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井上哲士ONLINE
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2004 年 6 月 11 日

イラク・武力攻撃事態特別委員会


井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、四人の参考人の方、貴重な御意見をありがとうございます。

 まず、田中参考人にお伺いをいたします。

 先ほどのお話の中で、軍事緊張のエスカレートを組み込んだ法制を制定することが周辺アジア諸国との関係にもたらす影響をよく考える必要があると、こういう御指摘がありました。

 かつて侵略を行った日本が、戦後、国際社会に復帰する際にこの平和憲法を掲げたわけでありますが、そうした今日のアジア情勢とも絡めながら、憲法と今回の有事法制との関係で御意見を伺いたいと思います。

参考人(田中隆君)

 実は、有事法制論議を通じて、全体として、憲法あるいは憲法の理念、あるいは憲法というものに対する近隣アジアの方々の理解、認識についての検討が十分ではないんではないかというのを憲法にかかわる仕事をしている弁護士として懸念をしています。端的に言って、有事法制そのものが内容的に見て憲法に直接抵触するという内容も帯びていることは法律家の目から見れば私は明らかだと思っているんです。

 言わば法律の組合せで説明がされます。周辺事態、さっき例出しましたが、周辺事態では、米軍が武力行使をしています。自衛隊は後方支援しています。それが予測事態になります。その米軍に弾薬を供給します。これについて、法律上の説明であれば、二つの法律それぞれやっているんだから全く別なんだという説明は法的にはまあ一応可能なのかもしれないんですが、現実にそれが軍事や外交の世界あるいはアジアの目から見たときに、私には、ちょっと法律家が言うのは何だと、どうかと思いますが、レトリックにしか思えないんです。

 たしか石破防衛庁長官の答弁でしたか、外から見たら一緒にやっているように見えるねという言葉がありました。法的には違うけどと、こういう説明付くんです。法律的には違うかもしれないが、実はむしろ大事なのは、外交や政治や軍事の世界では、相手がある話なんですから、それぞれの国からどう見られるかという実態なのではなかろうかという気がします。

 もう指摘するまでもなく、海上輸送規制法は交戦権、否認された交戦権を使ってしまうことを、事実を、素直に読めばそうならざるを得ないと思いますし、先ほど予測事態の艦隊や空軍の集結が武力の威嚇と相手の国に取られてもしようがないということも指摘をしました。それぞれが憲法の条文あるいは憲法理念に抵触すると思います。

 ただ、より大きな問題は、そういう軍事法を今作っていくこと、その大本のシステムを発動させることが、これまでこの国が進んできた、いろんなことがありましたが、進んできた、平和憲法の下で進んでいくというありようを変えてしまう、少なくとも変えたというふうに理解されてしまうことではないかと思います。

 この間、例えば朝鮮半島、韓国の法律家とは何度も行ったり来たりして議論をしてきました。韓国の弁護士集団、自由法曹団のような集団があるんですが、その弁護士に言わせると、今や北朝鮮は脅威じゃないんだと。自分たちにとって一番脅威なのは、日本がどう軍事化して、アメリカ、韓国をさておいて武力行使に踏み切ってしまう、その条件を開くんじゃないかというのを繰り返し言います。何で日本に平和憲法があるのにそうなるんだという疑問をやはり持つんだと思います。

 アフガンやパキスタンの方にもかかわりましたが、この国の理解は、やはりさっきも先生おっしゃいましたが、敗戦があり、そしてそこから平和憲法を持って立ち直った国だということに対する評価が大変大きい。これこそがこれからの国際貢献に生かしていく非戦の道、もう私、政治専門家じゃないから繰り返しませんが、予防外交であるとかあるいは復興支援であるとか、非軍事、民生の方法は十分あるはず。それを有事法制作ることによってねじ曲げてしまうことになる。憲法を、平和憲法を持った国という理解を失ってしまうという気がします。

