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2007年6月11日(月)

文教科学委員会・横浜地方公聴会
教育3法案について

  • 弁護士の阪田勝彦氏から3法案の多くの部分が、成立後に文科大臣の定める基準に委ねられていることを指摘し、「国家権力に白紙委任するわけにはいかない」と批判するなど、全体として「悪意をもって運用すれば、国家による統制をいともたやすく実現することが可能となっている法案」だとして「成立に反対」と強調される。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は四人の公述人の皆さん、ありがとうございます。

 最初に、阪田公述人にお聞きします。

 法律家として、また親としての御意見をいただきました。法律家という立場でいいますと、やはり身分を確保するということは大変大事な観点かと思います。そして、ユネスコなどでも、教員の身分の安定というのはむしろ教育の水準の確保のためにも必要だというふうに言われているんですね。

 その点でいいますと、この免許更新制度等の法的不備というところは法律家としては大変述べたかったところだと思うんですが、時間の関係か割愛をされましたので、この法的不備の部分について公述人が述べられたかったことをちょっとまずお願いしたいと思います。

公述人(阪田勝彦君)

 ILOの点は、正に今委員がおっしゃったとおりだと思います。

 私の方が申し上げられなかった、かなり早口で読んでしまって大変申し訳なかったんですが、法的不備の点です。

 私のレジュメの四ページのところに書かせていただきました。といいますのも、講習修了認定者のところが若干私にはよく分かりません。国会における審議、これは伊吹文科大臣が二〇〇七年四月十七日の本会議でおっしゃったことですが、講習の実施主体の講習修了の認定の確認を都道府県教育委員会がすると答弁されています。

 これは、大学等が講習を修了したと、そのように認定しても都道府県教育委員会がこれを認めない、確認しないということが可能になると。その確認というのが、この場合に、これは形式的な審査のみを指すのか、例えば講師がだれであったか、准教授なのかどうかとか、こういう形式的審査なのか、それとも理解度を確かめるための再試験を行うのか全く分かりません。

 また、法案のどの条文から、都道府県教育委員会が最終認定権を持つこと、大学が終わったと認定しているにもかかわらず、その確認を求めることができるのか全く分からない。

 さらに、免許管理者、都道府県教育委員会が修了認定確認を行わない場合、大学が認めたのに都道府県教育委員会が二重のチェックで認めないという場合に、その確認を求めるすべというのが法文に規定されていません。不服申立ての手続はないんですね。このままいくと、要するに、二回の審査が入り、最終的には都道府県教育委員会がすべて確認権限を持ち、その不服申立て手続もないということになると思います。

 また、それは講習不合格についての不服申立て手続にも同じことが言えると思います。講習や研修不合格を繰り返される場合には分限対象になると、そういうお話になっていますけれども、講習不合格により分限処分となった際には教員免許が同時に失効すると。分限が失効の事項に設けられていますので、つまり、受からないから分限された、分限されたらそのまま教員免許まで失うという仕組みになっていると思います。私立学校で教えることもできません。

 これは、要するに、地位とか資格とか身分という観点からすると極めて一方的だと思います。我々の中で、こういう資格を失わせるのに不服申立て手続がないということは異常な問題であろうと思います。

 最後にもう一つ、ペーパーティーチャーの問題です。

 法案では、更新講習の対象が、実は府川公述人もおっしゃっていましたが、教育職員若しくは職員に雇用予定とされていますので、現に学校の先生を今されている人ということになると思います。しかし、教員免許を取得しているんですが教育職員として雇用されていない人は、例えば更新を受けなくていいとはなってないんです。それがどうなるのかが全く分かりません。

 例えば、更新を受けないまま期間が経過した、十年経過した場合にこの人の資格はどうなるんでしょうか。このことについての条文はまずありません。ここがなければ、これは更新も受けられないし、かといって徒過すれば今の法文からいけば資格を失うことになるはずです。これはどういうことになるのか、少なくとも明確にする必要があるだろうと思います。

 以上です。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、いわゆる副校長や主幹教諭などの新しい職について、今田公述人、府川公述人、加藤公述人、それぞれお聞きします。

 この新しい職をつくる理由の柱の一つとして、なべぶた型のこの教員の組織というのは良くない、校長などのリーダーシップが発揮できるようにするべきなんだと、こういう議論がありますし、今田公述人からもそういうお話がございました。

 先日、参考人質疑を行った際に、これは京都の高校の校長先生のお話でありましたが、教育にとってなべぶた型というのは大変合理的なんだ、教員というのは徹底して議論をして納得してこそ力を発揮し、現場に行っても大きな力を発揮できるんだと、こういうお話がありました。私は、大変なるほどと思って聞いたんですが。

