仙台市長選挙で、民進党衆院議員を辞して立候補した、野党4党と市民の共同候補の郡和子さんが自民・公明が推す候補を破って見事勝利。都知事選に続いて自民党政治―の厳しい審判が下り、野党と市民の共同こ政治を変える力であることを示しました。
郡さんは国会内での共同の集会でご一緒することがたびたびあった方。今朝、9:15分からの国対会議が終わったところで、穀田さんの携帯に郡さんからお礼の電話がかかってきました。本当にうれしい!
今日は衆院予算委員会の閉会中審査。日本共産党から宮本徹議員が加計学園問題で、笠井亮政策委員長が防衛省の日報隠蔽問題でそれぞれ追及。安倍総理は、これまでの答弁姿勢に問題があったことを認め「不徳の致すところ」など述べましたが、答弁の中身は肝心なことは何も答えず、不誠実なままでした。
さまざまな答弁の食い違いや、相変わらずの「記憶にない」答弁など、疑惑はますます深まった審議でした。明日は参院で小池書記局長が質問立ちます。
アイスランド二日目。午前中は930年に世界初の議会が開設されたシングヴェトリルを視察。この付近では、ユーラシアプレートと北米プレートの大地の裂け目を見ることができます。地上に露出してるのは世界でも二カ所だけとのこと。
年間2.5㎝ずつせり出し、ユーラシアプレートは日本の地下で沈み込み、地震の原因となっています。プレートの動きは高校で習い、この間の大地震のたびに地下深くで起きていることととして頭の中ではわかっていましたが、こうして目の前で見ると、地球は生きていると実感します。
午後はブリーズヘイマル農場を視察。地熱利用の温水で常に24度に保ち、地熱発電を使った照明で光をあてトマトをハウス栽培。国全体の18%のトマトを出荷しています。
畑の横でトマト料理も食べられます。とれたてのグリーントマトのジュースをいただきながら説明を聞きました。地熱利用の様々な可能性を実感。
スウェーデンのホテルを6:15に出て、空路3時間で空路3時間でレイキャビクの空港に到着しました。市内に入るまでは溶岩の荒涼とした風景でしたが、市内には緑が。
同国は、人口34万人弱で面積は北海道よりやや大。一人当たりGDPは日本の1.5倍です。
午前中は、火山氷河博物館を視察。同国への観光客は近年、急速に増えており、この施設も昨年できたもの。同国は、軍を持たず、大統領官邸等の警備も極めて簡素。民間研究機関による「平和度」ランキングでは6年連続の世界一。写真は、途中に立ち寄った、レーガン・ゴルバチョフの首脳会談が行われた迎賓館。
午後から国会を訪問し、ビャルナソン外務副委員長ら6人の国会議員と懇談。同国はとても親日的な国で、アイスランド大の語学コースでも米語に続く人気。アイスランドの議会制度の歴史と日本との交流、北極航路実現、地熱エネルギー活用での協力、男女平等などフレンドリーな懇談となりました。
アイスランド議会は定数63で、930年の民族議会に起源をもつ世界最古の国会。世界一男女格差が小さい国で、現在の閣僚の10人中4人、国会議員の半分は女性。
世界初の民選の女性大統領も同国です。それでも、さらに女性の地位向上を求めている発言があり、3ヵ国訪問を通じて日本の遅れを改めて痛感 させられました。

続いてヘットリスヘイディ発電所を視察。世界第二位の地熱発電所です。同国では、全国の9割の住宅が地熱利用の温水・暖房を使用し、エネルギーの約8割が地熱・水力の再生エネルギー。
運営している会社のCEOから詳しい説明を受け、質疑応答。同発電所の7機のタービンは全部日本製であり、日本には世界有数の地熱資源もそれを
活用する技術もあります。環境問題などの解決が必要ですが、日本でも地熱エネルギーを一層の活用をしていくことで大きな可能性を切り開くことができると改めて確信しました。
今日の日の出は4時で、日の入りは23時。曇天ですが23時過ぎでも明るい。一方、時差で猛烈に眠い。 おやすみなさい。