 なお、その平和憲法について、時代が変わったから憲法も変わるべきだという議論がどうもあるかと聞いています。率直に言うと、理念という点でどこが一体変わったのか、私には理解ができません。あの憲法が制定された、六十年、制定史を読んでも基本にあったのは非戦という考え方、皆さん方の先輩の議員の皆さんがそう国会で答弁されました。六十年たって冷戦が崩壊をして、今もう一度戦争の、あとテロの時代を迎えて、そうして今世界で叫ばれているのが正に非戦であり、平和的、平和の構築ではなかったかと思います。その理念を示した平和憲法こそこの国が実践すべきだし、仮にも有事法制を制定することによってその憲法の理念をねじ曲げるべきではないというのが私の意見です。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 もう一点、田中参考人にお伺いをしますが、米軍が行う作戦行動とのかかわりについても先ほどお話がありました。イラクなどの事態を見たときに、様々な先制攻撃等に日本が関与をしていくということの関係で危険性が指摘をされたわけですが、国会の中では政府は、アメリカとの信頼関係、そしてアメリカというのは国際法を守る国なんだから大丈夫なんだと、こういうことが繰り返しあるわけですね。一方で、法的にはこのアメリカが行う行動に何ら制約がないんではないかと私は見るんですが、法律家としてこうした関係についての御意見をお願いをいたします。

参考人(田中隆君)

 これも実は三年前からの有事法制の議論を通じての法的にも重大論点の一つだっただろうと思っています。

 あの事態対処法制の前提にある武力攻撃事態法、その事態法によって米軍の行動をサポートします。どのような行動がサポートされるかということについて、法律上書かれているのはただ一つなんです。日米安全保障条約に基づいて武力攻撃を排除するために行う行動、簡単には安保に基づいた行動をサポートすると、こういうことしか限定がありません。じゃ、その米軍がどのように行動するのかということは、政府が取りまとめて、そして国会に提出する対処基本計画にすら書かれませんから、国会の側から米軍の作戦の枠組みや行動の枠組みについてチェックすることもできない、あるいは条件付けることも法的にはできなくなります。もちろん、国民には全く知らされないことになります。じゃ、戦争だからそうだというふうにならないのは、自衛隊の作戦については対処基本計画に書かれて、大綱でしょうけれども、明らかにされ、そして国会でチェックされる、議論の対象になるんです。米軍だけが同じ戦争の場面でフリーハンドになっているとしか考えられないんです。二年前も私ども指摘しました。

 どうやらそれについては、米軍というのは日本の主権の下にはないから法令では規定できないんだとされているものだと思われます。その一点はそうかもしれません。しかしながら、主権を言うのであれば、米軍を日本の主権の下の国土でどのように行動させるかとか、ましてや日本や日本の国民がどのような行動を支援、サポートするかについては、これは主権国家の日本が自主的、自立的に決定できるものではないのかと私どもは指摘したんですが、残念ながら有事法制全体通してそのようなアメリカに対するこの国の自立の法的担保が全くありません。

 先ほども多少議論が出ましたが、その米軍が例えば、国際法に抵触すると私は思っていますが、先制攻撃を行っているとか、残虐無比な劣化ウラン弾を使用しているとか、あの刑務所で拷問等があるなどというのはもう公知の事実になっている。今度この有事法制の下で同じことをアメリカがやったときに、どうチェックするんだという問題が起こります。

 で、政府がそれを万全にチェックするという姿勢をお持ちなら、運用上のチェックも法律は確かに可能ですからできるかと思うんですが、率直に申し上げて、この国会、衆議院、参議院ともに、あの政府が答弁された姿勢ではそれが十分できると思えないんです。先制攻撃と言うけれども、国連憲章に合う自衛権を越えてやっているとは思わないとか、あるいは拷問についても、アメリカは国際人道法、ジュネーブ条約を遵守する国だと考えるとか、劣化ウラン弾は健康上被害があるということはきちんと言われているわけではないとか、事実上アメリカ追認型の答弁が余りにも目立ちます。

 世界には確かに事実を裁く法廷はありません。ありませんが、仮にそのような法廷があったとしたら、このような事実認定に裁判結果は、私、ならないと確信を持ちます。はっきり言って、その政府の姿勢がきちんとしない間に、アメリカにフリーハンドを与えるような法制を作って、本当にこれでいいんだろうかという懸念を持つ次第です。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 今、憲法と安保のことなどについてお聞きをしたわけですが、次に浜谷参考人にお伺いするんですが、九八年に出された「防衛法研究」に書かれたものを読んでおったんですが、このように書かれております。「政府解釈による「憲法の枠内」を厳格に当てはめれば、安保条約の運用上の効率は相対的に低下しかねないばかりか、真の同盟関係を崩壊させかねない事態も想定される。」と。「また逆に安保条約の実効性を向上させ、国家の独立と安全および国民の生命と財産を守ろうとして防衛協力を推し進めれば、限りなく政府の憲法解釈の枠外、とりわけ集団的自衛権行使の問題につきあたるのである。」と。こうした上で、「したがって両者を満足させようとすれば、憲法解釈の枠内での最大限の実効性確保という、常に違憲の疑義にさらされながらの困難かつ中途半端な政策に終始するか、論理優先の非現実的解釈で実態を糊塗するしか選択肢はなくなる。」と、こうお書きなんですが、今回の法案というのは、先生の言われたこの選択肢ということからいえばどういうところに当てはまるんでしょうか。

