活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 日弁連.jpg7:30から日弁連・弁政漣役員の皆さんと日本共産党との朝食懇談会。弁護士の社会貢献活動から、働き方改革、改憲問題なと幅広く意見交換ができました。

 10時から外交防衛委員会。中東問題と、多国籍企業の課税逃れ対策について質問しました。中東では、イラン核合意からの一方的撤退、米国大使館のエルサレムへの移動、シリア空爆など、トランプ政権の施策が重大な事態を生んでいます。

 米大使館のエルサレム移転では、抗議する市民へのイスラエルによる発砲で多数の犠牲者が出ています。私は、従来から二国家の平和共存を支持してきた日本として批判を表明すること、和平促進のためにパレスチナの国家承認をするよう求めました。

IMG_4904.JPG 終了後、日報隠ぺい問題の特別監察に関して防衛省から説明。愛知の社保協の皆さんが請願署名をもって来訪してくださいました。

 続いて、日本がODAで支援しているインドネシアのインドラマユ火力発電所に反対している市民団体の代表や弁護士の方が来訪。建設計画の問題点や反対運動への弾圧についてお話しを伺いました。

この問題について三月のODA特で質問した時の答弁など

IMG_4908.JPGも紹介しながら、今後の連携を確認しました。夕方は新宿西口で、日本共産党中央委員会としての定例3000万人署名行動で訴えました。

 夜は久しぶりにプールへ。嗚呼、爽快!

 IMG_4783.JPG京丹後市の米軍Xバンドレーダー基地の二期工事で基地の敷地外の掘削が発覚したことを受け、倉林参院議員、穀田衆院議員秘書とともに防衛省に抗議。防衛省は「米軍に安全対策を求めていく」とするのみでしたが「安全の問題にとどまらない、米軍が敷地外の使用を進めるものであり、主権の問題だ」と指摘しました。

 昨日の国民民主党の発足を受け、参議院の会派構成が大きく変わりました。これまでは民進党・新緑風会が41 、立憲民主党が7でしたが、国民民主党・新緑風会24、立憲民主党・民友会23というのがあらなた構成。これまで全体では第二党となる一定の大きさを持つ野党第一党が存在してきましたが、新たな構成では25議席の与党・公明党が第二党となり、野党第一党、第二党がほぼ同規模というこれまでにない構成となりました。

 参院の民主的運営を確保するためにもこれまで以上に野党の連携が重要になります。また、常任委員長や理事の配分なども変わります。午後3時からの議運で新たな配分を確認。明日10時からの本会議で常任委員長選挙を行い、午後には各調査会も行われる予定。明後日の各常任委員会の開や催についても明日、それぞれ協議が行わます。

 IMG_4780.JPG各委員会で隠ぺい、改ざん、ねつ造問題の真相究明や外交問題、働き方改悪の問題など徹底追及していきます。

 午前中は、国対会議の後、イラク日報問題、幹部自衛官暴言問題についての野党合同ヒアリングに出席しました。

 今日、5月5日、60才の誕生日を迎えました。マルクスと同じ誕生日というのがちょっぴり自慢ですが、還暦を迎えるにあたり、被爆二世としての自らの原点を改めてかみしめようと連休のはじめに広島に帰ってきました。

 DSC_0761.JPG広島平和公園では2ヵ所を訪れました。一つは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催中の企画展「星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集」。同校はわが母校国泰寺高校の前身。建物疎開へ動員されていた先輩達は原爆に命を奪われました。

 我が子を失った遺族は追悼集をまとめ、『星は見ている』として出版されました。企画展では、それを題材に展示と映像が行われ、悲しみと無念と憤りがあふれていました。

広島に育ち、原爆の惨禍は小さい時から身近で聞いてきましたが、何か遠い話でした。それが高校1年の時、学校で映画「ひろしま」をみて、自分がいる同じ場所で先輩たちの若い命が奪われたことに身近に落ちてきたような衝撃をうけました。

 DSC_0763.JPG私は高校時代は応援団長を務め、いつもみんなで応援歌であり、広島一中の校歌であった「鯉城の夕べ」を大声で歌っていました。映画の中では、がれきの下敷きになった先輩たちがこの「鯉城の夕べ」を歌って励まし合いながら、だんだんと声が聞こえなくなり、1人だけになってしまう場面がありました。

 応援歌にこんな無念も込められている――当時、映画を見て、驚きました。企画展では、最後の一人になって生き残り、すでに他界された先輩が当時を語る映像もありました。映画の通りだったのです。

 家族に「鯉城の夕べ」を歌ってくれと頼み、それを聞きながら亡くなったという先輩のこと、被爆した我が子を探し回り、変わり果てた姿に衣類に書かれた名前でやっと確認できたこと――父母たちの手記の朗読に涙がとまりませんでした。  

