早朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射。日本共産党は志位委員長が「北朝鮮の弾道ミサイル発射に厳しく抗議するー対話による解決に逆行する行為を中止せよ」とする談話を発表しました。
午後に与野党国対委員長会談や参院の自民・民進の国対会談が行われ、明日、衆院安保委、参院外防委で閉中審査を行い、委員会決議をあげることを確認しました。
午後には参院自民党の新役員の皆さんが挨拶に来られました。15時から国対会議。中座して16時発の新幹線で京都へ。3日告示の城陽市長選挙・岡本やすよ候補必勝の決起集会で「共同広げ新しい政治を」と訴えましたた。会場一杯の参加で熱気にあふれ、大西・元市長も応援弁士に立ってくださいました。
明日の委員会のために東京にとんぼ返り。新幹線内で質問原稿を書きました。
28日は京都を朝出て東京へ。午後に、9/8から東富士演習場で行われる日米共同訓練について防衛省からレク。
8/10の閉中審査以来の久しぶりの国会。午後から議員会館前で開かれた「朝鮮半島に平和を!核もミサイルもいらない! 市民・宗教者緊急集会」で挨拶。その後、国対会議、議員団会議と続きました。
会館前の集会では、福島みずほさんと並んで挨拶し、米朝の軍事的恫喝の応酬は軍事衝突につながりかねないと指摘。危機打開へ、北朝鮮は軍事的挑発行動をやめよ、米朝は無条件で直接対話を、日本政府は米朝対話の実現と平和的解決に力を尽くせと訴えました。
京都を朝出て長野県松本市へ。日本共産党長野県後援会の総会に出席しました。藤野やすふみ衆院議員、武田良介参院議員と私の長野から送ってもらっている3人の国会議員とにしざわ博比例候補、必勝区の毛利栄子四区候補・県議をはじめ5人の小選挙区候補が勢ぞろいして衆院選挙勝利への決意を述べました。
私は核兵器禁止条約についての特別報告。採択の瞬間の感動や条約の内容と意義と共に、長野が果たしてきた役割をさらに発揮し、条約にサインする政府を作り、核兵器廃絶を進めようと呼びかけました。
国連会議の冒頭で被爆者を代表して演説した藤森さんは長野県茅野市在住。長野県では三月にヒバクシャ国際署名の推進委員会が結成され、すでに県内の自治体の首長77人全員が署名されています。
8/6の「信濃毎日」は核兵器廃絶に向けた課題について社説を掲げ、長野県の被爆者の会が広島、長崎と同時期の1956年にに全国で先駆けて結成されたことや、以来その中心で奮闘された松本氏の信大正門前で食堂『ピカドン』を営んでおられた故・前座良明会長を紹介しています。
そして今後、核兵器廃絶の運動を若い世代にも広げていくうえでの指針として、前座さんの口癖だった「今日の聞き手が明日の語り手」という言葉を紹介しています。私も前座さんんが亡くなる前にいただいた冊子のタイトルでこの言葉を知り、以来、演説会でも紹介してきました。今日の報告でも改めてこの言葉を示して締めくくりました。
「今日の聞き手は明日の語り手 その輪が広がっていくことが戦争をなくす最大の力」――この言葉、大好きです。そして、私自身の指針です。
京都を朝出て、三重県内2ヵ所でお話ししました。まずは、10/22投票で市議選がたたかわれる伊勢市へ。黒木きよはる、楠木ひろひこ両現職の勝利をめざす後援会の決起集会で訴えました。
近鉄の宇治山田駅で降りると、正面に「伊勢で生まれた大投手 沢村栄治生誕百周年」の垂れ幕がありました。
沢村について訴えておられた市田副委員長の話を思い出し、「巨人軍で三度ノーヒットノーランを達成しながら、三度目の応召で戦死した沢村をはじめ、多くの無念が込められた憲法九条。改悪許さない声は日本共産党へ」と演説しました。
4年前の選挙は告示日に応援に来て土砂降りでした。元国会議員秘書の楠木さんの当選で現職の黒木さんと8年ぶりの複数議席を回復。黒木さんは、「2人になれば、こんなに市民の願いを実現できると驚いている」とお話しされましたが、市民とともに実績を重ねてきた4年間。なんとしても引き続く二人の勝利を!
谷中みよし衆院4区予定候補の決意表明もありました。
終了後、四日市に移動し、核兵器禁止条約を採択した国連会議の報告集会。衆院2区の内藤こういち、3区の野村まさひろ候補の挨拶に続き、約1時間、お話ししました。皆さん、とても集中して聞いて下さり、条約採択をとても喜混んでおられることが実感できました。
この条約にサインする政府をつくろう! 終了後、京都へ。
終戦記念日を前後して、さまざまな特集番組が放映されています。昨夜のNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」は見ごたえがありました。
京大医学部の医師も関与し、細菌兵器開発のために中国で行った人体実験の具体的証言が、ロシアに残っていた裁判の音声記録で明らかになったもの。大スクープです。そしてあまりにもおぞましい証言内容。
人体実験を行った医師は、自殺をした人もいれば、戦後、医学界の幹部になった人も。医学者、科学者の在り方を鋭く問うものです。最後には防衛省が大学等に軍事研究のために資金を提供する制度に関する学術会議の議論も紹介されました。
今、戦争と科学者の問題は鋭く問われています。医学者、大学の戦争協力を再び許してはならない
京都市山科区の西本願寺山科別院で開かれた「核兵器禁止条約締結したニューヨーク国連会議報告会」で報告しました。
山科戦争展実行委員会と山科平和を守る会と日本共産党京都東地区委員会の共催。用意した資料が足りなくなる60人を超える皆さんが参加しました。
ちさか拓晃衆議院京都2区候補の挨拶に続き、私から、広島に育った被爆二世としての思いも紹介しながら、約50分間の報告。
できるだけ国連会議の様子をリアルにお話しするよう努めましたが、「その場にいるようだった」という感想もいただきました。ありがとうございます。
若干の質疑応答の後で原水禁世界大会長崎大会に山科から参加された二人の青年からの報告もありました。
那覇市内のホテルで琉球新報一面をみて驚きました。なんと政府はオスプレイ自粛要請を撤回。安全だとするアメリカの説明を「理解できる」とのこと。連続して墜落したのになぜ安全なのか!国民は理解できない。怒、怒、怒、怒
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の佐古忠彦監督の舞台挨拶に会場みんなで「ありがとう」を送りました。今後、全国上映があります、ぜひ、ご覧ください!