参考人(浜谷英博君)

 それが、その解釈が非常に積極的に有効になるというふうに考えます。要するに、そのぎりぎりの選択肢、ぎりぎりの選択肢の中で実態を糊塗するようなことをやり続けていたんでは、いわゆる独立国としての安全保障政策そのものが立ち行かなくなる、それはもう先生もお考えだと思いますが、全く同じです、それは。

 したがって、国家として何をすべきなのかという国家戦略というようなものをきちっと打ち立てるためには、どうしてもその今の政府解釈の一部であるとか、そういうものを変えなければしようがない、若しくは憲法の改正にまで踏み込んでそういうものをやらなければしようがない、それがいわゆる国民の意思であるならば、そういう形でそれをすっきりさせた方がいいと。ですから、今のような綱渡り的な解釈をやらなければいけないような、そういう実態はおかしいのではないかという意味で書いたのですから、今の場合はそれがおかしくなくなる可能性が一つ増えたということで、要するに評価しております。

井上哲士君

 次に、西井参考人にお伺いをいたします。

 先ほどのお話の中で、大規模テロへの対応のことで、その被害国がこのテロに対しての武力行使を行うことは国際法上あり得るんだというようなお話がありました。それについてはいろいろ議論はあろうかと思うんですが、例えばアフガニスタンに当てはめた場合に、仮にアルカイダに対しての武力行使が可能であったとしても、実態としてはアフガニスタンという国に対する武力行使が行われたわけですね。こういうことが許されるような国際法上の根拠があるんだろうかと思うわけですが、その点、いかがでしょうか。

参考人(西井正弘君)

 お答えいたします。

 先ほども申しましたように、基本的には国際社会というのは国家を単位としておりますので、私的な団体というふうに言うことができるテロ集団が行った行為に国家がどの程度の関与をしていたのかということが一つ問題になろうかと思います。

 直接、国家の指示、指令に基づいてテロ集団がテロ行為を行ったのであれば、それは当然その国家そのものの責任になろうかと思うわけです。ところが、アフガニスタンの場合、タリバン政権というのはそこまでアルカイダに指揮命令をするという行為を行っていたかどうか、それははっきりしておりません。

 そうではなくて、私的なアルカイダというテロ行為をタリバン政権があるいは黙認をしていたのではないかという、そういう考え方はできるかと思います。その場合に、国際法はこれに対してどういう措置を取り得るのかということにつきましても必ずしも明快な見解が出ているとは申せません。

 ただ、先ほど、指示、指揮命令とか、あるいは支配というような場合とか、あるいは国家がテロ行為を認知し採用したような場合、こういった場合は明らかに国家に責任が帰属するという考え方が二〇〇一年に国連国際法委員会で採択された国家責任条文草案の中に明記されております。ですから、国際法の観点からしますと、そこまでは明快だろうと思います。

 問題は、その私的なテロ集団に対して実質的な関与をする場合ということと、それから黙認をした場合だと思いますけれども、実質的な関与があればそれは場合によっては他国に対する国家自身の違法行為だというふうにとらえる考え方は、一九七四年に国連総会が採択しました侵略の定義という決議で規定されております。

 ですから、そこまでは国際法に違反する行為だというふうに言えるかと思いますが、御質問の最後のカテゴリーの場合、黙認をしていたという程度のときに、アフガニスタンという国家に対して軍事的な行動をアメリカが取ったらアフガニスタン国家に対する攻撃に当たるのではないかという御質問ですと、そこについては国際法が必ずしも明快には規定しておらず、私自身は、それもアルカイダに対する攻撃を受忍しなければならないという程度の責任をタリバン政権は負っているというふうに私は考えております。

井上哲士君

 タリバン政権崩壊後も様々な攻撃もあるわけでありまして、どういう説明が付くのかなと思うんですが。

 もう一点、西井先生にお伺いしますが、憲法と海上輸送規制法についての問題ありというお話もございました。当委員会でも議論になってきたわけですが、政府は、自衛権の行使とは別に自衛権に伴うものが停船検査なんだという説明をしまして、先ほどありましたような範囲などについて、拿捕と多少違うんだと、こういう説明をするわけですが、実際には、先ほど言われましたように手続的には余り中身的にも変わらないということなわけで、自衛権の行使と自衛権に伴うものとして使い分けるということが国際法の立場からいかがなんだろうかという点、いかがでしょうか。