DSC_0755.JPG もう一つは「平和の子の像」。2歳で被爆し、外傷はなかったのに小6の時に白血病と診断され、回復への願いを込めて折り鶴を折ながら翌年に亡くなった佐々木禎子さんをしのび、友人たちが平和願いをこめて呼びかけ、全国の募金で建立されたたもの。

 毎年、一千万羽もの折り鶴が捧げられているこの像。この日も多くの人々がこの像に祈りをささげていました。 実はその建立日は1958年5月5日で、私の誕生日と全く同じです。

 そのことに気づいたのは、2010年のNPT再検討会議で国連本部を訪れたときでした。「サダコの折り鶴」の語り部をされている若い女性僧侶にニューヨークでお会いした際に知りました。

 IMG_4557.JPG運命的なものを感じました。禎子さんの無念と、この像に込められた平和への思いを受け継ぐのはお前の使命だと突きつけられた思いでした。今回、改めて像の前で自分の使命を確認しました。

 若い命を一瞬の光で奪い、人間の形で死ぬことすら許さなかった原爆。長い間、原爆症で被爆者を苦しめ続ける原爆。この理不尽な核兵器をこの世からなくし、誰もが亡くなる瞬間まで人間らしく生きられる世の中にしたい――先輩たちの無念をかみしめつつ、「原爆の子の像」と一緒に還暦を迎え、決意を新たにした60歳の誕生日です。

DSC_0761.JPG 昨日の朝、京都を出て広島県三次市へ帰省。年始に帰省して以降、歩くのが少し難しくなっていた母ですが、ふつうに歩けるようになっていて一安心でした。今日は、朝に三次を出て広島市の平和公園へ。

 まずは、平和の子の像にお参り。被爆後に白血病で亡くなった佐々木貞子さんをしのび、平和願いをこめて友人たちが建立したのは1958年5月5日で、私の誕生日です。

 続いて国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催中の企画展「星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集」に行きました。同校は母校国泰寺高校の前身。建物疎開へ従事中の先輩達は原爆に命を奪われました。遺族による追悼集からの展示と映像に溢れる悲しみと無念と憤りに接し誓いを新たにしました。 

 高橋ひろ子.jpg福井駅前のホテルを朝出て、金沢へ。石川県の党会議で挨拶しました。その後、京都に戻り、京都被爆二世・三世の会総会で、名大大学院法学研究科の高橋博子研究員の講演「アメリカ公文書から迫る原発と核兵器推進体制の闇:ABCCと核開発」を聞きました。

 被爆者の情報が次なる戦争の準備に使われたこと、被曝の影響を重視した研究を抑え込む体制で国際原子力ムラが強化されたことを強調。重要な内容でした。

 終了後、東京へ。

 12:30から参院外交防衛委員会の理事懇談会。冒頭、豊田硬防衛事務次官が、一昨日夜の小西参院議員に対する幹部自衛官による暴言に対し、謝罪と厳正な対処の発言がありました。実力組織である自衛官による国会議員への暴言は文民統制にも反する重大なもの。厳しい対応を求めました。

 IMG_4300.JPG終了後、ノーモア・被爆者訴訟全国原告団や日本被団協による「裁判の全面解決と認定制度の抜本的改善を求める院内集会」に参加し挨拶。今後は訴訟の場で争うことのないよう交わした08年の「確認書」を政府が守っていません。集会には与野党の議員が参加し、解決への努力を約束しました。待ったなしです。

 16:30から野党書記局長・幹事長会談。衆参の国対委員長も同席しました。これだけ深刻な事態が連続しているにもかかわらず、加計問題での柳瀬元首相秘書官の証人喚問に応じないなど、野党国対委員長連盟による要求に全くのゼロ回答。

 書記局長・幹事長会談としてこれを厳しく批判し、改めて与党に要求を示し、回答があるまでは新たな日程協議に応じないことを確認しました。

 午前中の本会議はいわゆる「生産性革命」に関する法案の趣旨説明・質疑。日本共産党から岩渕友議員が質問に立ちました。

 

 IMG_4293.JPG外交防衛委で質問。まずは、シリア空爆問題。化学兵器使用は許されません。一方、河野外相は、米英仏の空爆を「理解する」としながら、国際機関による「事実解明に期待している」とのべ、事実が未解明だと認めました。

 空爆の国際法上の根拠については「評価は差し控えたい」として答弁できず。これでなぜ「理解」などできるのか。国際法と国連検証を踏みにじるものです。 

 続いてイラク日報問題。小野寺防衛相の「散発的発砲事案があった」との答弁に「戦闘」が8回記載され「戦闘が拡大」とも書かれているとして、非戦闘地域ではなかったと指摘。「サマーワは比較的安定と記述」との答弁に、「当時、全土で戦闘が継続。『比較的安定』と戦闘が無いことは別だ」と反論しました。

