東京を夕方に出て京都に帰り、マスコミのみなさんと党京都府委員会の新役員との懇親会に参加しました。毎年、府党会議の後に行ってきましたがコロナ禍などもあり、七年ぶりの開催となりました。
京都市長選のこと、総選挙の見通しから共同親権法案のことなど、様々な話題で意見交換ができました。 もちろん、会費制です。
10時からの本会議で、選挙制度・政治倫理特別委員会を政治改革特別委に名称・目的を変更することを決めました。裏金問題を受けて政治資金規正法の改正を議論することになりますが、その前提は真相の徹底解明。関係者の証人喚問や、政治倫理審査会への裏金議員全員の出席を求めていきます。
その後、来週水曜日の本会議で審議入りする経済秘密保護法案の論戦準備のため、内閣府からレク。午後は第12回選挙制度専門委員会の参考人質疑。竹中治堅・政策研究大学院大学教授と中北浩爾・中央大学法学部教授の二人の参考人から意見を聴取した後、質疑を行いました
昨日に続いて第二回中央委員会総会に出席。活発な討論が行われ、田村委員長が幹部会を代表して結語を行い、「支部・グループのみなさんへの手紙」を討論を踏まえての補強を提案。「手紙」、提案・報告・結語を全会一致で採択しました。
この間迎えた新しい党員が支部に活気をもたらしていることや民青同盟が昨年以上の勢いで前進していることが印象的でした。結語では改めて能登半島地震での現地党組織の奮闘や急逝された山村静岡県委員長についても触れられました。
終了後、議員会館に行き、資料整理など。今週は火曜日に内閣委の一般質疑があり、9日の衆院本会議で参院に送られてくる経済秘密保護法案の論戦準備をすすめます。
今日、明日は党本部で第二回中央委員会総会。志位議長が開会の挨拶を行い、田村委員長が「支部・グループのみなさんへの手紙」について提案しました。総会で採択される文書はこの手紙だけ。党大会決定の読了・討議と具体化が進めることが必要だからです。
大会決定を受け、「新たな大会期を党づくりの交代から前進への歴史的転換を果たす大会期」にするためのこの間の取り組みと自民党政治の末期症状の下で、新たなチャンスを切り開ていることが討論の中で大いに語られ、決意を固めあいました。
党本部に行く前に桜満開の千鳥ヶ淵を歩きました。例年は三月末が満開のため、年度末の国会日程が忙しくて足を運ぶことができませんでした。今年は開花が例年よりかなり遅れたため、初めて満開の千鳥ヶ淵を訪れることができました。
朝の9時でも大勢の人出。お昼には身動きできないほどの人になりそうです。
東日本大震災から13年目の今日、午前中は予算委員会に出席しました。13年前の今日も決済委員会の総括質疑で質問するために同じ第一委員会室にいました。とてつもない揺れがあり、委員会室のシャンデリアが今にも落ちてきそうなほど激しく揺れたために、慌てて椅子の下に身を隠したことを思い出します。
揺れが収まった後、ただちに政府として対応する必要があり、委員会は途中のまま散会。議員会館に戻ってテレビを見ていると、大きな津波が被災地を襲う姿が映しだされ息を飲みました。やがて福島第一原発の事故発生のニュースが。この日から怒涛の日々がはじまりました。改めて犠牲者の皆さんへの哀悼の意を捧げます。
明日は内閣委員会の大臣所信に対する質疑。質問原稿仕上げのために子ども家庭庁から学童保育につてレクを受け、午後にFAXで通告終了。
小池書記局長が出演したNHK日曜討論を見た後、近所の中学校で京都市長選挙の投票。「福山和人」としっかり書いて投票箱に入れました。
京都に戻り、20時すぎに「つなぐ京都」の選挙事務所へ。みんなで開票見守っています。なんとしても勝利を!
第29回党大会が終わりました。10回続けての参加でしたが、歴史的大会となりました。被災地での奮闘、ASEAN訪問、LGBT当事者、青年など多彩な発言で、自民党政治を終わりにして新しい政治を実現する、強大な党をつくる方針を練り上げて決めました。
新しい中央委員の選挙が行われ、第一回中央委員会で中央委員会議長に志位さん、委員長に田村さん、書記局長に小池さん、さらに6人の副委員長を選出。その後、幹部会、常任幹部会を選出し、山添さんを新しい政策委員長に。不破さんは中央委員を退任されました。
大会が再開されて新中央委員が壇上に並んで総会。党の102年の歴史で初めての女性委員長に大きな拍手が。最後に志位委員長が閉会挨拶。「民主集中制が発揮された大会となった」との言葉にも、不破さんをねぎらう言葉にも大きな拍手が起こり、総選挙勝利、強大な党つくりへの決意を固めました。
終了後、山を下りて、東京へ。さあ来週から通常国会。24日にちには能登地震問題での予算委の閉会中審査の質問に立ちます。