 もし校長先生のリーダーシップが発揮されるとすれば、そういう教員の皆さんが納得し、力を発揮するような議論においてリーダーシップを発揮するべきでないかなと私は思うわけでありますが、その点、加藤公述人、府川公述人、今田公述人、それぞれからお聞きをしたいと思います。

公述人(加藤澄代君)

 先ほど専任についてはお話をしましたので、形だけの役職ではなく、実の伴う、本当に子供のため学校のためになるようなものだったらいいのではないかという、そこにとどめておきます。

公述人(府川源一郎君)

 例えば、子供のある問題があったときに、学校の中で相談をするとします。そのときにどういう方法がいいだろうというのを、例えば校長先生が言うからそれは正しいのではない、主幹の教員が言うから正しいのではない、それは子供のために一番いい方向を言う人が一番正しいわけですよね。そういう議論にならなければ、学校現場というか、子供を見ていくということは成り立たないわけですから、役職があるからそれがこういう方向でやらなくちゃいけないとかと、そういうシステムになることは非常に怖いことだと思っています。今度のそういうシステムはそういうことにならないように願っていますけれども、私としてはそういうふうにたくさんのランクを付けるということは反対です。

公述人(今田忠彦君)

 僕は、やっぱり組織というものは、それなりの経験を積んだ人が選ばれて副校長になり、校長になりしていろんな経験を積んでいくと。だから、校長が言うから正しいか正しくないかということじゃなくて、それはそういういろんな経験を積んだ中でしかるべき見識を持った発言というふうに素直にとらえていけばいいんじゃないのかなと。その中で、やっぱりそれが皆さんの、ほかの先生方にも信頼されるためには、校長自身がやはり懐の深い研さんを積んだ上で、ああなるほどなというふうにならなきゃいけない。校長だから言うのが全部正しいとは思いませんが、しかるべき人が校長になっていると、そういうふうにありたいし、なっている。

 だから、そういう意味で、そういう組織として機能していくためには、その辺のところは素直に受け止めていく、そういう学校運営というものが望ましいのではないかなというふうに思っています。

井上哲士君

 じゃ、今の点でもう少し今田公述人にお聞きしますが。

 そうなりますと、先ほど言いましたいわゆるなべぶた型の教員組織というもののどこが不都合なのかということがちょっとよく分からないんですが、その点いかがでしょうか。

公述人(今田忠彦君)

 それは、若干少しためにして言おうとするといろんな言い方ができるんでしょうけれども、私はやはり、組織として成り立っていく上において、しかるべき行政の仕事の中でもいろんな経験を積んだ人がしかるべく上になって物事を言っていくと。新人の人が、私が言っているのが正しいんだという格好で、それぞれ自分が正義だと思えば組織は成り立っていきませんし、その中で、いろんな意見のやり取りがある中でみんなが納得するような時間を掛けたやっぱり対応というものは必要であろうと思いますけれども。

井上哲士君

 ありがとうございました。是非、職員会議がそういう納得できる議論が広がるということを望んでおきたいと思います。

 もう一回阪田公述人にお聞きしますが、法律家の立場として議事録なども全部読まれたということなんですが、文部科学大臣などの答弁の中でいえば、国会が決めた法律は守っていただかなくてはならないということを盛んに言われます。これは当然なわけでありますが、法律の下部である告示、これも当然守っていくことなんですが、実際には、国会で我々法律を議論をいたしますけれども、政令、省令などを含めては、これは国会の議論を聴いて決めるということになっていますが、実際の制度の細部からいいますとこれが非常に大事なわけですけれども、必ずしも国会で議決をするものではないわけですね。これが実際には現場をかなり縛っていくという構図になるわけですけれども、こういう在り方について法律家の立場からどういう御意見をお持ちか、いただきたいと思います。

公述人(阪田勝彦君)

 まず、端的に申し上げまして、国会審議を一応全部読みましたけれども、その中で一番驚いたのが、文科大臣の法律の認識に驚きました、こういうふうにお考えなのかと。国会は要するに国民が投票して負託したんだから、そこで作った法律にはみんな有無を言わさず従えと、こういうお話をされていると思います。また、それを強く信じていらっしゃるように思います。ただ、その上には憲法があり、法律に基づいて告示、省令等があると、こういう仕組みになっています。

 先ほど来申し上げましたように、旭川学テ事件判決というものがあります。たとえ、国会もこれは含むんですね、教育行政機関といえども、国会で適法に法律を作ったとしても、教育の根本部分のところに介入してはならないと。子供たちに党利党略的な、そういう一方的な教育を押し付けてはならない、それは憲法違反になると。法律より上に憲法があるわけですね。そういうことをまず御説明しなくては、本当分かっていらっしゃるのかどうか分からないですけれども、いけないのかなというのが一番驚いたことです。

