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新自由主義の転換こそ

 思わず「違うだろー」と声が出ました。八日に開かれた政府の経済財政諮問会議の内容。今年の「骨太の方針」の原案が示され、新型コロナウイルスの感染拡大で社会全体のデジタル化の遅れが改めて浮き彫りになったと指摘し、まずは行政のデジタル化を最優先課題とするとしています。

 いったい、この間の深刻な事態の何を見ていたのか。世界でも日本でも、浮き彫りになったのは市場原理第一、なんでも自己責任で社会保障を削減してきた社会が弱くてもろいものだったということ。その転換こそ最優先なのに、行政のデジタル化が最優先とは。驚きと共に怒りがわいてきます。

 新自由主義の転換が市民と野党の共通の思いになっていることを都知事選の応援の中でも実感しました。吉祥寺駅前の街頭演説会で立憲民主党の菅直人元総理と選挙応援で初めてご一緒した時のこと。

私が、コロナ後の社会へ、新自由主義から転換して支え合いの社会をと訴えると、菅さんも「井上さんも言われましたが、新自由主義の転換が必要です」といわれ「反省をこめていいます」と付け加えられました。率直な訴えに共同の進化と深化を実感しました。

 昔「反省だけならサルでもできる」というCMがはやりましたが、自分の政治に反省すらできないのなら、国民の審判をくだし新しい共同の政治を作る以外にありません。(赤旗・東海北陸信越版)

 

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