午前中は参院、午後は衆院で本会議での代表質問が行われ、衆院では日本共産党の志位委員長が質問に立ちました。参院は、民進党と自民党の質問。
13時から参院改革協議会、選挙制度専門委員会が連続して開かれました。14時から衆院の代表質問をテレビで視聴。総理の答弁は相変わらずでした。
途中、 愛知県と三重県の保険医協会の皆さんから「保険で良い歯科医療」の実現を求める要請書と請願署名を受け取って懇談しました。「お金の心配をせず歯科医療が受けられるよう、窓口負担を引き下げてください」「保険のきく歯科医療を増やしてください」など。しっかり、受け止めました!
17時からは気温零度の新宿駅西口で「安倍9条改憲NO! 3000万人署名」を呼びかけ。宮本徹衆院議員、原のり子都議とご一緒。衆参代表質問での憲法での議論を紹介して、九条改憲の狙いをお話ししました。毎週木曜17時から日本共産党中央委員会として取り組んでいます。
8:15から国対会議。午前中は眼科へ。10:30からの予約だったのですが、込み合っていて、呼ばれたは12時過ぎ。終わったのは13時過ぎでした。やれやれ。
午後は衆院の代表質問をテレビで視聴。今日は立民、自民、希望の質問でした。自民の幹事長の質問のなんと低調なこと。与党は、野党の質問時間が長すぎて一方的な議論になっているとして野党の質問時間の削減を主張していますが、こんな与党質問が長くなれば国会に何の緊張感もなくなります。

さて、議員会館の部屋に広島と長崎の絵が並びました。長崎の被爆者、故・原野宜弘さんの大浦天主堂界隈の絵が今日、届いたのです。先日、ご遺族と京都被爆二世・三世の会による作品展が開かれた際に、「原爆ドームの絵と並べて飾りたい」とお願いして頂いたもの。毎日眺めて、核廃絶への決意を日々新たにします。
午前中は海上自衛隊の舞鶴基地内の要撃ミサイルSM-2、SM-3の整備を行っている施設の警備員を米軍が募集し、その書類の中で自衛隊施設内に「US-Only Area」とされている問題で防衛省から説明を聞きました。「米軍雇用の警備員が警備にあたっている事実はない」との説明ですが、ではなぜこのような募集が行われたのかなど納得のいく説明はありません。
午後には、犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟の総会。幼齢犬猫の販売制限について、「8週令規制」の実現を求め、参加議員や市民団体、専門家の皆さんから声が上がり、環境省が行った調査に対して異論が相次ぎました。
夕方の議員団会議では、沖縄南城市長選挙勝利の意義について赤嶺議員から報告。本土のマスコミは現職への多選批判があったとの報道だが、実際は、反「オール沖縄」の急先鋒だった現職に対し、オール沖縄勢力が勝利したものだと意義を語られました。
自民党などは、逆に名護市長選は絶対に負けられないと引き締まり、取り組みをさらに強めており、全国的な支援の強化も呼びかけられました。
夜は、東京広島県人会の新春懇親パーティーに参加。広島からも多くの首長や経済界から参加されました。経済界から参加された鯉城同窓会の細川会長や東京鯉城同窓会の皆さんと交流しながら、お好み焼きや尾道ラーメン、広島のお酒に三次ワインとふるさとの味を堪能しました。
京都の日本共産党南地区委員会主催の国会報告会「憲法、北朝鮮、自衛隊 ~井上参院議員画なんでも答えます」に参加。
30分お話をした後、約1時間のQ&Aコーナー。3000万署名の活動に取り組む中で寄せられる意見を中心に「北朝鮮が攻めてきたらどうする、といわれる」「若者に無関心が多いのではないか。どう訴えるか」「戦争で儲けている軍需産業のことをもっと話すことが必要ではないかけ」などなど、途切れなく質問が続き、汗をかきながらお答えしました。
現場でいろいろと苦労をされている皆さんに、少しはお役に立てたと思いますが、相手の方の思いにかみ合って、端的にどうこたえるか、まだまだ、自分自身の研究、工夫が必要だと感じました。
終了後、名古屋市に移動し、愛知国公の旗開きに参加し挨拶。参加者に皆さんと交流し、明日の市議選第一声に備え、三重県津市へ。
希望の党との統一会派結成について議論する民進党の両院議員総会が開かれましたが、異論が続出して結論は見送り。これを受け、希望の党は民進党との統一会派協議は打ち切ることを明らかにしました。
安保法制を容認する希望の党との統一会派は筋が通らない、市民への裏切りだという大きな声が広がる中、踏みとどまった!