 もちろん、告示等でやるといっても、要するに教育内容への介入をするということは当然不当な支配に該当しますので、不当な支配については、教育基本法の改定後もその趣旨は、内容については変わらないということは教育基本法の審議の際の答弁で伊吹文科大臣御本人がおっしゃっていますので、それは何ら変わらないと思いますが、当然それは良くない、違憲、無効なことだろうと思います。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、研修の問題にかかわって府川公述人と今田公述人にお聞きします。

 研修のあるべき方向などについて府川公述人からあったわけですが、逆に言いますと、現在行われている様々な研修にどういう問題点があるとお考えか、これをお聞きしたいと思います。

 今田公述人については、府川公述人のお話にありました様々な自主的な研修、こういうものをどう教育委員会としては位置付けられているのか、そしてその理由についてお聞きしたいと思います。

公述人(府川源一郎君)

 先ほど申し上げましたように、研修というのは目の前の子供たちをどういうふうに良くしていくかという問題意識から立ち上がって発するものですから、必ずしも教育委員会などが用意したそのプログラムの中にそういうことが含まれない場合も当然あります。その場合は、教員たちが身銭を切って様々な集会に参加したり、そこで問題を深めたりということがあるかと思います。

 例えば、そういうときに、そういう研修に行かないようにという指導があったり、あるいは旅費を出さないとか、年休を取らないと行っちゃいけないとか、そういうことになりますと、研修の幅というのが結局ある一定の枠の中で、仮にある教育委員会なら教育委員会が用意した枠の中でしか選択することができないという、こういう問題点はあろうかというふうに思っています。これは現場の先生からも随分強く言われていることですので、是非お伝えしておこうと思って申し上げました。

公述人(今田忠彦君)

 自主的な研修をどう位置付けているのか、細かい研修の具体的なものについてはちょっと私の方も少し不十分な部分がありますが、いずれにしろ年次別の研修とか様々な研修をやっているわけですが、おっしゃるように、先生はやっぱり幅広い懐の深い先生になるべしというふうに思っていますから、いろんな、多様な研修というものがないといけない。あわせて、研修に行くときに、その代替要員が確保されない中で非常に肩身の狭い思いをして研修に行かざるを得ないというのが現実の実態。そういう意味でいけば、最初に申し上げましたように、それこそ是非超党派で先生の枠を確保していただきたいというふうに思っています。

井上哲士君

 残された時間でいわゆる免許更新の問題でお聞きするんですが、この免許更新制度というのがやはり失職の不安にさらすことになるということがございました。そして一方で、いわゆる指導力不足の人事管理問題というのは、既に法改正も行われて各都道府県教育委員会などで様々行われているわけですね。今回、当初の中教審の議論とは違って、この免許更新制度の中に、結果としてとはいう言葉は付きながらも、いわゆる指導力不足教員を排除するということも事実上盛り込まれたということになると思います。

 そこで、まず今田公述人にお聞きするんですが、現行のいわゆる指導力不足の人事管理ということ以上に、失職の不安にさらしながらこういう免許更新制度にその意図を取り込む必要があるとお考えでしょうか。

公述人(今田忠彦君)

 その辺は、先生の立場でそういうふうな解釈をされるとそういう見方があるのかも分かりませんけど、私の方はそうじゃなくて、むしろ研修を受けざるを得ないというか、研修を前向きにとらえていくべき話だと思いますし、研修が十分でないから失職にさらされる、言葉がいいかどうか、そんなけちな根性で先生になっているのかということを正直もっと言いたい部分があって、先生になるその前段での採用前研修の中でやっぱりしかるべき教師の哲学を教えていけば、少しそういう、先生が言われたのは、ためにするとは申しませんけれども、そういうもっと広い、豊かな大きな気持ちで臨むスタンスというものは必要じゃないのかなというふうに思っております。

団長(中川義雄君)

 井上委員、時間ですから簡単にお願いします。

井上哲士君

 もう一度今田公述人にお聞きしますけれども、要するに私が聞きたかったのは、今の指導力不足教員の人事制度というものの枠の中で不都合があるとお考えかということをお聞きしたかったんですが。

公述人(今田忠彦君)

 そういう意味でいきますと、横浜の場合には、これは既に平成十六年から指導力不足に係る要綱を定めまして、それに基づいて対応していると。その前の平成十三年からのスキルアップ研修というものを踏まえまして、そういう意味でいけば法律の先取りを少しやっているというのが実態としてはございます。そういう意味で、この法律ができることによって何かかえって窮屈になるというふうなことは、少なくとも横浜の場合にはそういうふうな意識ではございません。

井上哲士君

 ありがとうございました。


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