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核兵器禁止条約交渉会議に参加して

   日本共産党代表団の一員として訪米して国連本部での核兵器禁止条約交渉会議に参加し、七日の採択の瞬間に立ち会うことができました。長く続く大きな拍手と歓声、涙する人、握手し抱き合う姿、ガッツポーズなど、会議場は歓喜で包まれました。歴史が動く音が聞こえるようでした。

   私は、広島国泰寺高校の先輩であり、被爆者である世界的デザイナー三宅一生さんのネクタイをしめて、被爆者の思いを胸に参加しました。多くの被爆者と市民の声が世界の国々とともに大国中心の国際政治を変え、核兵器を始めて違法なものとした、この歴史的瞬間に立ち会えたことを被爆国の党の議員として、被爆二世として心から誇りに思います。

  条約に「ヒバクシャ」の果たした役割と支援の責任が書き込まれたこと、議論を通じて練り上げられ、特に「使用の威嚇」が盛り込み「核抑止力論」を否定したことは、国際社会の英知を結集した結果でした。キューバの大使と懇談した際に「この条約は70年間の国際社会の取り組みの結実」と述べられたのが非常に印象的です。

 この場所に日本政府がおらず、採択直後に署名しないと明言したことは残念であり悔しくてなりません。核兵器禁止を廃棄につなげるために、条約の持つ力、条約を実現させた世界の国々と市民の力、核兵器国と同盟国で条約への参加を求める力を発展させ、とりわけ日本で新しい政府をつくるために力を尽くす決意を新たにしています。(「京都民報」17年7月16日付)

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