活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

DSC00443.JPG 26日の朝から27日午前まで人間ドック。長くて激しい通常国会でしたので、しっかり健康をチェックしてもらいます。

 10時半に病院を出て国会に戻り、11:30から国会対策委員会。13時からは日本共産党岐阜県委員会の政府要請行動に同席。高木光弘参院選挙区候補を先頭に地方議員の皆さんが参加され、本村伸子衆院議員、武田良介比例候補もご一緒でした。

 朝から夕方まで様々な省庁への要請でしたが、私は経産省への原発問題の要請のみの同席。13:30からはTPP問題での議員団学習会。萩原伸次郎横浜国大名誉教授からお話を聞き質疑応答。オバマ政権がなぜTPPを推進したのかという点のお話が特によくわかりました。

DSC00456.JPG 終了後、日本原水協の核廃絶署名提出行動に参加し、501万人分の署名を議員団で受け取りました。

 続いて議員団会議。山下書記局長、高橋衆院議員が宮城県議選について報告。安倍暴走許すなと、保守の皆さんを含めた勝手連の応援が広がったことなど語られました。資料に配られた今朝の「河北新報」の『自民逆風 共産追い風』の見出しがぴったりです。

 この記事では自民党は一候補あたり1000票、公明党は600減らし、日本共産党は1700票増やしたと指摘しています。安倍暴走や冷たい県政への怒りの票が日本共産党候補に寄せられました。

 

 加藤さん.jpg 京都市西京区、右京区でそれぞれ議会報告演説会。西京区の会場には同区在住の元予科練生で、86歳の加藤敦美さんが弁士に立ってくださいました。

 予科練で特攻隊をめざしていた加藤さんはシールズの活動を見て、特攻で死んでいった先輩や同輩の無念が今、若者の心に生きると「朝日」に投書され、大きな話題と感動を呼びました。加藤さんは自らの投書読み上げ、そこに込められた思い、自宅を訪ねてきたシールズの奥田氏との語らいについて紹介され、「立憲主義を取り戻すという志位さんの国民連合政府の提案はシールズの皆さんの願いと同じ。嬉しい」と語ってくださいました。

 会場では涙をふきながら話を聞く人の姿も。私も胸が熱くなり、握手をしてもらいました。この思いに応えねば。

DSC00440.JPG その後、市役所前の地下街で開催中の、辺野古につながる大浦湾の生き物たちの写真展へ。こんなにも多様な生き物があることに驚きました。美ら海を守れ!の思いを新たにしました。

 続いて三条京阪の駅前で、戦争法廃止めざす青年トークに大河原としたか参院選挙区候補とともに参加。青年の質問にも答えながら、ハンドマイクで訴えました。

 終了後、東京へ。

 

 高山さん.jpg8月6日に58歳の若さで急逝した京都法律事務所の高山利夫弁護士を偲ぶつどいに参列しました。高山さんは京大法学部の一年先輩。当時、教養部が赤ヘルボ力集団により「バリケードストライキ」と称して封鎖され、講義破壊も横行する中、暴力一掃、大学の自治を守る運動を共にしました。

 笑顔を絶やさず、理不尽には厳しく立ち向か       う姿は当時かDSC00429.JPGら変わらす、依頼人の皆さんにも信頼されていたことがこもごも語られました。私も一言、思いでを語らせていただきました。引き続く昼食会では、久しぶりに会えた大学の先輩とも思い出や近況を語ることができました。

 高山さんがなくなったことは残念ですが、私たちの心に中に生き続けます。合掌

 午後は京都の憲法共同センターの戦争法の学習交流集会。自由法曹団の岩佐弁護士、平和委員会の片岡さんと私が報告。戦争法廃止へ世論と運動を広げることが京都総評の梶川議長から提起されました。がんばろう!

