韓国の雑誌『時事IN』が送られてきました。ジャーナリストの洪相鉉さんから先日受けたインタビューが掲載されています。
南北・米朝首脳会談で朝鮮半島の非核化への新しい流れが展開されているのに安倍政権は依然として軍備拡大に没頭していることについて日本共産党の見解や国会論戦についてお話ししました。
今日は午前中は党本部で幹部会。この九月が、日本の政治にとっても日本共産党の前途にとっても正念場の月との認識で、沖縄県知事勝利と党勢拡大特別月間の目標達成をいかに実現するか議論しました。各地での教訓と共に率直な反省も述べられ、突っ込んだ議論が行われました。
午後からは全国都道府県委員長会議が開かれました。国会では午後から、国会対策委員会、議員団会議を開催しました。
台風による強風被害は深刻。京都市左京区の我が家に電話するとテレビのアンテナが折れて、映らなくなったとのこと。電気店などに問い合わせても電話が殺到しているようで、修理のめどがついていません。
幸い、我が家は停電などはなく、周りの被害からみれば軽微に終わっています。被害全体を掌握し、迅速な対応が求められます。
午前中はノルウェー国会の外務防衛常任委員会訪問団と参院外交防衛委員会の懇談会に出席。同国はNATO加盟・EUは非加盟で独自の仲介外交などで存在感を発揮しています。
明日は広島で原爆資料館を訪問予定。同国は、2013年に最初の「核兵器の非人道性に関する国際会議」を開催しています。意見交換の中で、「広島訪問を歓迎します。さらに非人道性への認識を深めてほしい」と発言しました。
ノルウェー政府は、NATO加盟国の立場から核兵器禁止条約に署名しない立場を表明し増していますが、議会は今年二月に、同条約への署名の可能性の調査を求めることを決議しており、今後の動向が注目されています。
京都に帰る新幹線の車内の電光掲示板に嬉しいニュースが連続。一つは、京都の建設アスベスト訴訟の大阪高裁判決で全面勝訴。ネットでも、「国の責任9たび断罪」「一人親方も救済」「建材メーカーを厳しく断罪」など垂れ幕を掲げた写真がアップされました。おめでとう!
もう一つは、「沖縄県が辺野古基地の埋め立て承認を撤回」のニュース。車内で、思わずヨシッと声をあげました。明日、選挙応援に沖縄に向かいます。
『女性のひろば』10月号が届きました。「市民連合みえ」の呼びかけ人の1人、岡歩美さんと私の対談「安倍政権の〝やりたい放題〟を止める力」が掲載されています。是非、お読みください!
京都から名古屋市へ。赤旗日曜版の企画で名大名誉教授・愛知原水協理事長の沢田昭二先生と対談しました。先生は広島国泰寺高校の先輩で、前身の広島一中の2年生の時に被爆されました。
1977年に発刊された「広島一中 国泰寺高校百年史」には当時の1年生は建物強制疎開の作業のために校内や現場で被爆し287人が死亡したことが書かれています。2年生は郊外の工場への勤労動員でしたが、先生はその日、体調不良で休んでおられ、自宅で被爆されました。
がれきの中で動けなくなったお母さんを必死で助けようとする中、火が迫り「母さんはいいから逃げなさい。立派な人間になりなさい」と話す母を置いて泣きながら走ったことを、まるで昨日のように語られました。
その後、物理学を学ぶ学生時代から原水爆禁止の運動に取り組み、以来、研究者として平和運動の先頭にいっかんして立ってこられた先生のお話しは圧巻でした。私も原爆で亡くなった先輩たちの思いを胸に刻んで国会で活動していることをお話ししました。
「井上さんのような若い人に、これからは頑張ってほしい」とも述べられました。60歳になっても、被爆者から見れば若手。思いを新たにしました。
対談は、日曜版に掲載されます。少し先になりそうですが、ぜひ、ご覧ください。
東京を朝出て、愛知県江南市で開かれた国政報告会に参加し、市議団、すやま初美参院候補とともに訴え。
午後からは、金山駅で開かれている「原爆と人間」パネル展を須山さんとともに訪問。広島私立基町高校生が被爆者から話を聞いて書いた原爆の絵を中心に展示されています。
わが母校、広島国泰寺高校(広島一中)が被爆し、がれきの中で先輩たちが校歌「鯉城の夕べ」を歌って励まし合いながらもなくなってい行った様子も描かれています。
続いて、愛知県司法書士会館で開かれた「IRってカジノなの?市民学習会」に参加し、挨拶しました。「愛知カジノを考える会」の主催で、鳥畑与一静大・教授が講演されました。
愛知県は21日に中部国際空港周辺で進める国際観光都市計画の事業者向け説明会を開催。カジノ誘致の動きが強まっています。
私はあいさつで、「法律は強行されたが、実際作るには県が議会の議決をへて申請することが必要。これからの地域でのたたかいが重要」とのべ、カジノを許さないために力を合わせようと呼びかけました。
その後、京都に帰り、京建労の拡大出陣式に参加し挨拶。府内各支部から幹部が集まり、拡大運動の成功に向けて、各支部や主婦の会、青年部など次々と決意表明。勢いがありますね。
夜は綾部市と名張市の市議選開票でした。綾部は四人全員当選おめでとうございます! 名張市は2i人の現職がいずれも投票を伸ばしながらも16票差で三原じゅん子さんの当選にとどまりました。