ストックホルム中心部のホテルから見える風景。なんて美しいまちなのかと思い、朝食後に散策しました。バルト海に浮かぶ島の間が橋でつながれてできた町。水と緑、歴史的な建造物。空気も澄んでとても気持ちいいまちです。
自転車専用道が整備されていて、自転車で通勤する人々の姿も目立ちました。ホテルでの朝食の際には、日本人観光客の複数のグループがおられました。日本人にも人気の観光地です。
9:30から国会議事堂を視察。スウェーデンの女性国会議員の比率は43.6%(日本は13.1%)。議事堂の一角で女性の政界進出の歴史を紹介しており、並んだ写真は左からそれぞれ女性で初の国会議員、大臣、党首、議長です。
最後に椅子の上にある鏡に女子生徒などの見学者が顔を映すと、その下には、「スウェーデンの初の女性首相は誰でしょう?それは鏡に映っている貴女かも」と書いてあり ます。さすがです。
ビョーン・フォン・シドウ国会議員(元議長・社民党)と懇談。2014年総選挙で社民党と環境党による少数左派政権が成立する一方、移民規制強化を主張するスウェーデン民主党が第三党に躍進。
移民問題は来年の総選挙でも大争点になるとのこと。少数与党政権の運営の難しさのお話しも。
在留の日本企業の方々と昼食懇談の後、ケネス・フォシルンド外務委員長と懇談。スウェーデンは軍事非同盟の立場をつらぬきNATO非加盟で、先日の核兵器禁止条約の採択では賛成。私は国連会議に参加したことも紹介し、条約の意義をどう考えるか質問。
ケネス氏は、北朝鮮に核を持たせない対話を進める上でも条約で核兵器を禁止することは積極的だと述べられました。ロシアでもそうでしたが、国際北朝鮮の核・ミサイルについて国際社会の重大問題との認識が示される一方、米韓軍事演習などの軍事的対応に懸念が示され、対話による解決の必要性が語られたことは重要でした。
その後、ノーベル賞博物館へ。カフェの椅子の裏に受賞者がサインすることで有名。日本人観光客のために山中氏のサインが展示中。晩さん会で使う食器も展示されており、ナイフ等は新潟県燕市のものです!
午前中はホテルから徒歩で「赤の広場」へ。17世紀後半に名付けられ、「赤」は共産主義との意味ではなく「美しい」という意味です。
クレムリンの城壁に接してレーニン廟があります。39年前にも来ましたが、その時は外から眺めただけ。
今回、初めて中に入り、レーニンの遺体と対面。まるで寝ているかのようで、あまりにもきれいなため蝋人形ではないかという指摘もありますが、エンバーミングという、遺体の各部をプラスチックやほかの物質と取り換えて、防腐処理をして保存しているとのこと。
死後、遺体のまま、ずって展示され続けることをレーニンは望んでいたのでしょうか。疑問です。
お昼から、ディンキン世界経済国際関係研究所会長、コルトゥノフ国際問題評議会事務局長と昼食懇談会。2時間半にわたり、日露関係や米露、中露関係の現状と展望、北朝鮮問題、経済改革と格差など幅広い問題で貴重なご意見を聞けました。
違う二つの調査の比較になりますが、日本と「友好関係にある・どちらかというと友好関係にある」というロシア人は78%。ロシアに「親しみを感じない・どちらかというと感じない」という日本人は76.9%と逆。ソ連時代の印象と今のロシアの外交姿勢が一つの原因か。その下で両国関係をどう発展させるか。重要な課題です。

夕方にモスクワを出発し、空路二時間でスウェーデン・ストックホルムの空港に到着。沢山の島で成り立つ水と緑の自然豊かな美しい街です。夕食は、山崎大使の公邸で現地情勢のブリーフを兼ねていただきました。
時差で四時半には目が覚めました。朝食前に早朝のモスクワ市内を散歩。とてもきれいな街です。午前中はクレムリンを視察。クレムリンとは城壁という意味で、城壁で囲まれた中にかつての宮殿やたくさんの聖堂、大統領府などがあります。
写真の背景にあるのが大統領府。旗が上がっているときはプーチン氏が中にいるとのことでした。
