活動日誌

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トンネル学習会/比例候補勢ぞろい街宣

IMG_3194.JPG 年末から2週間ぶりの国会。朝から資料や年賀状の整理、日程調整などあれこれ。

 午後からリニア建設に関連してトンネル工事について学習会。元ゼネコン幹部の専門家からお話を伺いました。

 続いて新宿駅西口で来年の参院選挙の日本共産党比例代表予定候補7人の勢ぞろい街宣。それぞれ農業、若者、子育て、消費税、憲法、沖縄、野党共闘など訴え、私は核兵器禁止条約と原発についてお話。いいチームワークだな、と一緒に訴えて改めて実感。全員勝利へご支援を!

 IMG_3204.JPGそのあとは、新年初の国対会議、議員団会議など。議員団会議では赤嶺議員から、名護市長選挙の激戦の様子や、連続する米軍機の不時着の問題で生々しい報告がありました。なんとしても勝利しなければと思いを一つにしました。

 あわただしい一日になりました。

●私の演説を紹介します。

3期16年半、お世話になってきた井上さとしです。 

私の原点は原爆への憤りです。私は広島に育った被爆二世。卒業した高校の先輩たち、当時の一年生は原爆で全滅し、若い命を一瞬の光で奪われました。さらに原爆は、長い間、多くの被爆者を原爆症で苦しめ、命を奪いました。こんな理不尽な兵器はこの世にあってはなりません。 

ひとたび大事故が起きれば取り返しのつかない放射能被害を起こす点では原発も同じ。原発ゼロの日本を訴えてきました。

 そして、先輩の中には、人間の姿で死ぬことすら許されなかった人たちもいる。だからこそ、一人ひとりが亡くなる瞬間まで、人間らしく生きることができる社会をつくりたい。そんな思いで「憲法と命輝く日本を」と訴え続けてきました。 

この間、核兵器無くせと三回、国連本部に行きました。昨年七月には核兵器禁止条約交渉会議に参加し、採択の瞬間に立ち会うことができました。会議場に賛成122という数が示されたとき、わっという歓声と拍手が起こりました。やがてみんなが立ち上がり、握手がはじまり、お互いに抱きあって喜ぶ姿が長い間続きました。 

 核保有大国の妨害をはねのけ、初めて核兵器が違法なもの、悪の兵器だと烙印を押された瞬間でした。その感動を今も思い出します。 

 被爆者の皆さんが二度と思い出したくない地獄の体験を語り、核兵器は人類と共存できない非人道的兵器だということ広げました。そして核兵器廃絶を求め一筆、一筆、署名を積み重ねてきた日本の運動が世界の市民とつながり、ついに歴史を動かしたのです。 

 採択の瞬間を一緒によろこびあった核兵器禁止国際キャンペーン、ICANにノーベル平和賞が贈られたのは大きな喜びです。同時にこの賞は、すべての被爆者とともに、市民社会全体、核兵器廃絶の署名や行動に取り組んできた皆さん、一人ひとりに捧げられた賞ではないでしょうか。 

 ところが、核兵器の非人道性を一番知っているはずの日本政府がこの条約に反対をしました。昨年の八月九日、長崎の被爆者は安倍総理に直接「あなたはどこの国の総理か」とただしました。私はこの言葉を国会でも突きつけました。 

 被爆者国際署名をさらに広げ、核兵器禁止条約に署名する政府を実現しましょう。どの国の持つ核兵器も非人道的な違法な兵器だ、この立場に確固として立ち、北朝鮮の核開発も中止させようではありませんか。 

 被爆者の願いに背を向けた政府は、福島原発事故の被災者にも背を向けています。今なお、七万近い県民が避難生活を強いられているのに、賠償や生活支援で、不当な「線引き」、打ち切りがすすめられています。原発の再稼働や輸出のために邪魔だから、もう福島の原発事故の被害は終わったことにしてしまおう。そんなことは許されません。 

 福島原発事故の原因も実態も今なお明らかでなく、ふるさとに帰れない事態が続き、まともな避難計画も作れず、「核のゴミ」の処理も行きづまり。どの点から見ても再稼働などありえません。政府は原発ゼロを決断せよ。その声を広げましょう。

 被爆者と市民社会の声が世界をうごかしました。市民と野党共同が日本の政治を動かしています。もっと共同を広げ、核兵器も、原発もない、命の尊厳が守られる政治実現に力を尽くします。日本共産党を躍進させてください

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