京都市議の中京区補欠選挙の日本共産党の福井ひでとし候補の応援。定数1を4候補が争う激戦です。午前中は成宮府議と共に政策カーで、午後は候補者カーで10か所余りで訴えました。中京区はかつて、倉林参院議員が定数1の府議補選で勝利した経験のある行政区。
日本共産党の福井さんの当選で、抜け穴だらけの法案を数を頼んで成立させて裏金に反省ない自民党にも、衆院で賛成して自民に手助けした維新にも審判を下し、金で動く政治を終わりにしようと訴えました。
終了後、長野県千曲市議選の応援のために敦賀経由で向かっています。
この三日間は、もっぱら通常国会のまとめや資料整理。特に国会後半は質問が相次いだので、資料も山積みになっていました。質問ごとに、使った資料や質問原稿、速記録、報道などをまとめて封筒にいれておきます。こうしておくと、新たな問題が起きたり、問い合わせがあったときも対応がスムーズです。
今日は夕方に京都の自宅に戻りました。近所の日本フランス文化会館で開催中の草間彌生展を鑑賞。代表的な水玉のカボチャの作品など楽しみました。
夜はZOOMでバイセクシュアルの高校生と対話。出生時にあてはめられた性は男性です。
中三の時に自覚し、高校になるとますます自覚が増してきたとのこと。LGBT+への差別を目の当たりにして、真剣に考えるようになり、同性婚の制度が日本にないことも不安に。将来的には弁護士としてLGBTQ+の人達が、自分らしく生きることができる社会を実現したいと考えており、さらに理解を深めるためにお話がしたいとメールをいただき、今日の対話となりました。
短い時間でしたが質問に答えて、国会での議論の状況や私が取り組んできたことなどお話しました。みんなが自分らしく生きられる社会をつくりたいという思いを応援しています。
内閣府官房総務課とこども家庭庁に来ていただいて「こども、子ども、子供」の表記に問題でレク。内閣府が示している公文書の表記の標準は「子供」。私は「供」という漢字を使うのには抵抗があり、いつも「子ども」と書いています。一方、こども家庭庁は発足に際して、年齢を問わず成長段階にあるものを対象に「こども」を使っており、同庁は他の省庁にも使用を依頼しています。
ところが、子ども・子育て支援法は、「子ども」。国会の議事録ではこども家庭庁などの固有名詞はそのまま表記とし、質問や答弁で使った場合は「子供」の表記になっています。こうしたことになっている経緯などをお聞きしました。
元には文化庁が示した標準的表記がありますが、今、日常的には大半で「子ども」が使われているのが実態であり、見直されるべきだと思います。私の発言については「子供」どなく「子ども」と表記していほしいと議事録を作成する参院の記録部に検討してもらっています。
日本原水爆被害者団体協議会の皆さんと田村委員長はじめ党国会議員団の懇談会。「『原爆被害への国家補償』を実現すること」「核兵器の禁止、廃絶を実現すこと」などの要請書をうけとり、参加された全国の被爆者の役員の皆さんから被爆体験や要望をお聞きしました。
私は懇談の中で、最近読んだ1963年の「原爆裁判(下田事件)」の判決について触れました。判決では被爆者である原告個人の損害賠償請求権は認めなかったものの、「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」とした最初の判決として有名です。
さらに判決は、「被爆者個人は損害賠償請求権を持たない」が、「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府および内閻の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と述べている。
この判決が、その後の被爆者援護施策や原水爆禁止運動の前進につながつた意義については何度も聞いてきましたが、判決そのものを読んだことがありませんでした。しかし、大評判のNHKの「虎に翼」のモデル三淵嘉子さんが判事として担当したしたことを知り、それについて書いた本を最近読みました。その本に掲載された判決文を初めて読んで驚きました。国は原告の訴えに対して反論していますが、その中でこう述べているのです。
広島・長崎での原爆投下で多数支障の結果を生じたことは「まことに痛恨事」としたうえで、原爆投下を直接の契機として日本国はそれ以上の抵抗をやめてポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結したとし、「このように原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」。
なんと、投下直後から米国政府が述べ、今も続く「原爆投下が戦争終結を早め、人々の命を救った」という原爆正当化論と同じことを日本政府が裁判の中で述べているのです。そこには、核兵器は人類と共存できない非人道的兵器であるという立場はありません。
今も続く、原爆の被害を過小評価し、米国の「核の傘」を容認して核兵器禁止条約に参加しない日本政府の姿勢の土台はこの時から変わっていないのではないかと憤りを感じたことをお話しし、「『原爆被害への国家補償』を実現すること」「核兵器の禁止、廃絶を実現すこと」にご一緒に全力を挙げることを誓いました。
午前中は志位議長のオンライン講義「自由に処分できる時間」と未来社会論を視聴しました。
全国学童保育連絡協議会の国会要請行動で、京都と千葉の代表の方が議員会館に来訪され、「子どもの充実した放課後生活のための学童保育と学校の連携に関する要望書」を受け取りました。 現場のご要望をお聞きし、今国会で行った学童保育の問題での質問も紹介して懇談しました。
今日は通常国会で行った質問資料の整理。後半は常に複数の質問を並行して準備していたので、終わってもそのままの質問も多く、なかなかはかどりません。
議事録の「こども」「子ども」「子供」の表記をめぐって議運関係の議員と打ち合わせ。
高橋千鶴子衆院議員と共に、秋田県能代市と秋田市で演説会。秋田県は10年ぶり。高橋さんの故郷である能代市は初めてです。通常国会での論戦を紹介しつつ、高橋さんが今国会で43回もの質問に立ったことを報じる昨日の青森県の東奥日報の記事を紹介し、「日本共産党の躍進、東北の命綱の議席を引き続き」と訴えました。
藤本ゆり県委員長(2区予定候補)、鈴木さとし1区予定候補、藤田和久3区予定候補も決意を表明。狩猟後三人の方入党のおすすめをし、秋田市で50代の男性が入党を決意してくださいました。