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2004 年 3 月 17 日

憲法調査会
「憲法と国際平和活動・国際協力」について参考人質疑


井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。今日は三人の参考人、ありがとうございます。

 この間、憲法と平和主義について調査をしてきたわけでありますが、私たちはこの九条というのは、戦争違法化の二十世紀の流れを示した国連憲章に合致し、更に前に進めるという点で大変誇り得るものだと思っておりますし、こういう憲法を持つ日本が核兵器の廃絶とか南北問題の解決、環境破壊の防止など、非軍事の分野で様々な積極的な国際的な平和貢献をすべきだと思っております。そういう点では、九条というのは国際貢献の足かせどころか日本が独自の積極的な役割を果たすものになると思っております。

 それを前提に、まず酒井参考人にお聞きをいたします。

 私は、一昨年、国際問題調査会の一員で中東各国を訪問をする機会がありました。大変印象的だったのは、どの国の要人や、またイスラムの指導者からも、相手の方から広島、長崎という都市名を挙げて、そして非常に日本に親近感、信頼感を持っているということをいろんな国で言われたということが大変印象的でありました。

 先ほど来、日本への期待ということで、様々な民間ベースの経済協力ということがありました。たしか、サマワなども病院を日本が建てたようなこともお聞きをしたことがありますが、そういう問題と同時に、そういう歴史的な日本の持つ条件というのがあると思うんですね。やはり、自衛隊によらない日本のそういう歴史、また憲法の精神を生かした復興支援ということがあると思うんですが、そういう条件、イラクの方から見た場合の日本の貢献の在り方の条件、そして最も求められるものは何だろうかという点をまず一点お聞きしたいのと、あわせて、先ほど石油のことを言われておりまして、かなり復興しているのになぜ経済復興につながらないのかと、こういう議論が随分あると言われておりましたが、それについてどんなお考えか、これも併せてお願いいたします。

参考人(酒井啓子君)

 歴史を踏まえた日本に求められる対イラク貢献ということでございますけれども、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、イラクの人々が日本に対して抱いているイメージ、期待している貢献ということは、これはやはり民間主導の七〇年代、八〇年代における大規模な建設プロジェクトの実行ということでございます。

 ちなみに、サマワ等々で確かに病院建設を行いましたのも日本企業でございますし、これは ODA も入っておりますけれども、基本的に ODA によって医療機器、その中身のですね、医療機器を ODA によって供与したというのと同時に、その箱、箱というか病院自体は民間、完全に民間の資金で、これはイラク側からの発注事業として進められております。

 そういう意味では、繰り返しになりますけれども、イラクが日本に対して期待していることは、余り政治的な野心、余りといいますか、基本的には政治的な野心を持たない、純粋に経済的なパートナーとしての日本というような位置付けであるがゆえに信頼が置けるという側面があろうかと思います。とりわけ、やはりイラクのみならず、中東諸国においては欧米諸国による植民地経験というようなものが非常に根強く残っております。日本、これは日本の対アジア関係ということとはまた違って、中東に対しては、日本は過去にいわゆる植民地経験を持たないというような側面がございますから、そういう意味では特に中東においては歴史的なマイナスポイントというのは日本は持たないと。むしろ、その非政治性が積極的にプラスイメージとしてつながってきているということであろうかと思います。

 二番目の石油の点でございますけれども、これは実際、今の予算、支出収入といったような体系的な統計がきっちりあるわけでもございませんので、現実、実際にどういうふうになっているかというのは難しいところがございますけれども、少なくとも私が先ほど御指摘させていただいたのは、二十万バーレル、日量二十万バーレルというような、かなりの程度の石油が輸出、産出できるようになったということは、ある意味では八〇年代の半ば、すなわちフセイン政権時代においては一定の経済開発を細々とではあるが進められていた、そして人々も今のような困窮状態には取りあえず陥らないような状態に維持することができていた。そういうような生活レベルと、過去の生活レベルとどうしても比較してしまう数字ではなかろうかというふうに考えております。

