24ヵ国訪問記

ホーム の中の 24ヵ国訪問記 の中の 訪米日誌 の中の バーモント州議会/医療・福祉関係者/米国救急医療/反核・医師の集い

訪米日誌

バーモント州議会/医療・福祉関係者/米国救急医療/反核・医師の集い

 ニューヨーク市内で行われた日本代表団の各分野の集いに参加し、日本共産党の訪米団の活動を報告するとともに、草の根からの運動を一層強めることを呼びかけ、みなさんと交流しました。

 今日は訪米団はふた手にわかれました。志位委員長らはバーモント州議会議員との懇談のために早朝から空路、同州のバーリントンへ向かいました。私はニューヨークに残り、各分野の皆さんとの交流を広げることとしました。

 バーモント州議会は今年、オバマ大統領に対する核兵器廃絶条約の交渉開始を求める決議を採択し注目されています。志位さんらは、同州議会議員の皆さんと昼食をとりながら懇談します。

 私はまず、9:30から開かれた「医療・福祉関係者の集い」に参加し、冒頭に連帯のあいさつ。集いでは、国際サービス労組の幹部でもある医師が「アメリカの医療保険改革をめぐる動向」について話をされ、さらに被爆者から、マーシャル諸島のマディソン氏、韓国原爆被爆者協会の金龍吉さんが挨拶されました。

 その後、質疑応答と各地の活動交流がありました。1人で2800筆もの署名を集めて参加してお医者さん、平和活動用のTシャツを作っている活動、沖縄からの怒りの報告などなど。

 中でも、注目を集めたのが、昨夜、ブロードウェイでミュージカルを見た後、自転車にぶつけられ救急医療を体験した人の「その時、頭に浮かんだのは映画、シッコのこと」という話でした。

 「ぶつかって倒れていても、遠巻きにして誰も手を差し伸べない」「救急車に乗ると、病院に行きますか、と尋ねられた」「打撲しているのにレントゲンもとらずに診断し、請求はなんと351ドル!!」という話に、参加者はアメリカ救急医療の実態に改めて驚いていました。

 終了後、ゲストの皆さんと一緒にパチリ。続いて、同じビルで行われていた、反核・医師の会の集いにも参加して挨拶しました。

教職員の集い/佐々木禎子さんのこと/宗教者のつどい

 午後からも同じ会場で開かれた教職員の集いに参加して挨拶しました。前後して、私の原点にかかわる出来事が重なりました。核廃絶への決意を新たにする日になりました。

 集会までの待ち時間に、静岡県原水爆被害者の会の川本司郎さんにお会いしました。広島で被爆された川本さんに、「今、日本時間ではもう5日ですが、12歳で白血病で亡くなった被爆者・佐々木禎子さんの友人たちが、二度とこのような被害を起こさないようにと平和公園に原爆の子の像を建立したのが、1958年の5月5日。私の誕生日なんです」とお話ししました。

 すると川本さんが、禎子さんの話を「さだ子と千羽鶴」という自作の紙芝居にして各地で上演している女性が、同じビルの一階で開かれる宗教者の集いに来られますよ、と紹介してくださいました。

 驚いて、階下の宗教者の集いの会場に入ると、伊豆のお寺のご住職であるお父さんのもとで僧侶修行中の佐治麻希さんが、ご両親と一緒に紙芝居をもって来られていました。今日も上演するとのこと。

 私と原爆の子の像との関係をお話し、「こんな日にお会いするなんて運命的ですね」と言葉を交わし、再び教職員の集会へ。するとそこで配布されたのが、中学英語の教科書「クラウン」に掲載されている、佐々木さだ子さんのお話ではありませんか! 一瞬、身震いがしました。

 実は、原爆の子の像のすぐ近くの高校に通いながら、建立の日が我が誕生日と同じということはずっと知りませんでした。議員になって最初に広島平和記念式典に参加した時に、そのことを知り、「議員として核廃絶にとんとんがんばれ」との叱咤激励を受けたような気持ちになりました。

 そして今日の出来事。像建立52周年であり、我が52歳の誕生日を迎える時に、NPT会議が開かれているニューヨークの地で、「もっと頑張れ」と後押しされた気持ちです。

 忘れられない、52年目の誕生日を迎えます。

ページ最上部へ戻る