明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
コロナ禍や能登半島地震をはじめとした連続する災害、羽田空港での衝突事件を通じて、公務の果たす役割への国民的認識が深まるとともに、自治体合併や公務員削減により「公」がその役割を果たすることをが困難にされていることが浮き彫りになっていると強調。この間の、抜本的転換とともに職場の具体的問題と課題を取り上げてきた党議員団の論戦も紹介して、「公共」を取り戻す国民的運動を呼びかけ。
さらに裏金問題での怒りが岸田総理の退陣表明に追い込み、自民党の総裁選のどの候補も、自民党政治を変える姿勢も中身もないことが明らかだとして、国民の力で政治を大本から変える絶好のチャンスとして運動を広げようと呼びかけました。
輪島市門前町で鐙市議と合流。現地ボランティアの方のお宅で仮設住宅での行政の支援をめぐるさまざまな問題をたっぷり聞かせていただきました。地方行革で人数が削られ市の職員の皆さんは対応に苦労されていますが、だからこそ、こうした皆さんの知恵と力をもっと生かすべきだと痛感しました。
途中で激しい雨が降り始めましたが、崩落した内部を補修して使用を続けているトンネルを視察。続いて介護施設を訪問し、職員も被災し人手の確保が大変な中での施設の運営への支援や福祉仮設の要望度をお聞きしました。
最後に穴水町の「ふるさと回帰型仮設住宅」を訪問。木造の戸建てタイプで、入居期間が過ぎたあとも公営住宅として住み続けることが可能です。七月に県内で初めて完成したばかり。大きな被害を受けた集落のすぐそばに作られ、避難していた金沢市内のみなし仮設から戻って入居された方からお話を聞きました。
終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。
日本共産党国会議員団の「旧優生保護法問題の全面解決」推進本部の初会合を開催。優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会(優生連)や、原告・弁護団から意見を聞きました。
冒頭、本部長である田村智子委員長があいさつ。旧優生保護法の成立と改定に日本共産党も賛成したことは「重大な誤り」だったと述べ、「日本共産党中央委員会を代表して心から深いおわびを表明するとともに、問題の全面解決に向け誠実に全力で取り組む」と決意を述べました。
原告らからはは「病院でむりやり不妊手術を受けさせられ、ずっと妻にも言えず苦しんできた」「結婚式の前に夫が強制不妊手術を受け、妻である私も何の説明も受けず50年近く苦しんできた。最高裁判決が示している配偶者の補償額200万円は、本人の7分の1で悔しい」などの訴えがありました。
弁護団からは、立法の出発点は「全ての被害者の補償」だと強調。中絶手術の問題を先送りにして、被害者に困難な裁判を強いてはならないと主張しました。
優生連共同代表の藤井克徳氏は▽国会として加害者意識を持ち続ける▽判決を凌駕(りょうが)する立法を▽全国の原告39人のうち6人が亡くなり「時間との競争」―と述べ、補償法と共に優生思想根絶のための理念法の立法や、旧優生保護法問題についての国会での集中審議を求めました。
高橋千鶴子衆院議員が超党派議連のPTの取り組みについて報告。原告・弁護団の主張を土台に補償はできるだけ高く、すべての被害者救済のために党としても取り組んでいくと述べました。結びに穀田恵二国対委員長が今日の原告らの言葉を胸に刻み、集中審議も求めていくと話しました。
同校の卒業生の方が、描いた時の思いや苦労を話してくれるという企画を楽しみにして参加したのですが、急遽来れなくなったとのこと。残念ですが、スタッフの方が本人が用意されていた原稿を読み上げて下さり、思いはしっかり伝わってきました。
私も一言「基町高校の隣の国泰寺高校を卒業しました。被爆した先輩の証言に基づく絵も描かれています。被爆二世として核兵器廃絶にがんばる」と発言させてもらいました。
小畑さんについては、昨年、非核の政府の会のニュースに書きました。ご覧あれ。https://www.inoue-satoshi.com/newspaper/2023/10/nhk231015.html