24ヵ国訪問記

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バルト三国公式訪問

バルト三国訪問⑧首都ビリニュスで議長らと会談/独立運動犠牲者に献花

 リトアニア国会.jpgリトアニア二日目。首都ビリニュスで終日、会談等を重ねました。
・パルチーティーテ官房長官と会談
・アンタカルニス墓地で献花
・ミタラス副議長主催昼食会
・ヴェリンスカス・リトアニア日本友好議員連盟会長らと会談
・チュミリーテ・ニールセン議長と会談
・リトアニア国会(セイマス)見学
 同国はバルト各国同様に1918年にロシアから独立するものの、40年にソ連に併合。一時期のナチスの占領をへて再びソ連に併合され1991年に再独立しました。国会には、90年3月11日に「リトアニア国家の主権回復行使」が宣言された当時の本会議場が保存されています。
 リトアニア国会2.jpgこれに対して91年、独立運動を鎮圧すべくソ連軍が進軍してきた際に市民が国会を包囲しバリケードを作って守りました。議事堂の中には当時の写真が展示されています。また議事堂の建物正面のガラスの壁には当時の銃弾の跡が残れされています(写真)。独立運動への敬意を胸に刻みながら、主権回復の宣言が行われた旧本会議場で記念撮影をしました。
 91年1月13日の「血の日曜日」と呼ばれる独立運動で犠牲になった9人や国境警備員8人のお墓があるアンタカルニス墓地。毎年、追悼の式典が行われ、同国への公式訪問の際には哀悼の意をささげることが恒例となっており、私たちも献花しました。
 リトアニア国会3.jpg一連の会談では、こうした苦難の独立運動の歴史を持ち、継承している国としてロシアに対して強い警戒感が示され、ウクライナが負ければ次は自分たちだという立場から強い支援を行っていることが繰り返し出されました。その中で、中国がロシアと一体で力による現状変更を強めていることへの強い警戒感も示されました。
 議連との懇談の自己紹介で、広島出身で被爆二世だと述べると、ユダヤ人の議員の方がおられ、母親が杉原千畝の「命のビザ」を取得のために並んだが間にに合わず、ナチスに収容されたもののその後、解放されたことを紹介して独立への思いを語って下さいました。
 ロシアの侵略をやめさせ、平和の国際秩序を回復させるために何が必要か、日本にどのような支援を望むかなど率直な意見交換を行いました。議連会長や国会議長など、最近来日された方もおられ、日本の文化や食事、少子化の問題など幅広い課題も話題になり有意義な会談ができました。
 ビリニュスの旧市街はヨーロッパ最大規模で、移動中も美しい街並みを楽しむことができました。

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