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「被爆の記録」を伝える責務

「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まる峠三吉の『原爆詩集』の中に「倉庫の記録」という散文詩があるのをご存じでしょうか。

1913年建造の広島市の被爆建物「旧陸軍被服支廠」の原爆投下直後の姿を描いたもの。この保存に今、日本共産党国会議員団の「被爆二世トリオ」である、笠井亮、本村伸子両衆院議員と私で取り組んでいます。

広島県は昨年末、老朽化で維持管理が困難などとして県所有の3棟のうち1棟のみ保存し2棟を解体する方針を発表。国所有の一棟を含め全棟保存を求める声が大きく広がり、今年度の解体着工は先送りになっています。

この間、三人で広島市の現地調査も行いました。原爆の破壊力のすさまじさを示す原爆ドームに対し、倒壊と火災を免れ被爆者の臨時救護所となった旧陸軍被服支廠は、多くの被爆者が横たえられた床と最期に見た天井がそのまま残っている他にない被爆建物です。

全長400 ㍍、高さ15㍍。この巨大な建物が被爆者で埋まり、苦しみながら亡くなっていった――その場に立てつと原爆の非人道性を実感できます。全棟保存が必要です。 

16日の外交防衛委員会で、全棟保存は唯一の戦争被爆国の責務だと茂木外相に迫りました。外相は、「被爆の実相を世界に伝えていく努力をしている」「地元の議論を注視しつつ、県が残したいということであれば、国としてできることはすべき」と述べました。

さらに世論を広げ「被爆の記録」を世界と後世に伝えたい。(しんぶん赤旗 東海北陸信越版 20.4.17)

 

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