっきから出ていますように、外部監査による会計的な数字を前提にそれを判断して、現在の経営者がきちんとやっているかどうかということを判断すると。

 言わば、素人であっても機能し得る、ただ、その代わりその素人の中に会計の専門家なんかを入れろというのはアメリカの考えですけれども、そういうものとして作られているために、日本的な言わば実査ですね、言わば、さっきちょっと本渡先生が御指摘になりましたけれども、監査役が実際にそれぞれのセクションのところを回ってみて、そこの伝票を見てチェックするというところまでは考えていない。むしろ、公認会計士監査がきちんと機能することを前提に、そこから上がってくる数字を言わば大所高所的に判断するという制度として監査委員会というのは考えられているために、そういう発想が余りなかったんではないかというふうに考えております。

 以上です。

参考人(本渡章君)

 お答えいたします。

 まず、一部自己監査になるという点につきましては、委員会等設置会社は執行役が業務執行をし、また大部分の業務執行の決定もいたしますので、執行役の職務について監査するのが中心になります。もちろん、取締役の職務の執行も監査いたしますが、この程度のことは余り問題にする必要はないのかなと考えております。

 次に、常勤の監査委員がいないという点ですが、それは先ほど意見陳述でも述べましたとおり、やはり監査委員自身がある程度、支店だとか事業所、部、そういうところを回って直接、従業員の人から、どうなっているのか、そういう調査をしてそういう事実を把握する、また従業員とのコミュニケーションを図るということが事実を認識するためには必要じゃないかなと考えております。

 したがって、この法律案ではもちろん常勤の監査委員が必要だとは書いてありませんが、法務省令で、内部監査システムを作るモデルですね、を作るときには常勤の監査委員も必要であるようなモデルを作っていただきたいなと考えております。

 以上でございます。

井上哲士君

 次に、中谷参考人にお伺いをいたします。

 株主利益とともに企業統治を考える場合に、従業員や顧客、取引先、地域社会、環境など、こういう問題に対する外部からのチェックということも大変重要だと思うんです。

 ちょっと前になりますが、九二年に文芸春秋に、当時、ソニーの会長だった盛田さんが「「日本型経営」が危い」という論文を書かれまして、当時、大変話題になりました。六点ほど、日本企業の活動について世界に通用しないということを盛田さんは挙げておられます。

 一つは、従業員との関係で、労働時間の格差が欧米と比べて大きい。二つ目に、従業員に対する成果の配分、これは賃金の問題ですが、これが欧米と比べて大変悪い。三つ目に、株主の配当が低い。四つ目、取引先、下請企業との関係が対等、平等でない。五つ目、日本の企業は地域社会の貢献に積極的とは言い難い。六つ目、環境保護及び省資源対策に十分配慮しているだろうかと。こういう六つのことを挙げられまして、こういうものを解決しないと、幾ら良い製品を安く作っても世界からはルール破りだとたたかれるだけじゃないかということを、外国に行かれた感想として盛田さんは書かれました。

 これは、ソニーの社内でこの論文というのはどんなふうに、中谷さんが取締になられたのは随分後ですけれども、受け止められて議論がされたんだろうかということと、中谷さん自身の感想といいましょうか、企業統治の関係でこういう意見をどう生かしていくのか。その点お願いいたします。

参考人(中谷巌君)

 ただいまの御質問でございますけれども、その盛田さんが書かれた論文に対してソニーの社内でどのような議論がなされたかについては、私は申し訳ありませんが、存じ上げません。私自身の感想を代わりに述べさしていただきたいと思います。

 ここで盛田さんが述べられたことのうち、言ってみれば、これは普通、ステークホルダーに対する配慮を企業はすべきである、単にストックホルダーだけではなくて、ステークホルダーも考えなきゃいけないという議論であります。

 結局、世界じゅうのいわゆる優良企業と呼ばれるものを考えてみますと、その多くは実は株主利益を追求しているのみならず、こういったステークホルダーに対してもある程度の配慮というものをしている、これが優良企業の定義だというふうに思います。

 私が考えておりますのは、やはり企業がここに今述べられました六つの配慮というものをそれぞれ改善していく、このために何が必要か。これは、実は限られた資本やあるいは労働力というようなものに対していかに効率的にこれを活用し、それぞれの能力を発揮できるようなそういう企業環境を作るかということだと思うんですね。結局、仮に、いや、我が社は従業員を絶対大事にしますという企業があったとしても、それ自体はすばらしいことであるにしても、もしこの企業が経営がうまくいかなくてどうしても利益が出せないというようなことになりますと、もちろん労働者に対する賃金配分もうまくいきませんし、あるいは地域に貢献するとかそういうきれい事もうまく思うようには実行できないということになります。

