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2004 年 5 月 12 日

憲法調査会


井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は三人の参考人の方々、本当にありがとうございます。

 最初に、浦部参考人にお聞きをいたします。

 先ほど来、いわゆる正当性という問題が議論になっておりますけれども、手続的問題と同時に歴史的問題、そして国際的な進歩の流れとか、そういうことも含めて私は見ていくことが必要かと思います。

 土井参考人が紹介されたエピソードで、過去の主権者が現在を縛るというだけでなくて、いろんな果実もあるんだというようなこともありました。やはり現憲法の制定過程ということを見たときに、人類の歴史でかつてなかったあの戦争の惨禍を踏まえて作られたということを見逃すわけにはいかないと思います。

 そういう点で、浦部参考人は、この改正に限界があるということを言われ、その中で九条の問題や、そして手続の問題なども含めて言われておりますけれども、そういう歴史や国際的な流れ、そういう文脈の中からこういう点を挙げておられることについて、少し背景などについて御意見をお願いしたいと思います。

参考人(浦部法穂君)

 この改正の限界というのは、これは先ほど申し上げましたように、改正の実は概念の問題でありまして、現行憲法の廃棄と新憲法の制定とみなすべき場合というものを若干の例を挙げましたけれども、ここでは主として理論的な観点からこのような限界というものを考えるべきであろうということを申し上げております。

 九条に関しまして先ほど魚住委員の方からの御質問の際に若干触れましたけれども、その九条二項の問題というものについては、日本国憲法下の学説上、二項については同一性に影響しないという説もありましたけれども、今日の時点で、国際的な安全保障に対する考え方等も踏まえて、この二項というものを更に評価してみた場合に、これは今後、日本が進むべき道というものにとって非常に大きな意味を持った規定になっている。そっちの道を進むのか、それともこれを改めて、変更して別の道を進むのかというのは、これは日本の国の在り方の大きな進路の岐路になるという意味で、これについては、今変えるということについては、この憲法の同一性というものに非常に大きな影響を与えるというふうに考えざるを得ないであろうという趣旨で申し上げたところでございます。

井上哲士君

 次に、竹花参考人にお伺いをいたします。

 今の流れとも関係をするわけですけれども、やはり歴史的に見たときに、議会制度が機能しない中でああいう戦争にも突入をしていったと、そういう教訓から、その時々の様々な政治的情勢の中で、国会の構成がどうなってもやはりここは守るべきだという形をしっかり残すという点で私はこの憲法があり、そしてだからこそ改正手続というものについては様々なハードルがあるんだと思います。

 竹花参考人の御意見では、例えば法定議員数の三分の二以上の賛成があれば国民投票を要しないというようなことも考えられるんじゃないかと、こういうことが言われましたが、そうしますと、事実上、通常の法律とは変わらないようなことになりまして、憲法が持っている意味というものがなくなってくるんではないかと私は思うんですが、その点、いかがでしょうか。

参考人(竹花光範君)

 通常の法律の場合には、先生御存じのとおり、今の憲法では出席議員の過半数の賛成でいいということになっていますね。ですから、総議員の三分の二、しかも両院でということは、相当一般の法案との間に差を設けているわけですから、これだけの数の賛成を両院で得るということは大変なことだろうと思います。それぞれの議員が民主的な選挙で選ばれてきている国民の代表であるわけですから、その背後には国民がいるわけでありまして、国民の意思を無視した投票行動は取れないだろうと。したがって、主権者たる国民の意思が反映されて憲法の改正も行われていくということに当然なるわけでありまして、国民投票を経なければ国民の意思を背景とした改正ではないということではないんだろうと思います。

井上哲士君

 繰り返しになるわけですけれども、戦前のいわゆる大政翼賛会というような国会の下で、国民の意思を離れて暴走をしたというやはり歴史はあったと思うんですね。ですから、その時々の政治情勢でいろんな国会の構成になることはあっても、少なくとも国民の直接の意思なしにこの国の土台というものは変えるべきでないということがこの精神かと思うんですけれども、それでもやはり国民投票を必要がないというお考えでしょうか。

