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「どこの国の総理か」(しんぶん赤旗日刊紙近畿版2018年7月21日付「命よ輝け 参院議員・比例候補 井上さとし物語(中)」)

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 2001年参院選。「小泉旋風」が吹き荒れる中、井上さとしさんは比例代表選で初当選します。国会議員としての第一の課題は核兵器の廃絶です。

 核不拡散条約(NPT)再検討会議にも5年、10年と出席しました。10年の時、絵本『さだ子と千羽づる』の読み聞かせをしている若い女性僧侶とニューヨークで出会いました。佐々木禎子さんは2歳の時に広島市で被爆し、小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8カ月の闘病生活の後、短い生涯を閉じました。回復を願い千羽鶴を折り続けました。禎子さんの友人たちが「原爆の子の像」(「平和の子の像」)を建立したのは58年5月5日の「子どもの日」。井上さんと同じ誕生日でした。「その思いを継げと、私は生まれてきたのか」。ことし5月5日も像が立つ平和公園へ行き、「いっしょに還暦(60歳)をむかえますね」とお祈りしました。

 17年7月7日、国連会議で核兵器禁止条約が採択され、初めて核兵器を違法なものとしました。「歴史が音をたてて動いた」瞬間に井上さんは核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)の一員として志位和夫委員長らとともに立ち合いました。「あの感動的な場面は忘れることができない。被爆者の思いが世界を動かした」。それだけに、唯一の戦争被爆国でありながら、この条約に反対しその場にいない日本政府が許せない思いでした。

 「核兵器禁止条約ができて、私たちは心から喜んでいます。総理、あなたは、どこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのか。国民をあなたは見捨てるのか。今こそわが国が、あなたが世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきです」(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長)。長崎の五つの被爆者団体の代表は17年8月9日、長崎市内で行われた安倍晋三首相に対する要望の場で、核兵器禁止条約への参加を迫りました。

 井上さんは国会の場で「あなたはどこの国の総理か」との被爆者の厳しい声を紹介し、「核兵器禁止条約にしっかり署名をし、その立場で核兵器保有国に参加を求める方向にこそ転換するべきだ」(17年12月5日の参院外交防衛委員会)と主張。米トランプ政権の新たな核戦略を「高く評価する」安倍政権を批判し日本政府が米国の核削減に反対し「核軍縮の妨害役」となってきたことが米側の資料で明らかになっていることを追及(3月26日の参院予算委員会)しました。

 「『どこの国の総理』。こんな台詞(せりふ)を二度と被爆者に言わせてはいけない。『やっぱり唯一の被爆国、日本の政府だ』と言ってもらえるような政府をつくりたい。被爆者には時間が残されていない」。井上さんは決意を新たにします。

     (つづく)

 

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