参考人(西井正弘君)

 その自衛権に伴うものという発言につきましてちょっと十分に承知しておらないものですから、少しお答えが的外れになるかもしれませんが、私自身の見解を申し上げますと、先ほども意見陳述の中で申し上げましたが、これはやはり国際法の観点から見ますと交戦権の行使であるというふうに私は考えております。

 ところが、国際法上は我が国は別に交戦権を否定されているわけではございませんので、当然国家としての交戦権はあるわけですけれども、憲法解釈の問題としてそれを行わないというふうに言っているものですから、恐らく政府の答弁では、自衛権あるいは自衛権に伴うものという理由付けでもって正当化しておられるのだろうと思います。

 私自身は、仮に今回この法案で行われている措置を実施したとしましても、もちろん海上捕獲そのものの歴史を見ましても、それをやれば当然中立国との間では摩擦が生じることは過去の歴史が示しているところでありますので、起こり得るかもしれませんが、国際法で認められたその海上捕獲の要件を満たしてさえいれば、国際法の観点からは違法性を問われるということはないというふうに判断しております。

井上哲士君

 最後に、田中参考人にお聞きしますが、先ほど浜谷さんの、先生のお話では、国民の権利の配慮は世界一だと、この法案はと、こういうお話もありました。

 法律家としてはいろんな国民権利の問題の御懸念があろうかと思うんですが、その辺りをお願いをいたします。

参考人(田中隆君)

 簡単に申し上げます。

 そもそも論からいいますと、自由法曹団の立場からいいますと、戦争というのは人間を殺傷して物を破壊することを正義あるいは大義とするという、そういう性格を持っていますから、最大の人権侵害は戦争そのもの。そうすると、その人権を守って戦争をすることができるかと考えると、私どもは一般にはそれはそもそも形容矛盾だというふうに答えます。本当に人権を尊重しようと思うなら、どんなに苦労をしても戦争をしないことだ。してしまえば、幾ら法を規定したところで残念ながら人権は抑圧されるだろうと、これは一般論なんです。

 ただ、そのことをおいても、今回の有事法制や事態対処法制の中に、やはり国民の人権を直接制約する原理や法理が随所に盛り込まれているということは直視しておく必要があると思います。自衛隊法による保管命令違反とか、あるいは国民保護法制による立入禁止違反とか、もう数え出すとかなりの数に上ります。

 確かに、戦前のあの治安維持法のように言論、思想、信条を直接取り締まる条項はないんですが、最終的には刑罰規定でもって国民の行動を規律させますから、それが、さっきから繰り返して指摘している、例えば演習や訓練等々で地域を覆っていったときには、やはり平時からある種の威力を発揮することになると思うんです。現実に演習が行われると、本来、任意のはずですね、反対する、嫌だよと言ったときに、確かに捕まりません、しかしながら、村八分にはされる可能性があるというような構造になっておると思います。

 なお、この間の審議等で、基本的人権を尊重するという規定は入っているんですが、どうも答弁とか運用を考えると十全と言いにくいのも懸念するところです。二つほど挙げておきます。

 一つは、報道については最大限自由だというふうに理解をしていたんです。ところが、どうも答弁を読んでいますと、民間放送が知り得た軍の装備、人員、輸送道路等が放送されるのは敵を利する、日本のためにならない、よって放送が制限されるのは当然だと言いつつも、その言論、表現の自由が利敵行為というふうに理解して表現されている答弁が目立ちます。今回の修正でも、どうやらその報道の自立性については見送られていますから、やはり報道というものについての自由が万全とお考えかどうかについては懸念が残ります。

 もう一つ懸念は外国人の人権の問題で、何度も指摘が国会でもされていますが、国民保護法のどこにも外国人に対する取扱い上の差別を禁止した規定は入っていません。答弁では、人権規定は性質上適用されないものを除いては外国人にも適用すると、こうは言っているんですが、事は選挙権の議論をしているわけじゃないわけですから、国民を保護する、住民を保護するときに適用できないような人権があるならあるで、これはもうはっきりさせるべきですし、そこをあいまいにすれば、結局、敵性外国人的な理解を生み出していくことになるのではないかという懸念をしています。

井上哲士君

 ありがとうございました。


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