 そうしたことを考えれば、一体この二百万バーレルの石油の輸出金額が完全に、イラク人に完全に還元されているのかどうなのかということに対して疑問がわいてくるような数字であるということであります。これは、完全にこれが還元されているのかどうなのかということについての説明できる数字を私は持ち得ておりません。ただ、そういうふうに認識され得るような環境にあるということは、いわゆる CPA あるいは統治評議会等々に対する不信感にもつながる、つながりかねないという危険性があろうかと思います。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 先ほど普通の国という言葉が議論にもなりましたけれども、私は、日本は普通の国でないと卑下をするんではなくて、むしろ特徴を持った重要な役割を持つということを憲法の下でもっと発揮をすべき余地があろうと思うんです。

 猪口先生にお聞きをするんですが、あのイラク戦争に至る過程でも日本はアメリカの言うままということで、外交的にもほとんど存在感を示せなかったということもあろうかと思います。こういう外交面も含めまして、もっと、日本が非軍事の分野でやるべき国際貢献というのはもっともっとたくさんあると思うんですが、その点での認識はいかがかということです。

参考人(猪口孝君)

 ありがとうございます。

 まあ、非常に難しい戦争だったと思うんですね。結局、日本は憲法を尊重すると言う限りにおいて、国連決議というのはある程度は大義名分がしっかりないとなかなかやりにくいというのを、前から言っても、何度言っても駄目で、西ヨーロッパの方はもう、何といいますか、日和るというわけじゃないけれども、何か反対になってしまって、何となくもう国連自身も駄目になって、うまくいかなかったんですね。それだからといって、それじゃ今度、日米安全保障条約というのをダメージを与えるようなことに出るだけ勇気は政府にはなかったわけですから、ああいうことになったというのは、まあ分からぬでもないなという感じが非常にするんですね。それで、恐らく、まあ第二番目ぐらいにアベイラブルなオプションとしては良かったんじゃないかと私は思っているんですね。

 それで、やっていること自身は、西ヨーロッパでもフランスとかドイツなんかは、もうちょっとこっちの方に来てちょうだいみたいなことをやっていることは確かで、どのくらい効果があったのかはよく分からぬですけれども、やっている。それから、イラク自身に対しては、それなりに誠意を持って、しかもできることを最大限にやろうとしていると。それがどこまで効果があるかというと分からない。

 だから、非軍事的なというのは、軍事、戦争になったとき非常に難しいというところがあって、そういうのを大きくしたいんだけれども、結局、普通の、今まで考えたような戦争はどんどんどんどん減っているんですが、何だか分からないこういう面倒くさいことが起こって、それに対処できるのはほとんどアメリカしかいないんですよ。だから、アメリカが出番が多くなるのは、好きだから出るでしょうけれども、ほかのは特にあんな戦争なんて絶対できないです。そしたらやっぱりほっておけということになる。それで、困っているのは、お互いにつぶし合って、そのうち時間たつのを待とうという戦略になっていくわけです、ほかの国は。それは、何といいますか、そういうところに住んでいる方にとって正義かどうかというのについてもやはり疑問は残るんですね。

 私の判断は、この場合は、あれだけ長い間抑圧と、何といいますか、十分なリソースがあんなたくさんあるのに、住んでいる方も非常に立派な方も多い、石油もあり余るほど、それなのにうまく経済も持っていけないと。それから、みんな抑圧が激しい。これはもうとにかく正義ではないというジャッジメントが勝ったというのは、それは悪くないと思うんですね。それで、武力行使すると。武力行使しなきゃ何も動かないというのがあったときは、国際信義をもう十年以上も守らないというのは、これはもうやっぱり向こうが駄目なの。こういうのがそこらじゅうにはびこるのは日本にとったって利益じゃないのです。どうしてかというと、武力は使えないんだから、ほとんど。そういうのが、どんどんどんどん好きなことをやる国があちこちあちこちに出るということは、何かしなきゃ駄目なんです。

