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「一瞬で消えた先輩たち 」(しんぶん赤旗日刊紙近畿版2018年7月20日付「命よ輝け 参院議員・比例候補 井上さとし物語(上)」)

連載「命よ輝け(上)」PDF.pdf 

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 野党共闘をすすめる日本共産党の参院国対委員長として力をつくす井上さとし参院議員・比例候補。「憲法と命輝く政治」へ全力をあげ来年の参院選で4期目をめざします。

 「人間の姿で死ぬこともできなかった先輩たちがたくさんいた」

 井上さんは、広島で育った被爆2世です。高校は爆心地に近い国泰寺高校。前身の広島1中の1年生は、1945年8月6日の朝、投下された原子力爆弾でほぼ全滅しました。広島市内で延焼防止のための建物疎開などの作業をしていて原爆の直撃を受けました。

 そのことを知ったのはちょうど同じ高校1年生の時でした。構内で映画「ひろしま」の上映会があり、広島1中も舞台の一つになっていました。

 「夢を持っていた先輩が一瞬のうちに亡くなった。人間の姿ですら死ねなかった」。衝撃的でした。「原爆そのものが許せない」「戦争になぜ突入していったのか」。井上さんはしだいに「理不尽なものには頭を垂れずに向き合う生き方をしたい」「だれもが亡くなる瞬間まで人間らしく生き、輝ける。そんな社会をつくりたい」と思うようになりました。

 そんななか、大学1年の時、出会ったのが日本共産党でした。入学した京都大学は当時、赤ヘル暴力集団が跋扈(ばっこ)しており、講義ができませんでした。大学でありながら学問の自由がない。立ち向かう学生たちがいました。自治会活動の先頭に立っていたのが、日本民主青年同盟員や日本共産党員でした。話を聞いたら正しい。「おかしいことには立ち向かおうと決めていたのだから、納得したらやるしかない」。日本共産党に入党しました。

 大学1年の夏、原水爆禁止世界大会にはじめて参加しました。広島にいた時は、毎年8月になると、全国からいっぱい人が来ることに反発する気持ちが少しありました。しかし、自ら参加するにあたり、核兵器廃絶を求める署名・募金活動で地域に入り、街頭に立つなか、参加者の一人ひとりに草の根の活動があることを知りました。その中心にも日本共産党員がいました。「この党に入って間違いではなかった」「理不尽な兵器をなくしたい。それを許す理不尽なものに立ち向かい、人間らしい生き方ができる世の中をつくりたい」。井上さんは思いを強くしました。

 実は、井上さんが被爆2世だと知ったのは30歳のころのある夏の日のことでした。母親から原爆手帳を取ったと告白されました。被爆のことなど、それまで一言もしゃべったことがありませんでした。原爆投下の時、母親は女学校の講堂で避難してきた被爆者を看護しました。井上さんには2人の姉がいたため、偏見もあるからと黙っていたといいます。ずっと苦にして、子どもにすら秘密にしてきた母親。「原爆とは何と罪深いものなのか」

    (つづく)

 

 

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