名古屋市の金山駅コンコースで行われた「原爆と人間」パネル展に先日、立ち寄りました。パネルと共に被爆者の皆さんの描いた被爆絵も展示されていました。駅利用の皆さんが次々と足を止め、二日間で五千人もの方が見てくださったとのこと。
被爆者の皆さんが、NPT再検討会議の際の国連本部でのパネル展示を始め、世界に向けて被爆の実相と核廃絶を訴えてきたことが世界を動かしました。核兵器禁止条約の交渉開始に向けて国連での議論が10月に本格化することになったのです。ジュネーブで開催された国連作業部会が先月、国連総会に対し、2017年に交渉開始を勧告する報告を採択したことを受けてのこと。
通常国会で私は、外相に対し、この作業部会で日本が被爆国にふさわしく禁止条約の交渉開始に積極的役割を果たせと求めました。ところが日本政府は報告の採択にあたり棄権という態度をとりました。外相は、「核兵器国と非核兵器国の橋渡しの役割を果たす」と繰り返しましたが、結局、核兵器国の代弁者の役割を果たしただけ。なんと腹立たしい。
被爆71年。高齢の被爆者の皆さんが連名で、最後の力を振り絞るような思いで核兵器廃絶の国際署名を呼びかけました。京都で被爆二世・三世の会結成を呼びかけた一人として、被爆者の皆さんのこの思いを受け継ぎ、実らせたい。
原爆パネルを見た若い皆さんが平和の折鶴を折っている姿が実にうれしかった。臨時国会でも政府に核廃絶を迫ります。(「赤旗」東海北陸信越版 16.9.2付)