活動日誌

「2024年8月」の記事

 明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
 各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
 昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
 台風10号による今後の被害が心配ですが、有意義な視察にするために、今日は、議員宿舎で渡航準備をしながら、関係の本や資料を読み込んでいます。
 一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
 24国公労連.jpg都内で開かれた国公労連の70回定期大会に参加。九後委員長のあいさつに続き、来賓の一人としてあいさつしました。
 コロナ禍や能登半島地震をはじめとした連続する災害、羽田空港での衝突事件を通じて、公務の果たす役割への国民的認識が深まるとともに、自治体合併や公務員削減により「公」がその役割を果たすることをが困難にされていることが浮き彫りになっていると強調。この間の、抜本的転換とともに職場の具体的問題と課題を取り上げてきた党議員団の論戦も紹介して、「公共」を取り戻す国民的運動を呼びかけ。
 さらに裏金問題での怒りが岸田総理の退陣表明に追い込み、自民党の総裁選のどの候補も、自民党政治を変える姿勢も中身もないことが明らかだとして、国民の力で政治を大本から変える絶好のチャンスとして運動を広げようと呼びかけました。
その後、先日の能登半島地震の被災地入りした際に、お聞きした仮設住宅を巡る要望や福祉避難所、介護事業所の要望等について内閣府、厚労省からレクを受けました。
 24.8新潟市議団.jpg日本共産党新潟市議団の政府要請に藤野前衆院議員と同席。震災対策、マイナ保険証、コロナ対応、国保子どもの均等割りゼロ、学校給食無償化など要請。住民の願いにこたえた市議会での論戦を踏まえての内容で、省庁の皆さんがうなづながき危機、「具体的で勉強になった」との言葉もありました。
 従来の回答の繰り返しのものも少なくありません。気になった一つが学校給食無償化についての文科省の回答。全国の自治体で無償化が広がっている理由の認識をただすと、「市長選挙など公約に掲げられ、政治主導で進んでいる傾向」との答えにとどまりました。議員団からは土台に住民の強い要求があるからこそ選挙でも争点になっていると指摘。
 24.8.26新潟市議団.JPGさらに、「昨年の政府のこども未来戦略に盛り込まれ、学校給食の全国調査を行い6月に発表した、今後、効果など検証する」という答えも。私は政府の「戦略」は、国としての無償化実施に「向けて」実態調査を行うとしており、「効果の検証」ではなく、実施のための課題を明らかにするための調査。無償化先延ばしではなく、実施に向けての加速をと強く求めました。
 庄見.jpg佐藤石川県議と一緒に能登の被災地を回りました。羽咋市の「被災者支援センター」に常駐して活動している庄見さんが同行。庄見さんとは京都からの長い付き合いです。
 輪島市門前町で鐙市議と合流。現地ボランティアの方のお宅で仮設住宅での行政の支援をめぐるさまざまな問題をたっぷり聞かせていただきました。地方行革で人数が削られ市の職員の皆さんは対応に苦労されていますが、だからこそ、こうした皆さんの知恵と力をもっと生かすべきだと痛感しました。
 途中で激しい雨が降り始めましたが、崩落した内部を補修して使用を続けているトンネルを視察。続いて介護施設を訪問し、職員も被災し人手の確保が大変な中での施設の運営への支援や福祉仮設の要望度をお聞きしました。
 24.8朝市.jpg移動中に通った輪島朝市の焼け跡はがれきの除去はかなり進んでいました。ここからどう復興していのかが問われます。
 最後に穴水町の「ふるさと回帰型仮設住宅」を訪問。木造の戸建てタイプで、入居期間が過ぎたあとも公営住宅として住み続けることが可能です。七月に県内で初めて完成したばかり。大きな被害を受けた集落のすぐそばに作られ、避難していた金沢市内のみなし仮設から戻って入居された方からお話を聞きました。
 24.8羽咋.jpg帰りに「支援センター」に再び立ち寄ると富山の津本前県議とバッタリ。射水市の皆さんと支援に来られたとのこと、朝は神奈川や大阪からの支援の皆さんとお会いできました。全国からの支援が広がっています。
 原爆と人間.jpg暑い~と叫びながら動いた一日。午前中は京都六区の城陽市、宇治市でそれぞれ演説会。堀川明子比例予定候補、かみじょう亮一六区予定候補らとともに訴えました。
 終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
 兒玉さん.jpg高校の先輩(旧制広島一中生)の兒玉光雄さんの証言による絵も三枚ありました。倒壊した一中の校舎から脱出した兒玉さんが学友たちを助けようと必死の努力をしたときの絵。
 そのあと、名古屋から米原、敦賀と乗り換えて金沢市へ。石川県医療労働組合連合会50周年祝賀会に出席しました。冒頭、輪島市名舟地区に伝わり、県の無形文化財に指定されている御陣乗太鼓が演じられました。
 能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
 石川医労連.jpg南雅子委員長のあいさつで始まり、乾杯した後、全国や石川県内の各界からの祝辞。日本共産党から佐藤県議、鐙輪島市議が参加し、私が代表してあいさつしました。コロナ禍でも能登半島地震でも住民の命を守って大奮闘し、「再び白衣を戦場の血で汚さない」と運動の先頭に立ってきた医労連の皆さん。感謝と期待の声が相次ぎました。 最後は南委員長の音頭で「ガンバロー」を参照しました。
 明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。