酷暑の中の選挙、本当にお疲れ様でした
広島に帰省中。今日、終戦記念日の中国新聞テレビ欄。広島カープの試合を中継するRCC中国放送は毎年、縦読みの工夫をしいます。今年は、「野球ができる平和に感謝!」
「京都民報」の7/12、18合併号に、ジャーナリストの布施祐仁さんとの「平和対談」が掲載されています。自衛隊「日報」問題など国会質疑で連携してきたことや、朝鮮半島での非核化と平和の流れと日本の外交について語り合いました。
長崎市の原爆被害者追悼平和祈念式典に参列しました。国会から市田副委員長、紙、仁比、田村、本村各議員が参列し、岡山大の小松教授もご一緒です。各界からの献花があり、日本共産党から市田さんが献花。原爆が投下された11時2分に黙とうをささげました。
長崎の式典に初めて国連事務総長が参列されました。グテレス総長の挨拶、田上市長の平和宣言、被爆者代表の田中被団協代表委員の「平和への誓い」、いずれも素晴らしいものでした。田上、田中両氏は総理を目の前にして核兵器禁止条約に反対する政府に対し、条約への賛同を強く求めました。
総理の挨拶は広島と同じで、禁止条約にも朝鮮半島での非核化の流れにも全く触れない異様なもの。会場の反応は明確でした。田上、田中、グテレス各氏へは長い拍手がありました。とくに田中さんには長い拍手が続きました。これに対して総理への拍手はごく短い、儀礼的なものでした。
終了後、中心公園にいき爆心地の慰霊碑に手を合わせ、原爆資料館にも立ち寄りました。平和宣言でも、長崎の運動を牽引してきた2人の被爆者、土山、谷口両氏が昨年亡くなったことが触れられました。被爆者の高齢化の中、禁止条約の早期発効が強く求められています。
さまざなま思いを胸に、空路で伊丹を経由し京都へ。
京都一巡夏キャラバンで京都市北区、上京区で倉林明子参院議員と共に街頭演説に立ちました。北区では井坂ひろふみ市議の司会で行い、浜田よしゆき府議もご一緒でした。暑い中、聞いていただいた皆さん感謝です。
私は、広島での平和祈念式典、原水爆禁止世界大会が、核兵器禁止条約採択、朝鮮半島の非核化プロセスの開始という激動の中で開かれ、この流れを前に進めようという挨拶が相次いだにもかかわらず、安倍総理の挨拶だけが一切触れない異様なものだったことを紹介。
三月の予算委でも総理に突きつけた「あなたは一体どこの国の総理か」という言葉が、世界大会でも参加者全体のものだったと強調し、「さすがに被爆国政府だ」とみんなが思えるような政権に変えようと呼びかけました。
終了後、神戸空港に向かい、空路長崎へ。到着した時に、翁長沖縄県知事の「意識混濁」というニュースが入り心配していましたが、夜には死去の報が。残念です。無念です。翁長さんも、どんなにか無念なことか。
亡くなる瞬間まで、辺野古の新基地を許さないために文字通り命がけのたたかいをされてきた翁長さん。必ずやその遺志を継ぐ知事をオール沖縄の力で誕生させなくてはなりません。合掌。
73年目の8月6日。核兵器廃絶の誓いを込めて朝6時に平和公園の原爆慰霊碑に日本共産党中央委員会の献花。国会から小池書記局長、笠井、藤野、仁比、倉林各議員と私、広島から大平前衆院議員、高見選挙区候補、県・市議の皆さんらとご一緒でした。
いったんホテルに戻る途中で、母校・広島国泰寺高校の原爆慰霊碑にも参拝してもらいました。ありがとうございます。合掌。
朝食の後、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参列。 原爆が投下された8時15分に黙とう。今年も、セミの声と平和を願う鐘の音が広島平和公園に 響き渡りました。
式典では、広島市長、県知事が核抑止力論を批判し、両氏に加え市議会議長、国連事務総長もそれぞれの挨拶で核兵器禁止条約に触れました。ところが、安倍総理の挨拶は昨年に続いて一言も触れない異様なものでした。
続いて県被団協(坪井理事長)主催の被爆者慰霊式に参列。その後、原水爆禁止世界大会に出席しました。昨年は歴史的な核兵器禁止条約の採択が大会を盛り上げました。今年はさらに、南北・米朝の首脳会談により朝鮮半島の非核化と平和のプロセスが始まったことが参加者を励ましました。
もう一つの今年の大きな変化は、「総がかり行動実行委員会」の福山真却共同代表が初めて参加され、「日本平和運動・民主主義運動は分裂の時代から共同の時代へと確実に新しいステージの上に立っている」と連帯の挨拶をされたこと。
世界も日本の運動も前に進んでいるのに「核の傘」にしがみつく安倍総理。私は三月予算委で、「あなたはどこの国の総理か」と迫りました。世界大会の挨拶で小池書記局長が、今日の総理の挨拶に触れ、同じ言葉を述べると会場から大きな拍手。みんなの共通の思いです。
「さすが被爆国の政府」といえるような政治に変えねば――誓いを新たにしました。最後は檀上に上がりフィナーレ。みんなで「We Shall Overcome」を歌いました。
会場で、中学校の後輩の横江英樹愛知原水協事務局長とパチリ。