 

DSC00421.JPG 今日、憲法53条に基づく野党連名の要求書を衆院は午前中、参院は午後にそれぞれ提出しました。戦争法、TPP、沖縄、原発、改造内閣の所信など議論すべきことは山積みです。にもかかわらず、外交日程など理由にならない理由で臨時国会を開こうとしない安倍内閣。逃げるな! と言いたい。

 午後に国会を出て、18:30から三重県津市で戦争法廃止めざす学習会。一時間の講演をしました。話し終えたら、JRに間に合うように急いで退席し、ぎりぎりセーフ。ところが「鹿と衝突し25分の遅れ」のアナウンス! 

 近鉄に切り替えましたが予定した新幹線には遅れ、一本後の便に。東京には23時前に到着ですが、同じ車両に他に二人の参院議員が乗車。皆さん、ご苦労様です。

 明日は宮城県議選応援で仙台へ。

 国会で開かれた原爆被爆者の院内集会に出席。与野党から参加し、日本共産党からは小池、大平、畑野、田村各議員と私が出席し、小池議員か挨拶。

 核兵器廃絶、被爆者援護法改正、戦争法撤回、原発再稼働中止など被爆者の願いのこもった要望書と署名を受け取りました。司会者は、被爆者で高校の先輩の大岩さん。終了後にご挨拶をしました。千葉からは小学校の先輩も参加されていました。

 

 

 富山つどい.jpg日本共産党県委員会主催「戦争法のたたかいと日本共産党を語るつどい」で講演。日曜日の朝10時からのつどいでしたが、250人が参加してくださいました。

 土井由三元小杉町長や広瀬妙子新日本婦人の会県本部会長、水谷敏彦弁護士、青年代表の4人の皆さんがあいさつ。共同の広がりを実感しました。

 私は、戦争法案がやり方も内容も憲法違反、民主主義破壊であることを国会論戦、強行採決の状況を紹介しながら、日本共産党の戦争法廃止の国民連合政府の提案の「要」の内容や各界の反響などについてお話しました。その後、参加者と質疑応答。とても熱心に聞いてくださいました。

 終了後、京都へ。

 

 昨日は、デスクワークとともに国対の会議、議員団会議など。

 今日は、戦争法案の強行採決をした919日の参院安保特の会議録の問題で参院事務総長に申し入れ。速記による未定稿には「聴取不能」とし書かれていなかったにも関わらず、「可決すべきものと決定した」と書き加えられたことは「認められない」として、、民主、無所属、社民の各代表とともに参院事務総長に申し入れました。 

特別委員会は会期毎に設置されるもので、閉会中審査の手続きも取らなかったため、参院安保特は現在、存在していません。議事録に「追記」するという判断は、鴻池委員長が、会期中に行ったとされています。 

 私は、違憲の法案を強行採決したことは議会制民主主義を壊すものであり、この議事録の問題は暴挙を重ねるものだと指摘。「テレビを見ていた多くの国民が"なぜ、これで採決なのか"と批判し、委員会室の委員にも速記者にも何が行われていたのか聞き取れず、採決の事実を示すものは何も残っていない。にもかかわらず与党の判断で議事録に書き込めることになれば何でもありになり、議事録の信頼性も根底から損なう」指摘。 

 議事録の取り扱いについて与党から協議の呼びかけもなかったことも示し、「このような追記は認めるわけにいかない。経緯を調査し明らかにせよ」と述べました。 

 その後、共同記者会見。申し入れには都合で参加できませんでしたが、維新や生活も同様に立場であることも民主党から報告がありました。

DSC00339.JPG 今日は「戦争法廃止の国連連合政府を実現しよう」と京都市内、府南部の三カ所で訴えました。

まずは、精華町での国会報告会。つづいて京都駅前で樋口英明京都市議とともに街頭演説。夜は宇治市での演説会。精華町、宇治市では大河原参院京都選挙区候補と共に訴えました。

 精華町では町長選と同時に行われる町議補選の加藤せいじ候補も決意表明。宇治市では、城陽ナザレン教会牧師の末吉貞雄さんもお話ししてくださり、戦争法廃止の国民連合政府への期待の声をいただきました。