今は、夏の観光シーズン中。中国人観光客が圧倒的に多いのに驚きました。
正午からマトヴィエンコ連邦院(上院)議長、エビファノヴァ国家院(下院9副議長を表敬し、懇談しました。ロシア政治では大統領、首相につづくナンバー3という位置になります。
日露間の経済関係の発展や地域間協力の強化、人的・文化的交流の発展、平和条約締結の問題など幅広い問題で有意義な意見交換ができ、議会間交流を一層発展させることで一致しました。
マトビィエンコ氏との懇談は、日露のマスコミの多数の取材があり、注目の懇談となりました。 日本でもNHKニュースで報道されました。
昼食はロシア在住の日本企業関係者と意見交換。様々なご苦労とともに、日露経済関係の発展についての貴重なご意見を伺うことができました。
夕食はコサチョフ連邦院国際問題委員長ら五人の議員と懇談。席上、日露平和条約について「領土不拡大という第二次世界大戦の戦後処理の大原則に立った解決が必要だというのが日本共産党の立場」と強調しました。
クレムリンの夜景が美しい。
党創立95周年の記念日。先日、核兵器禁止条約の採択という歴史的瞬間に国連本部で立ち会った余韻のなかで迎えました。格別の思いです。
そんな今日、京都で開かれた「核兵器廃絶国際署名(ヒバクシャ国際署名)を大きく広げる京都の会」の設立総会に参加しました。京都被爆者懇談会、被爆二世・三世の会、京都府生協連、原水協など28の団体の参加で発足。2020までに京都府で50万筆を目標に署名に取り組みます。
総会では、日本被団協の木戸事務局長が講演の。その後、各団体から発言。私も二世・三世の会として、国連会議での禁止条約採択の様子や、ヒバクシャの訴えと署名が国際社会を動かしたことなど報告。新婦人の澤田事務局長からも国連交渉会議参加の報告がありました。
今回の条約採択が、これまで草の根から原水爆なくせの運動を進めてきた皆さんに大きな確信を与え、よし、さらにがんばろうという激励になっていることを痛感します。私自身もさらにがんばりたい。
総会に先立ち、昼前に京都府職労連70周年記念行事に参加し、森委員長や歴代の役員の皆さんにもお会いできました。府内各地からの特産物が持ち寄られ、さすがです。とりわけ地鶏のやきとりはとてもおいしかった。
その後、京都AALA連帯委員会の美術班の皆さんのグループ展「頴展(えいてん)」に行きました。平和への思いを胸に、絵画、写真、版画、コラージュ、陶芸など様々な分野から出展されています。
昨日は、元京都市議団長の若宮修さんの夫人の喜久子さんのお通夜に参列し、お別れしました。合掌。
歴史的な核兵器禁止条約の採択から一夜明け、8日午前中に出発し14:00に成田に着きました。国連での活動は3日間でしたが、とても濃密で有意義な時間でした。
この場に被爆国日本の政府がいないことが残念であり悔しくてなりません。この条約を締結する政府へと変えたいと決意を新たにしています。
採択にあたり、志位委員長が「歴史的条約を力に、核兵器全面廃絶の実現を―核兵器禁止条約の採択を心から歓迎する」と題する声明を発表しました。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_02_1.html
この中で、核兵器禁止から廃絶へと進む力として(1)史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約のもつ力(2)この流れを推進している多数の国々の政府と市民社会の力(3)核保有国とその同盟国での政治の変革―という3点を指摘しています。そのために力を尽くします。
この間、ツイッターやFBにたくさんの皆さんからコメントをいただき、ありがとうございます。多くの皆さんにこの感動と歴史的意義、今後の展望について報告したいと思います。ぜひ、各地で企画してください!