 午後に、視覚障害者の皆さんが、点字図書や音声読み上げ図書などをより利用しやすくするための取り組みの現状や課題についてレクを受けました。

 

 IMG_4178.JPG朝の国対の後、10時からの本会議は議了のみで10分で終了。12:10からは「隠蔽、改ざん、ねつ造、圧力 安倍政権退陣へ 野党合同院内集会」に参加しました。

 野党六党の共同で開いたもの、日報隠ぺい、加計疑惑、厚労省問題、森友問題、教育介入について各党が分担して報告。それぞれ委員会で追及してきた議員の報告に、改めて安倍政権をこれ以上続けさせるわけにいかないと怒りと決意がわきます。

 森友問題は辰巳コータロー議員が報告し、ヤンヤの喝さいでした。最後にガンバロー三唱。

 13時から参院開会協議会の選挙制度専門委員会。この間の議論を受け各会派が意見表明。改めて一票の平等を実現しつつ、多様な民意を正確に議席に反映させることが必要だとして、ブロック制の比例代表をたたき台にすべきと発言しました。

 その後、来週の論戦打ち合わせをし、夕方の新幹線で京都へ。

 IMG_4167.JPG今朝の「朝日」は昨日の外防委での私の質問と、自衛隊の河野幕僚長の会見を大きく報道。南スーダンPKOの日報が陸自に存在したことを昨年3/16に「報告を受けていない」としていた河野統幕長に実は1/27に報告をしていたことを質問で明らかにしました。

 質問後の会見で河野しが報告を受けながら公表しないことを了承していたことを認めました。隠ぺいに次ぐ隠ぺい。底なしです。

IMG_4152.JPG 午前中の外防委員会で質問。南スーダンPKOの日報が、無いとしていた陸自にあったことについて、防衛省の辰巳官房審議官は昨年1/27に事務次官と統幕長に報告したと答弁。

 ところが統幕長は昨年3/16の会見で「報告は来ていません」と明言し、特別防衛監察結果にも統幕長への報告の記載はありません。

隠ぺいへの統幕長の関与の隠ぺいか。

 IMG_4155.JPG昨年の特別監察の際、それを理由に国会答弁を拒否し、同時期に新たにイラク日報の隠ぺいが行われるなど、特別監察が隠れ蓑の役割をはたし、真相解明に至っていないことはいよいよ明らか。

 国会としての南スーダン、イラク日報隠ぺい問題の真相解明が必要だ迫りました。

 午後には長野県民医連から、社会保障学校に参加している看護師や職員の皆さん11人が来訪。職員の皆さんの一声アンケ―ト集をいただき、一人ひとりから医療・介護の現場の実情と要望をお聞きしました。しっかり受け止め、がんばります!

 IMG_4166.JPG その後、安倍憲法改悪ノーの3000万署名の提出のために国会に訪れた愛知県の参院選予定候補の須山初美さんらから、本村衆院議員、武田参院議員とともに署名を受け取りました。

夜は、日弁連の今年度の会長、副会長、事務総長披露宴に出席。菊池裕太郎会長が挨拶され、15人の副会長、菰田優事務総長らが披露されました。最高裁長官、法務大臣、検事総長からの挨拶に続き、出席国会議員も壇上に上がり紹介されました。

 阪本.jpg阪本康文副会長(和歌山弁護士会)は大学で同じクラスでした。久しぶりの再会にミニ同窓会でした。 

 IMG_4150.JPG昨日のイラク日報問題での質問は今朝の「赤旗」や「京都」「読売」「毎日」「東京」などで報道されました。明日の外交防衛委員会でも引き続き追及します。

 10時から開かれた本会議は採決三本のみで10分余りで散会。すぐに倫理選挙特別委員会が開かれ、昨年の総選挙の執行状況や取締り状況について報告を受けた後、福島県議選にかかる特例法の審議が行われました。

 福島原発事故による避難指示区域等において、多数の住民が住民票を残したまま長期間避難することを余儀なくされ、国政調査人口と選挙人名簿の基礎となる住民基本台帳人口が大きく乖離した地域があります。

 KIMG7967 (1).JPG特に双葉郡では国調人口が九割減となっており、このままでは選挙区な定数を維持することができません。その対処のための特例法を求める福島県議会からの要請を受けての議員立法です。日本共産党は衆院で、選挙制度とし手の一貫性を貫く修正案を提出しましたが、残念ながら否決。原案に賛成しました。今日の質問でも、党の修正案の考え方を示して法案提出者を質しました。

 終了後、衆院予算委員会の集中審議をテレビで見ながら、明日の外交防衛委員会の質問準備をし、17:30に通告。

 予算では加計問題で、「総理案件」とする文書が報道され、愛媛県知事も職員の備忘録だとして認めているのに、総理はまともに答えようとしません。河村予算委員長の運営もひどい。さらに国民の怒りは広がることでしょう。

 

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