14時から、「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない8.12県民大会」が、肌を焼く日差しの中で始まりました。暑さに負けず沢山の皆さんが怒りをこめて集まっています。国会議員団から赤嶺、笠井、田村、真島、仁比各議員と私が参加。九州ブロックの松岡さんもご一緒です。
集会は、4万5千人の参加で大成功! 稲嶺進名護市長、翁長雄志沖縄県知事が辺野古新基地建設反対、オスプレイ配備撤回・飛行禁止を訴えて力強い挨拶。最後に「NO 辺野古新基地」「我々はあきらめない」のメッセージボードを掲げてアピールしました。暑い!そして熱い!。
集会を終え、水分補給と休憩の後、那覇空港から関空に降り自宅へ。自宅着は22:30でした。充実した2日間の沖縄入りでした。
明日の県民大集会の参加のため、羽田6:40の便で仁比議員とともに沖縄入り。中村重一北谷町議の案内で基地視察を行いました。
まずは、嘉手納基地。米兵の基地外居住の状況を見た後、基地を見渡す道の駅へ。来るたびに基地が増強されていると実感します。丁度、F15が4機連ねて発進。すさまじい騒音。沖縄の負担軽減だとして本土に移転した以上に外来機の使用が増えている実態など聞きました。
続いて、辺野古新基地建設現場へ。安保破棄実行委の皆さんと一緒に平和丸に乗って海上から抗議と視察。美しい海を遮るオレンジのブイ、海に投げ込まれたケーソンに怒、怒、怒。
県民を諦めさせようと、工事が順調にすすんでいるかのような大宣伝が行われましたが、様々な問題があり彼らの思うように進んでいないのが実態。その点も詳しくお聞きしました。
続いて辺野古のテント村を訪問し、交流。京都市伏見区の皆さんとあいました。糸数参院議員を招いての集会で寄せられた30万円のカンパを届け、県民集会に参加されるとのこと。
伏見区では同じ時間に連帯街宣も行われます。全国で熱い連帯と闘いが広がっています。「勝つ方法はあきらめないこと」
テント村には、原水禁大会に参加された外国代表の皆さんも来訪。
米国の平和団体「平和、軍縮、共通の安全保障キャンペーン」代表のジョセフガーソンさん、国際平和ビューロー共同代表のリサ・クラークさんと懇談。トランプ氏と金氏の応酬による緊張の高まりに危機感を述べられました。
夜は自由法曹団の皆さん懇談。基地をめぐる訴訟やオール沖縄のたたかいの現状と課題、など、たっぷりと意見交換ができました。
衆院安保委、参院外防委の閉中審査が開かれました。午前中は衆院の質疑を聞きながら、午後の質問原稿の仕上げ。
参院外防委は13:30から始まり、まずオスプレイ墜落事故について、菅官房長官が会見で「自粛要請」に「運用上必要な場合を除いて」と条件を付けたことを批判。すると小野寺防衛相は、自分は条件を付けていないと。
では、米軍が「運用上必要」とオスプレイを飛行させたことに抗議せよと求めてもまともに答えず。結局、「運用上必要」と言われれば、容認する姿勢。どこの国の大臣かといいたい。
続いてPKO日報隠ぺい問題。特別監察によれば隠蔽が最初に行われたのが昨年七月。駆けつけ警護の真任務付与が検討されていた最中です。新任務付与を行うために、日報に書かれた南スーダンでの「戦闘」の事態を隠したかったのではないかと質したが、監察本部は「確認されなかった」というばかり。
観察結果は、なぜ、日報を隠蔽したのかという問題にまともに不眠子でいません。特に、南スーダン情勢とPKOをめぐる国会論戦への影響と日報隠蔽との関係にはまったく触れていません。身内調こ査の限界。国会に真相解明の責務があります。そのためにはやはり、稲田前大臣はじめ関係者の出席が不可欠だ!問題
長崎への原爆投下72年目。私も平和祈念式典に参列する予定でしたが、外防委員会の理事懇や閉会中審査が行われるため、テレビの前で核廃絶を祈りました。市民参加で作られた平和宣言を田口市長が読み上げました。
政府に対し、「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、交渉会議にさえ参加しない姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難。「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めました。思わず拍手。安倍総理はまたも、一言も触れずじまい。この政権を変えるしかありません。
朝から、明日の外防委の質問準備。15時から理事懇が開かれ、質問時間や稲田前大臣ら日報隠蔽問題の関係者の出席についてき協議しましたが、与党はあくまで稲田前大臣らの参考人出席を拒否。しかし、真相解明には当時の関係者の出席は不可欠。野党は納得せず、引き続き協議することに。
夕方に質問通告。