 国会報告会も演説会もたくさんの皆さんが参加してくださり、戦争法廃止の国民連合政府への期待の大きさを実感しました。

 京都大学の教員らでつくる「自由と平和のための京大有志の会」の皆さんと懇談し、「戦争法廃止の国民連合政府」の提案をめぐって意見交換をしました。

 「有志の会」から発起人の藤原辰史准教授、駒込武教授、小関隆教授が参加し、日本共産党から大河原としたか参院選挙区候補らが参加。私から、提案の内容とそれに基づく各党、各分野との対話状況等についてお話し、三氏からは「個人的意見」としつつ、提案への積極的評価とともに様々なご意見をいただき、とても有意義なお話ができました。

 「京大有志の会」による「安保法制」等に対する声明書は、各国語に訳され、子どもの言葉でも語られ大きな反響を呼びました。強行採決後の「明日のための声明書」も評判を呼んでいますので、紹介します。

●明日のための声明書

わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。

自由と平和のための京大有志の会

 DSC00318.JPG参議院のドイツ派遣4日目。朝、ベルリンを立ち、空路フランクフルトへ。空港から車で、ヘッセン州の州都ヴィースバーデンに行きました。町の中心部が世界遺産に登録されており、とても雰囲気のある町です。その中でもひときわ美しい建物が、州議会と聞いてびっくりです。

 昼食は州議会のそばにあるレストラン。夜は居酒屋としてにぎわうとのこDSC00315.JPGと。スペアリブを頼むと、こしょうのきいたソースがたっぷりかかった骨付き肉。美味でしたが、ボリュームがすごい。この数日、肉、肉、肉という感じです。

 午後にはヘッセン州政府を訪ねて、ルチア・プットリッヒ連邦・欧州問題担当大臣と懇談。ここでも難民問題が話題の中心。同州でも毎日1000人の難民を受けて入れており、当面の住居の確保から言語教育や就労の問題など様々な課題と取り組みについてお話しがありました。

DSC00327.JPG 私は、「難民の受け入れを人道的に支持しているドイツ国民に敬意を表します。一方、難民の就労の多くが低賃金労働になれば、人権問題であり、ドイツ国民の賃金低下にもつながり、国民の支持が得られにくくなるのではないか」と質問。

 大臣は、ドイツ語教育などの課題を挙げられるとともに「最低賃金制度は難民DSC00330.JPGへの適用を外せという声あったが、適用除外になっていない」とのお話しでした。

 また、原発をなくし再生可能エネルギーに転換することについての質問に対し、大臣自身がかつて州環境大臣を務め、同州の原発を廃止させたことを紹介しつつ、「再生可能エネルギーへの転換については、電気価格の値上がり、発電施設や送電線の建設に対する地域住民の反対など様々な課題がある。しかし、原発事故をうけた脱原発の決断がなければ、再生可能エネルギーへの転換はこれほどまで進まなかった」と強調されました。

 詩人のゲーテは、ヘッセン州のフランクフルトで生まれました。懇談行った会議室にはゲーテの胸像があり、「ゲーテの間」と呼ばれているとのこと。ドイツは街のいたるところに文化の歴史があるとともに、街中や建物の中に現代アートもたくさんあります。

DSC00333.JPG フランクフルトに戻り、欧州中央銀行(ECB)を訪問。最近できたばかりのガラス張りで41階という建物。市内でもひときわ目を引きます。懇談したロスターニョ金融政策局長はイタリア人。リーマンショックによる経済危機への対応や、この間のユーロ圏の経済状況に対応したECBによる金融政策の推移など興味深いお話しを聞くことができました。

 その後、神山在フランクフルト総領事の公邸にお邪魔し、現地情勢についてお話しを聞きながら夕食。20:45発の羽田便に乗り込み、約11時間半のフライトで帰国します。

 

 

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