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湯川秀樹さんの意志を継いで

 菅内閣による学術会議への人事介入が重大問題になる中、日本人初のノーベル賞受賞者で日本学術会議の初代会員である湯川秀樹さんのご遺族の由規子さんを京都のご自宅に訪ねてお話しを伺いました。

 戦後、核兵器廃絶と平和運動に身を捧げた湯川博士。1943年に閣議決定で「科学研究は大東亜戦争の遂行を唯一絶対の目標として之を推進する」とされ、科学者が軍事研究に動員される中、湯川博士も海軍の原爆研究(F研究)に参加したことが2017年に発表された当時の日記で明らかになっています。ごく初期の段階で中止となりましたが、自らこの研究について語られることはありませんでした。

 その後、湯川博士は、科学者が作り出した原爆が広島・長崎にもたらした惨禍を目の当たりにし、さらにビキニの水爆実験被害に直面して人類に絶滅をもたらすような強大な威力に危機感を持ち、核兵器廃絶の先頭に立たれました。その土台には、戦争中の痛苦の教訓があったのでしょう。

学問の自由が奪われ、科学者が戦争に動員された。この戦争中の痛苦の教訓から、このようなことを二度と起こさないために憲法に学問の自由が定められ、学術会議は政府から独立した機関とされてきたのです。菅内閣による任命拒否はこれを侵すものであり、許されません。

  湯川博士の学問の自由と核廃絶の思いを胸に刻んで臨時国会で菅内閣に立ち向かいます。(20.10.25「愛知民報」)

 

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