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カザフスタンと日本

「カザフスタンと日本は、大量殺戮兵器の破壊的な力を身をもって体験しました」―先日、参院本会議場で行われた、ナザルバエフ・カザフスタン大統領の演説は感動的なものでした。

二五年前に独立した同国。それまであった旧ソ連のセミパラチンスク核実験場で456回もの原爆・水爆の実験が行われ、大地や人々に大きな被害をもたらしました。大統領は、核実験場を閉鎖し、世界四位だった核兵器・ミサイルの軍事力を放棄したことを「世界平和への大きな貢献となりました」と強調され、「中央アジア非核兵器地帯」の創設を推進してきたことも力強く述べられました。翌日に広島を訪問し、被爆者に祈り捧げるという大統領に心から拍手を送りました。

 議場の一番前でこの演説を聞いていた安倍総理はいったい何を感じたのか。カザフスタンと同様に核兵器の非人道性を「身をもって体験した」日本政府のやっていることは余りにも違います。

 十月の末に国連総会第一委員会で採択された核兵器禁止条約の交渉開始の決議に日本は反対しました。私は、採択の前日の外交防衛委員会で岸田外相に、「広島、長崎の被爆者は七十一年間これを待っていた」という被爆者の声を紹介し、賛成して核保有国にも参加を求めるべきと迫りました。ところがアメリカの核の傘を優先して反対したのです。

被爆国とし恥ずべき態度。被爆者の叫びにまともに応えられる政治への転換を一刻も早く。被爆二世としての誓いを新たにしています。(赤旗東海版16.11.12)

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