やった!国連核兵器禁止条約が10: 50に賛成122、反対1、棄権1の圧倒的多数で採択されました。会場は拍手と歓声に包まれています。抱き合う姿も。被爆者と市民の声が歴史を動かした瞬間に立ち合えたことは感無量です。
エレン・ホワイト議長はガッツポーズをし、「人類にとって歴史的」と涙を浮かべておられました。
採択後に各国からの「歴史的」「画期的」など発言に続き、中満・国連軍縮担当上級代表の演説。
中満さんが日本被団協の折り鶴バッチをつけている姿に、被爆者が果たした役割の大きさと会議全体が被爆者に敬意を捧げていることを実感しました。
午前の議事がおわったところで、志位委員長が、議長席に駆け寄ってホワイト議長と握手し、敬意と祝意を捧げました。
ベトナムのグェン・フォン・ガー国連大使と懇談。志位委員長が採択に対して発表した声明を手渡し、ベトナムからは「核兵器の使用の威嚇」を条文に盛り込むために努力したことなど語られました。
15時から会議が再開され、 発言の最後はカナダ在住の被爆者サーロー節子さんの発言。圧巻でした。会議場全体が立ち上がり、拍手が長い間続きました。
最後にホワイト議長が閉会を宣言すると再び全員が立ち上がり拍手。あちこちで抱き合う姿が。歴史が動く音が聞こえるようです。
終了後、サーローさんと日本被団協の藤森さんがインタビューにこたえ、「亡くなった多くの被爆者に報告したい」「一年前に被爆者国際署名を始めたときに、こんなに早く実現するとは思っていなかった」など語られました。
また、会議に参加さず、「条約に署名しない」と明言した日本政府を厳しく批判されました。
今回の会議には、イッセイミヤケのネクタイで参加しました。三宅一生さんは広島国泰寺高校の先輩。2007年、7歳の時に被爆したことを明らかにしニューヨークタイムスで、核なき世界を呼びかけた方。原爆で亡くなった先輩達を思い、被爆二世として採択を見届けました。
国連核兵器禁止条約交渉会議二日目。10時からの開会前に、国連本部前の非暴力を象徴するオブジェの曲がった銃の前で、笠井、大平議員とパチリ。
朝、最終案が提案され、10:25から始まった会議でエレン・ホワイト議長が、明日10時からの会議で採択する議事日程を宣言。 この後、オーストラリアの緑の党の国会議員(写真)など市民社会の代表三人が発言し、今日は散会。
一部の報道で、核兵器禁止条約に「使用の威嚇」が盛り込まれたことで、核兵器国等の参加を困難になったとの論評もあるようです。しかし、ドゥアルテ氏も昨日、懇談で述べられたように、武器による威嚇は国連憲章で控えるとしているものであり、核兵器の使用の威嚇を認めることは国連憲章に反するものです。
しかも、条約には核兵器国の今後の参加に二つの道が盛り込まれており、門戸を開いたものとなっています。禁止条約制定という歴史的事態に対し、核兵器国の真剣な検討が求められています。
終了後、アイルランドの軍縮・不拡散局のバーンスタイン副局長と懇談。同国が核兵器廃絶に熱心に取り組んでいる理由について、イギリスから独立した同国がその精神を外交に生かしていること、広島・長崎の惨状を見て紛争の平和的解決の必要性を感じていると語られました。
午後は米国の平和団体「ピースアクション」や「ピース&ジャスティス」の若者、ピースボートの川崎哲さん、国連軍縮担当特別代表の中満泉さんらと懇談。
中満さんは核兵器禁止条約の採択について、市民社会の取り組みに謝意を表し、核兵器国との対話の促進に期待を寄せられました。
さあ、明日は歴史的な採択の日です。写真はレキシントン通に面したホテルの近くの市街地の様子。