コメ不足.jpg農水相宛の米不足への緊急対策を求める申し入れ。店頭から米が消え、買えない・食べられないという事態や米の価格高騰が低所得者やフードバンク・こども食堂を直撃していることへの対策等を求めました。

 「全体の需給はひっ迫していない」という認識を示す農水省に対し、現に起きている各地の生の事態を示し、しっかり状況を把握しその解決に緊急かつ真剣に取り組むよう強く求めました。

 今日は衆参の財政金融委員会で閉会中審査が行われ、参院では小池書記局長が質問に立ちました。

 甲子園で100高校年目の記念すべき高校野球は決勝戦。みごと京都代表の京都国際高校が延長のすえ優勝。おめでとう

 24.8非核の会.jpg今日は「非核の政府を求める会」のZOOMによる事務局会議。原水爆禁止世界大会の成果や核抑止力論を厳しく批判した広島・長崎の市長の訴えの重要性、自民党の総裁選めぐる情勢などについて議論し、国連総会に向けた政府申し入れの内容な今後の取り組みなど常任世話人に提起する内容について確認しました。

 朝は歯医者。夕方、京都へ。

8.20優性保護法.jpg日本共産党国会議員団の「旧優生保護法問題の全面解決」推進本部の初会合を開催。優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会(優生連)や、原告・弁護団から意見を聞きました。

 冒頭、本部長である田村智子委員長があいさつ。旧優生保護法の成立と改定に日本共産党も賛成したことは「重大な誤り」だったと述べ、「日本共産党中央委員会を代表して心から深いおわびを表明するとともに、問題の全面解決に向け誠実に全力で取り組む」と決意を述べました。

 原告らからはは「病院でむりやり不妊手術を受けさせられ、ずっと妻にも言えず苦しんできた」「結婚式の前に夫が強制不妊手術を受け、妻である私も何の説明も受けず50年近く苦しんできた。最高裁判決が示している配偶者の補償額200万円は、本人の7分の1で悔しい」などの訴えがありました。

 弁護団からは、立法の出発点は「全ての被害者の補償」だと強調。中絶手術の問題を先送りにして、被害者に困難な裁判を強いてはならないと主張しました。

 優生連共同代表の藤井克徳氏は▽国会として加害者意識を持ち続ける▽判決を凌駕(りょうが)する立法を▽全国の原告39人のうち6人が亡くなり「時間との競争」―と述べ、補償法と共に優生思想根絶のための理念法の立法や、旧優生保護法問題についての国会での集中審議を求めました。

 高橋千鶴子衆院議員が超党派議連のPTの取り組みについて報告。原告・弁護団の主張を土台に補償はできるだけ高く、すべての被害者救済のために党としても取り組んでいくと述べました。結びに穀田恵二国対委員長が今日の原告らの言葉を胸に刻み、集中審議も求めていくと話しました。

 静岡駅南口4.jpg第三月曜日は党の東海ブロックのいっせい宣伝。静岡駅南口に鈴木節子一区予定候補、寺尾あきら市議、支部の皆さんと共に立ちました。マスコミの自民党総裁選報道はますます過熱していますが、党内で首を挿げ替えれば大きくかわるかのような幻想をばらまくものばかり。自民党政治そのそのものを終わりにと訴えました。
 宣伝を終えて東京に戻る新幹線で、高石ともやさんの訃報に触れました。82歳。「街」「思い出の赤いヤッケ」や「死んだ男の残したものは」など、よく歌ったなあ。まさに「フォークの原点」。
安らかにお眠りください。合掌
 24.8八幡.jpg京都府八幡市で開かれた、やわた「平和つどい」に参加。会場一階のミニギャラリーでは、広島市立基町高校の生徒たちが被爆者の証言を聞いて描いた「原爆の絵」が展示されています。
 同校の卒業生の方が、描いた時の思いや苦労を話してくれるという企画を楽しみにして参加したのですが、急遽来れなくなったとのこと。残念ですが、スタッフの方が本人が用意されていた原稿を読み上げて下さり、思いはしっかり伝わってきました。
 私も一言「基町高校の隣の国泰寺高校を卒業しました。被爆した先輩の証言に基づく絵も描かれています。被爆二世として核兵器廃絶にがんばる」と発言させてもらいました。
 小畑.jpg会場には、京大の大先輩で、戦後直後に全国で初めて学生自治会による「原爆展」を開催し、昨年のNHKの「歴史探訪 消えた原爆ニュース」でも大きくとりあげられた小畑さんにお会いしてお話することができました。97歳になられましたが、とてもお元気そうでした。
 小畑さんについては、昨年、非核の政府の会のニュースに書きました。ご覧あれ。https://www.inoue-satoshi.com/newspaper/2023/10/nhk231015.html

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