 したがって、今回議論されておりますコーポレートガバナンスの問題というのは、やはりいかに限られた資源の下に企業がダイナミックに発展できるか、そういうことを可能にする統治のシステムというのはどういうものであるべきかという、そういう観点から議論されるべきことだと思うんですね。そういうことが可能になれば、自動的に高い賃金も払えるかもしれませんし、あるいは従業員を重視するというような人事政策も当然可能になるでしょうし、やはり経営効率が非常に悪いような状況を温存したままで、そのほかの、ここに書かれているいろんな問題、地域社会への貢献であるとか環境への配慮でありますとか、そういうことだけやりなさいといっても、実力的にこれはできないわけですね。

 そういう意味で、こういったステークホルダー全体に対する適切な配慮というものが可能になるという、そういう目的のためにも、日本のインサイダーだけによるコーポレートガバナンス、現在のガバナンスの欠如という状態を何としてでも是正していかなきゃいけない、そういう状況にあるのではないかと私は認識しております。

井上哲士君

 ステークホルダーへの配慮ということでありますが、七〇年代の日本の、これは岩原先生にお伺いをいたしますが、七〇年代の商法改正の議論の中でやはりこの企業の社会的責任という問題が議論になりまして、例えば商法総則の中に民法の一条に類似をした社会的責任原則を置くというような議論もあったかと思うんですね。

 それで、アメリカをちょっと見てみますと、八三年にペンシルベニア州において会社法の中に社会的責任を明記をしたというものができたとお聞きをしております。取締役に対して、会社の最大の利益を検討するに当たって会社の従業員、供給者、顧客、会社の事務所又は施設のある地域社会及び他のすべての適切な要因を考慮することができると、こういうことが入れられて、その後、九〇年代にかなりの州でこれが広がったと。私、九四年時点で二十八の州にこういう取締役の社会的責任規定ができたということを見たんですが、アメリカでこういうものが、できるという規定なわけですけれども、こういうものが九〇年代に広がっていったその背景と、そして日本でもこういうものを規定するという点では、例えば法制審などではどのような議論がされてきたのか、その点お願いいたします。

参考人(岩原紳作君)

 お答え申し上げます。

 アメリカでこういった、今、先生がおっしゃったようなタイプの社会的責任に関する規定が広がった背景、細かく調べたわけではございませんけれども、私の印象では、これは一九八〇年代から九〇年代に掛けて M アンド A のあらしが吹き荒れたときに、経営者が株主の利益を言わば制限する形で M アンド A に対する対抗措置を取ることを認めるための根拠規定として使われた。今、先生おっしゃったとおり、正に考慮することができるでありまして、考慮しなければならないではないんですね。言わば、経営者が自分に都合のいい、はっきり言えば自分の地位を守れるように、M アンド A に対抗できる措置が取れると。その理由として、例えば地域経済を守るとかあるいは従業員の雇用を守るとか、そういったことを理由に、つまり乗っ取られるとあそこの工場は閉められるぞ、あるいは売っ払われるぞといって、それに対抗することは正に従業員の雇用や地域経済等を守るための正当な行為であり、そういうために対抗措置を現経営陣が取ることは適法だということを言わば認めさせる手段として使われた立法が多かったように私の印象ではございます。

 ですから、ここで重要なことは、私も、企業がおっしゃるようなステークホルダーの利益を守るという意味での社会的責任を果たすべきだというのは私もそう思うんですけれども、ただ、そういった規定を設けることは非常に注意しなければいけない。今申しましたように、表向きは非常に美しいことが書いてあるけれども、実際は現経営陣が自分の地位を守るために使うというふうな危険が十分あるわけでありまして、そこで言わばそういう一般規定を置くということは、ある意味で一面で危険性があるわけなんですね。

 ですから、本当は、むしろそういったステークホルダーの利益を適切な範囲で守らなきゃいけないということは、むしろ個々の問題ごとに法律の中で規定していくのが一番望ましいのではないか、むしろ一般規定は下手をするとそういう危険があると。むしろ、個別の問題ごとにそういったことを認めていく、それを法律の中で書いていく、それが私は望ましいことだというふうに考えております。

 以上です。


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