参考人(竹花光範君)

 必要がないと私は断定的に申し上げているわけではありませんで、国民投票にかけるかかけないか。

 例えば、先ほどイタリアの例を挙げましたけれども、有権者の一割なり二割なりの要求があるとか、あるいは両院のそれぞれの議員の何割かの要求があるというような場合には国民投票にかけると。それがなければ、両院で三分の二の賛成があればそれで改正は成立すると。こういう方法も考えられます。決して国民投票制を私は否定しようということではありませんけれども、すべての改正を国民投票にかけるというのはいかがなものかなと。

 先ほど申し上げましたように、改正には内容にかかわらない、表現を変えるというような改正だってあり得るわけですね。今の日本国憲法は旧仮名遣いを使っていますよね。これを現代仮名遣いに直すと。内容にはかかわりないわけでありますけれども、これも国民投票にかけなきゃいけないのかと。これは内容にかかわらないんだから、国民投票にかけないで、議会の三分の二の賛成でいいんじゃないか、こうした考え方も当然あり得るんだろうと思います。

井上哲士君

 次に、先ほど少し話題になりました、いわゆる憲法裁判所の問題で、土井参考人と浦部参考人にお聞きをいたします。

 改憲の議論の中で、憲法裁判所を作るべきという議論があります。その一つとして、内閣法制局が事実上、違憲審査権を行使しているという議論もあるわけですが、私は内閣法制局はあくまで政府の法案や政策に憲法の枠をはめる政府の内部でのチェック機能の問題だと思います。

 そして今、裁判所が憲法判断をしているわけでありますけれども、言わば具体的な事件の解決、処理、人権などの問題の、その中で必要だと考えたら裁判所に憲法判断を求めることができるという機能になっております。問題は、先ほどもありましたように、最高裁がなかなか憲法判断をしないということにあるかと思うんですね。

 憲法裁判所になりますと、一審でかつ終審ということになるわけで、今のように三審制度で、それぞれ具体的な問題を通じて憲法に基づく判断を一般の国民が表すことができるということが本来もっと機能すべきではないかと思いまして、私は憲法裁判所導入というのには否定的なんですけれども、その点、土井参考人、浦部参考人、いかがお考えでしょうか。

参考人(浦部法穂君)

 憲法裁判所自体に賛成か反対かと問われますと、これは憲法裁判所というものをどう構成し、どのような権限を与えるかによるというふうにしかお答えができない。つまり、憲法裁判所というものが、憲法についての最終的な判断をするにふさわしい構成が本当に担保されるのかどうか、そのような仕組みができるのかどうかということが問題であろうと思われますし、それから、だれがどういう要件で提訴できるのか、それによってもまた憲法裁判所の性格が変わってきます。それから、憲法裁判所は判決にどのような効力を持たせるのかによっても変わってきますので、憲法裁判所自体が賛成か反対かということについては、それ自体としてはどちらとも申し上げかねるということです。

参考人(土井真一君)

 今、浦部参考人の方から意見がありましたとおり、憲法裁判所の概念によるんですが、一般的にとらえて、すべての憲法事項について排他的な管轄権を持つ裁判所というふうに定義した場合に、それが望ましいかどうかという質問だと受け止めて答えさせていただきますが、これはあくまで学問的にどうだというよりは個人的意見に近いものでありますけれども、私は基本的に反対です。

 それは、裁判所の果たすべき役割については、私は人権を保障するという観点においては積極的に裁判所は役割を果たすべきだと。表現の自由を守る、信教の自由を守るという点については果たすべき役割は大きいと思いますが、統治機構の基本的な問題であるとか安全保障の根幹にかかわる問題は、私は国会議員を信頼すべきである。それは選挙によって選ばれた代表者において憲法を解釈し、守るべき事柄であって、裁判官に排他的にゆだねるべき内容ではないというふうに個人的には思っております。

井上哲士君

 次に、これも先ほど少し議論になりましたけれども、国民投票法がないというのが立法不作為だという議論がありますが、この問題で竹花参考人と浦部参考人にお聞きをいたします。