 それがいいと、非軍事的なやり方で収めようというのはある一定の限界を持つんです。もちろん軍事的な手段で何かやろうとしたって物すごく限界があって、めちゃくちゃに面倒くさい問題も起こる。だけれども、去年の三月の感じでは、支持ということは、一番いいんじゃないけれども、アベイラブルの中ではまあ良かったんじゃないか、特に何も出さなかったわけですし。それから後、戦争終結宣言、アメリカによる宣言の後、経済復興に関与するということで行ったという判断自身は良かったけれども、それはイラク自身、もうとんでもない、反対といいますか、もう考えただけで嫌だ、何も良くならないという感じの反応が出るのはこれまた自然で、このぐらいの法と秩序の達成度というのを非常にネガティブに見るかポジティブにある程度見るかというのは人の考え方だと思いますね。日本自身だってそれなりにもう反米、親米で十五年間わあわあわあわあやっていたんで、流血自体は余りなかったですけれども、それはこのぐらい続いても普通だと見るのが、僕だったらそうですから、そこら辺は、何といいますか、人間観にもよるんだろうと思うんですけれどもね。

 もう自分が何とか主張したいんだったら、ぐんとある程度頑張って、できるところで、駄目元主義で頑張って、自分の自由にできるスペースを主張するというのが普通だと思うんで、まあしばらく続くと思う。だけれども、経済自体は少しずつ良くなってきているし、そのうちに何とかなるんじゃないかなと思いますよ。

 ただ、国連とかのカムバックももうちょっと力強いとよければと思うんですけれども、ちょっと懲りているからなかなか出ないし、国連が出ないと日本も、大義名分が、寄りすがるところが余り強くないと困るんですね、それは武力使わないということで出ているわけですから。だから、一刻も早く国連はしっかりして、もうちょっと勇気付けて出てもらって、自分は国連とできるだけ共同歩調で、国連決議でどんどんどんどん新しいことを提案していくという形のやり方については私は誠に同感でありまして、ただどこまでできるかというのは、これは激しい、国連自身はとんでもないというか、すぐにはできそうもない形でしかなっていませんし、アメリカ自身は、何といいますか、みんなと協力しながらといっても、余りにもみんながふがいないので、アメリカの考えでは、現政権の考えでは、ふがいない、だらしがない、好きなことを言っているだけで何にもできない、嫌だと思っていますから、なかなか信用しないですからね。

 そんなに非軍事的だけといったって、何かそうもうまくいかないというのがあって、アメリカ自身は自分の頭だけで考えていますから、非常に勝手というか、唯我独尊みたいなことをやっている面も非常にあるけれども、それはまたそれ、一つの現実だし、イラク自身にすれば、何でこんなの、人の土地にぼかぼか上がってきて好きなことを命令するのかというのがある。

 それで、それをどういうふうにまとめるかというのは、やっぱりサマワで、日本のできるのは、いろんな外交努力に加えてサマワで実績を上げることだと思いますね。それはもう国際協力の面だし、対米説得、対ヨーロッパ説得、それからイラクに対する非常に、常にエンゲージして、こっち、別な悪意を持ってやるんじゃなくて助けに来ていると、一緒にやりたいというようなことのメッセージをどんどん発していくしかないんじゃないかなと思いますね。

 アメリカはユニラテラリズムなんてよく言われますけれども、日本なんかよりもずっとマルチラテラルで、外交努力は頑張っていると思いますし、日本の場合は、やっぱり自分の考えで非軍事が好きだ、そういうふうなのがいいというふうに思っているんだけれども、説得努力といいますか、関与努力というのが余り伝わらない。ゼロラテラリズムと僕は言っているんですけれども、自分がよしと思ってやっているみたいなところがあって、アメリカはもう内外に宣言してユニラテラル、これはいいんだからとやっていますけれども、日本のはゼロラテラリズムなんですね。だからどうしようもない。だから広がらない、深まらない。

 それは、何というか、日本人自体の、全体の問題だと思います。何とか説得するとか、何か一緒に喜ぶとか悲しむとかが少ないんですよね。だから、それは私たち全体の、何というか弱さだと思うんで、そこら辺もちょっと力強くならないとどうしようもないのかなと思います。

 どうもありがとうございました。

井上哲士君

 時間ですので終わります。


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