民進党は、この間の野党の党首会談での合意を踏まえ市民と野党の共同をしっかりと進んでほしいと思います。
午前中は、防衛省の来年度予算についてのレク。予算額は過去最高を更新し、内容でも攻撃的兵器を多く盛り込んだもの。厳しく論戦していきます。
国会内で開かれた、ノーベル平和賞を受賞したICANのベアトリス・フィン事務局長を迎えての討論集会「核兵器禁止条約と日本の役割」に出席。外務副大臣と政府と与野党10党が出席し共産党からは志位委員長、吉良議員が発言し、笠井、本村、武田議員と私が出席しました。
フィンさんが「核抑止力は神話であり北朝鮮の核開発は進んでいる」とのべ、核を違法化する条約への日本の参加を強く求めました。国会としての、調査や議論も呼びかけられました。
終了後に日本共産党からの出席者で挨拶し、握手。会場には被爆者の皆さんも参加。高校の先輩で長崎原爆病院の名誉院長の朝長万左男さんにもお会いできました。
前後して国対会議と、議員団会議に出席。来週月曜日の国会召集に向けて議論。民進党と希望の党の統一会派で基本的合意したことは、まったく筋の通らない話。党内では相当の議論がありそうです。国民の信頼を裏切らない結論を期待したい。
京都市内で昨日の夕方からちらついていた雪。夜中に降り、今朝の吉田神社はうっすら雪化粧。センター試験の受験生が大丈夫だったか心配に思いながら、試験会場の京大の前を通り、京都駅へ。
名古屋市千種区日本共産党後援会の餅つき大会に参加するために向かいました。関ケ原の積雪で新幹線は減速運転で四分遅れましたが、名古屋は雲一つない快晴でした。
会場に着くと、まずは、開幕太鼓。その後、後援会長の挨拶に続き、私と酒井ケンタロー市議候補が挨拶し、二人とも早速杵を持って餅つき。
つきたてをきな粉で頂きましたが、自分でついたのは、とりわけ美味です。「お餅のように粘り強くがんばる」と決意を新たにしました。名東区の斉藤愛子市議もご一緒でした。
京都に帰り、東本願寺のしんらん交流館でひられている、京都被爆二世・三世の会などが共催している「原爆の戦禍、生きてきた証、そして平和への願いを絵に託す原野宜弘作品展」へ。
生後10か月で長崎で被爆された原野さんは、病気のリハビリかねて50歳のころから絵をはじめ、長崎の風景や原爆の告発、平和を求める心、母親への愛情などをこめた作品を残してこられました。
一昨年亡くなられ、このほど、ご遺族と被爆二世の会などの共催で作品展が開かれたもの。原爆や平和を描いたものはとても大きい絵で、原野さんの思いが伝わってきます。会場でご子息と記念写真。
午前中は海上自衛隊の舞鶴基地内に「US ONLY」とされる部分が存在し、米海軍が警備員の募集をしていた問題で防衛省からレク。事実関係を確認して再度、レクを受けることにしました。
夜は、京都にとんぼ返りし、民主府・市政の会の新年の集いに出席。勇壮な太鼓の演奏に始まり、各界からの挨拶のあと、清酒「九条」で乾杯。市民団体、労組・民主団体、府内各地の地域の代表など、会場いっぱいの参加者でした。
テーブルを回って挨拶と懇談。21日告示の綾部市長選挙に立候補を予定している、堀口達也さん(日本共産党市議)の決意もあり、がっちり握手しました。
四月の知事選は、全国知事会長を務める現職知事が不出馬を表明する中、誰も候補者が名乗りを上げていない異例の事態。民主府政の会も、この間の市民と野党の共闘の広がりを踏まえた候補者選考の最中であることの報告もありました。
府政を自民党から府民の手に取り戻す絶好のチャンスであり、再び「憲法を暮らしに生かす」と高々に掲げる府政の実現で安倍改憲にストップをかけるチャンスでもあります。
がんばろう!
チェコ共和国大使館から新年昼食会にご招待があり、山添拓議員と共に参加。トマーシュ・ドゥプ大使、ミラン・スラネッツ次席と二時間にわたり懇談しました。
昼食会は、日本共産党議員と2018年の政治や社会の展望について意見を交わしたいという大使の要望によるもの。大使からは冒頭、チェコ・モラビア共産党議員からのお勧めがあり、今回の懇談に至ったとのお話がありました。
若者の支持獲得、野党共闘、憲法改正の動きなど内政問題から、北朝鮮や中国に対する安倍政権の対応、日米安保、世界の共産主義政党とどんな交流があるかなど、多岐にわたりました。
1968年に、当時のチェコスロバキアでの専制体制から抜け出そうという動きにソ連が侵略したときに日本共産党が厳しく批判をしたことも話題に。当時を体験された大使も、「日本共産党の対応については知っている」とのお話でした。
今後、チェコから国会議員が来日されたときにはぜひ、懇談の場をもちたいというお話もありました。チェコ料理を頂きながらの楽しく充実したひととき。さながら「党を語る集い」のようでした。
東京を朝出て長野県へ。年末の候補者発表以来初の北信越入りです。JRの上田、長野、松本各駅前で、長瀬由希子参院長野選挙区予定候補(県書記長)とともに新春街頭演説会で決意を表明。
冷え込む中、どこでもたくさん集まって下さり、感謝感激です。長野駅前では成人式帰りの晴れ着姿も。おめでとう!
松本駅前で街宣の後、松本市文書館に池田国昭市
議の案内で行きました。目的は終戦直後8月18日に町村等に出された「機密重要書類焼却の件」の通達を閲覧すること。
その文書自身も周知後に「焼却」とされていましたが、旧今井村役場の「昭和20年庶務関係書類綴」の中に残されていたのです。国会でも取り上げられたことがあり、是非一度、閲覧したいと思っていたのが実現しました。
この通達には、「秘」「親展」「至急」の印があり、「各種機密書類、物動関係書類、その他...此際速ニ焼却シ、特ニ保存アルモノハ所管官庁ニ打合ノ上隠匿スル等適宜ノ措置ヲ構ゼラレ...周知セシタルト共に本文書ハ前記書類ト共ニ焼却相成度」しています。軍と官僚による戦争の証拠隠滅を示すものです。
同館には「機密重要書類焼却の件」通達の3日後に出された「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」の通達も所蔵されています。占領軍GHQの調査が始まる前に、これら通達に従い、全国の軍、町村役場、学校、地域等で数日かけて重要書類が焼却・破棄されました。
アジアの人々と国民に重大な被害を与えながら責任を逃れようとした軍や官僚の姿です。その姿勢は今も続いています。