 元々、立法不作為というのは、国家賠償にかかわるように、ある法律があったり、あるいはなかったことによって、またそれを改善しなかったために、主権者国民の権限や権利が侵害されるということにかかわってくる問題だと思います。最近でいいますと、学生無年金者の問題で厳しい指摘も国会にもされました。

 ただ、この六十年間、それでは国民の憲法改正権がこれによって侵害をされたのかということになりますと、私はそういう事態ではないと思うんですね。そういう点で、この議論の組立てとしては、立法不作為論に立つべきではないと私は思っておるんですが、その点、お二人の参考人にお聞きをいたします。

参考人(浦部法穂君)

 国民投票法は必要になったときに作ればいいんであって、今まで必要がなかったからできなかったというだけの話だろうというふうに認識しております。

会長(上杉光弘君)

 お三方ですか。

井上哲士君

 いや、竹花参考人お願いします。

参考人(竹花光範君)

 私も先ほど申し上げたかと思うんですが、立法不作為というような批判があると。しかし、私はそこまでは考えない。ただ、立法府として、それから憲法改正の発議機関としていささか怠慢だという批判は、これはあり得るだろうと。憲法改正ということが言わば政治日程にのる、現実化する、そのときに国民投票法を制定すればいいんだと、これはいかがなものかなと思います、そういう考え方は。ちゃんと九十六条に憲法改正の場合には国民投票にかけるんだということが明記されているわけでありますから、発議機関であり立法機関である国会は、憲法改正の是非論、あるいは憲法改正が政治日程にのっているかのっていないか、そういう問題はおいて、やはり必要な法的な整備というものは行う責任があるんだろうと思います。

 そういう意味においては、立法不作為とまでは言えない、まだ憲法改正ということが現実化しておりませんし、政治日程にのってきて従来いたわけではありませんので、そこまでは言えないけれども怠慢であると。甚だ、余り学問的な表現じゃありませんけれども、そんなふうには考えています。

井上哲士君

 最後に、改憲の議論の中では、現行憲法には国民の義務とか憲法遵守義務がないということを問題にする議論もあります。

 この点で最後に土井参考人にお聞きするんですが、近代の憲法論の中でいいますと、憲法というのは言わば主権者たる国民が言わば政府に対して縛りを掛けるといいますか、そういうものであるのであって、あくまでも主体は国民であるから、これに遵守という義務を入れる必要はないという議論もありますが、この点は土井参考人はいかがでしょうか。

参考人(土井真一君)

 義務の問題で、遵守義務の問題、それから一般的な義務規定が少ないんじゃないかという二つの問題であろうかと思いますが、実は権利を規定するということ自体一つの義務を課しているわけで、例えば表現の自由を尊重するという規定を設ければ、当然他者の表現の自由も尊重しないといけないわけですし、信教の自由を保障するということは、他者の信教の自由を保障しながら自分の信教の自由も尊重してもらうという形で、当然相互に人権を尊重をし合う義務というのは前提にされているだろう。

 ただ、それを超えて、公共の目的のために様々な義務を課すというような場合について憲法に書き込むかといいますと、それは非常に多くの義務が当然含まれてくるわけですし、いかなる義務を課すべきかということを実質的に議論されるのはこの国会の場なわけですから、じゃ憲法にすべての義務が列挙できるかというと、それは難しい。その意味では、権利章典というのは基本的に保障されるべき権利を列記し、その相互尊重義務を原則と定めた上で、それ以外の点については国会の法律に従ってほしいという規定にするのが一番合理的だろうと思います。

 憲法遵守義務につきましてはいろいろと問題がありまして、憲法に反するようなことをやれば直ちに何らかの法的な制裁が加わるのかと、個人の国民に対して加わるのかという問題があります。憲法の内容自体は必ずしも明確なわけではありませんし、国民自身は自由の主体ですので、その意味では、遵守義務というものを入れることについては私は慎重に検討した方がいいというふうに思います。


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