国会質問議事録

ホーム の中の 国会質問議事録 の中の 2014年・186通常国会 の中の 予算委員会公聴会

予算委員会公聴会

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。  今日は、公述人のお二人、ありがとうございます。  公述の中で、我が党の憲法制定当時の議論についての紹介がございましたが、今は違うというふうに公述人も言われましたように、私どもは今憲法の全面実践という立場であるということは申し添えておきたいと思います。  先ほど、集団的自衛権が過去に行使をされた例について、西公述人からもチェコのソ連の侵略であるとかベトナム戦争のことがございました。となりますと、集団的自衛権の行使が可能ということになれば、こういう過去行われたようなものにも日本が参加することができるのではないかと。他方、西公述人は、権利を認めることと行使はまた別なんだと、高度な政治的な判断、内閣や国会が関与するというふうにおっしゃいましたが、これ合わせますと、時の政府、それを構成する国会の多数派の判断によって、過去行われたようなそういう戦争に日本が参加できるようになるということになろうかと思うんですが、それぞれから御意見をお願いしたいと思います。

○公述人(駒澤大学名誉教授西修君) 先ほど言いましたように、やっぱり一番の大きな問題は、もう集団自衛権そのものを持っていないんだというようなことを憲法の解釈で導き出す、これが私は問題だと申し上げているわけであります。そういう集団自衛権の行使は可能であるということを導き出しながら、しかし、それはいろいろな制約があるんだと。  しかし、もしそれが認められるとすれば、じゃ、どうやって行使するかということになると、これはやっぱり国会、それから内閣の非常に主体的な高度な判断で、やっぱり国民のため、それから国家のため、一番大切なのは国家の平和と生存、国民の身体などであります。そういうものを高度な政治判断の中でどう判断するかということになると、集団自衛権を認めるとすれば、やはりそこにいかざるを得ないんじゃないか。それに参加しないということも十分あり得るわけですし、認めるからといってすぐそこのところへ直結するというのはいかがかなと。そこのところにこそ主体性があるんじゃないかということを先ほどから申し上げている次第でございます。

○公述人(元内閣法制局長官・弁護士阪田雅裕君) そこは西先生と私も全く同じでありますので、憲法上できるからといって全部行くということではない、そこは、その後は恐らく政治の判断だと思います。  ただ、立憲主義というのは何かということをもう一度申し上げたいのですけれども、要するに多数決でも誤ることがある、多数による少数の不合理な人権侵害を許さないというのが立憲主義の政治だと言われているわけですね。ですから、法律を持っている、法律というのは統治のためには今何でもできるわけですが、法律を持っても許さない、ここまでは駄目よと、ここからは駄目よというのが憲法規範でありますね。その一部として九条があるわけであります。  ですから、今のままですと、当然ながら国家の意思として、国民の意思として、外国には戦争に行かないということになっている。そこを、本来であれば、そういう国になるのであれば、その憲法規範を変えて、国民も合意をして、覚悟もしていくという姿がやっぱりあるべき姿なんですね。国会の多数であるから憲法違反のことをやってもいいということにはやっぱりならないのだというふうに考えています。

○井上哲士君 もう一回確認ですが、要するに、過去行われたようなベトナム戦争であるとかアフガンの実際の戦闘などに、時の多数によって参加することは、この解釈を変えることによって可能になると。実際行使するかどうかは別ですよ。それは、それぞれそういうことだということで確認してよろしいですか。

○公述人(西修君) もし解釈を変えるということになったら、やっぱり結果的にはそうならざるを得ないと思いますけれども、しかし、それを本当に国民なりあるいは国際世論が承認するかどうか、これは本当に高度な判断だと思います。  立憲、立憲主義の関係で一言申し上げたい......(発言する者あり)よろしいですか、はい。

○公述人(阪田雅裕君) 可能であると思いますけれども、もしかすると最高裁判所で、憲法違反であって、それは無効だというようなことが判断されるときが来ないというふうなことは言えないと思います。

○井上哲士君 ありがとうございます。  先ほど、もし解釈を変えるとすれば、自衛権発動の三要件の一つ目についても変えなくちゃいけないということを西公述人が言われました。  ただ、この自衛権発動の三要件そのものは、九条の解釈としてずっとやられてきたものでありますから、これを変えなければ、変えるということそのものが、つまり憲法九条の制約の下での集団的自衛権という議論がありますが、そのこと自体が成り立たないということを示しているんではないかと考えるんですが、阪田公述人、その点いかがでしょうか。

○公述人(阪田雅裕君) 済みません、ちょっと、御質問をもう一度。

○井上哲士君 済みません。つまり、九条の制約の下で集団的自衛権を行使をするということ自体が矛盾をしているんじゃないかと、あり得ないんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうかと。

○公述人(阪田雅裕君) そのとおりですね。ずっと申し上げているように、現在の九条の下ではちょびっとだけでも全部でも集団的自衛権。要するに、我が国に対する武力攻撃がないという状態の中で実力を行使するということは論理的に読めない、そういう戦力としては用意されていない自衛隊であるということであります。

○井上哲士君 数十年前の解釈、憲法解釈を墨守するのが良いのかというような公述もあったわけでありますが、先ほど過去の答弁書などにもありましたけれども、やはりこの問題はずっと国会答弁の積み重ねがあり、そしてそれに基づいてたくさんの法律が作られております。それぞれいろいろな、我々は当時論戦をしたわけでありますけれども、過去に確立をした解釈がそのままあるというよりも、そういう様々な積み重ねがあるものだからこそ私は変えることはできないというのが、先ほど紹介のあった答弁書の閣議決定の趣旨だと思うんですが、その点、阪田公述人、いかがでしょうか。

○公述人(阪田雅裕君) 一般論として、およそ一度決めた解釈を変えることができないということではないというのが質問主意書の趣旨だと思いますよね。  ですから、合理的な理由がある、そして論理的にしっかり説明できる、国民もそれが納得ができる、それからもちろん時代も変わったと、そういうことがあれば、そして絶対に必要なことだということであれば、それは変えるという判断は当然あってしかるべきだと思いますね。法律でもそういうことがないとは言えない。  ですけれども、法治国家、立憲主義、基本的にはどうしているかという、今法律の場合でも、ちょっと無理があるけれども、まあこれで読んでやっていこうよというのではなくて、やっぱり政府としては、少し異議があるときには国会に改正法案を出して審議をしていただくということをやっているわけですね。  まして憲法、これは六十年、本当にそういう議論を前提にして、その土台の上にたくさんの法律ができ上がってもいるわけです。そこを言ってみれば土台からひっくり返すということでありますので、やっぱりデュープロセス、その土台を変えるための手続がまさに憲法改正手続として決まっている、それから国民投票も既にあるという状況ですから、是非政治としてはそれにチャレンジをするというのが正しい姿だと思います。  申し上げているように、今九条の解釈、集団的自衛権の行使をできるというふうにするということは九条を削除するというのと同義ですから、これはやっぱり大きな国の形の変換だと思います。

○井上哲士君 立憲主義の言葉が出ましたけれども、総理はこれは王政の時代の古い考え方だというような主張もされておりますが、私はこれは近代憲法の脈々と流れる考え方だと思っておりますが、こういう立憲主義というのは王政の時代の古い考え方だということについて、阪田公述人の御意見を伺いたいと思います。

○公述人(阪田雅裕君) これは西先生の方が多分ふさわしいんで、私は憲法学者でもないので、余り立憲主義について深く研究したということもありませんけれども。古いということは決してない、近代民主主義国家共通のルールだというふうに考えています。

○井上哲士君 ありがとうございました。  以上で終わります。

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