参院ラオス公式訪問4日目。午前中は、ラオス国立大学へ。副学長と懇談した後、日本語学科の教室へ。2004年から国際交流基金が日本語専門家の派遣を始め、2010年には草の根文化無償資金で教育棟が作られました。
生徒数は112人。今年度の日本語学科への入学希望者は倍増したとのこと。
授業の様子を後ろから拝見していましたが、日本の国会議員に質問したいという話になり、教室の前で質疑応答。目をキラキラ輝かせて質問する学生たちの姿が印象的でした。
参院ラオス公式訪問3日目。朝食の前にホテル周辺を散歩。昼間は30℃を超えますが、朝は15℃くらいで湿気もなくとても爽やかです。午前中に昨日に続き国会を訪ね、ブンポーン副議長と会談。ブンポーン氏と小川副議長がそれぞれ挨拶し、両国の友好関係発展について述べました。
質疑応答の時間が取れたので、私は、被爆二世であることを紹介し、ラオスが核兵器禁止条約に署名し、原水禁世界大会に毎年ブンニャン国家主席のメッセージを寄せておられることに謝意を表明。
その背景にはベトナム戦争時に受けたクラスター弾などの空爆の不発弾による被害が今も続いており、残虐兵器禁止の必要性を痛感されているからではないかと問いかけ、日本ではあまり知られていないラオスにおける空爆と不発弾の被害の実態について質問しました。
ブンポーン氏は「素晴らしい質問をありがとう」と述べ、ベトナム戦争時、人口3百万人のラオスに米国が落とした爆弾は3百万トンで、戦場だった地域では経済開発や農業の際には今も不発弾処理が必要だと強調。
子どもが森の中で焚火した時に地中の不発弾が爆発するなどし、死亡したり障害者になることも続いているとのべ、「のちほど詳しい資料を届ける」と言ってくださいました。
ベトナム戦争時に「ホーチミンルート」があったため「世界で最も空爆された国」ともいわれるラオス。遺されたクラスター弾の不発弾は8000万発以上と言われており、被害者への支援活動は日本でも行われています。
昼食は青年海外協力隊でビエンチャンで活動している6人の青年と会食。活動内容ややりがい、苦労、要望など様々な話を聞くことができました。
日本の青年海外協力隊の最初の派遣地がラオス。午後にはパンカム国家副主席との会談を行いましたが、席上、パンナム氏からも協力隊の皆さんの活動ぶりに感謝の意が述べられた上、「ラオス国民は日本国民を愛しています」ともいわれ、とても和やかな会談となりました。
市内で買い物をした後、ホテルに戻り、夜はブンポーン副議長主催の夕食会。民族音楽や舞踊もあり、みんなで踊る場面も。いっそう親交を深めることができました。
参院副議長一行ラオス公式訪問2日目。朝一番でラオス国会を訪ね、バーニー議長と会談。バーニー氏は2010年から議長をされており、以来3回訪日されています。この間の日本から経済・社会インフラの整備や、農業の発展、教育環境の整備と人材育成などへの支援に対しての謝意と共に、両国関係をいっそう発展させたいとの意欲を述べられました。
小川副議長は今回の招待に対するお礼と共に、参院としても両国関係を発展させることに参院としても努力したいと表明され、和やかな懇談となりました。
続いて、日本のODAとして取り組まれている、ビエンチャン郊外のタゴン灌漑農業改善計画の現地を視察。同地区での農業支援は1966年から続けられており、灌漑施設整備が行われましたが、この間施設の老朽化が進んだため用排水ポンプや水門改修が現在行われています。
現地で、JICAや日本企業の皆さんから事業の概要や進行、ご苦労をお聞きし、引き続き昼食をとりながら懇談しました。
なんと、この地区での農業支援に最初から関わったのが、松沢議員の祖父で、初代の農場長は叔父さんだったとのこと。当時移住し、現在も住まわれている親戚の方も視察現場に来られ、改めて農業支援の歴史を振り返る場面となりました。
市内に戻り、タートルアン仏教寺院に立ち寄りました。1566高さ年にセタティラート王によって建立され、30メートルを超える金色の仏塔が印象的。仏塔の内部にはお釈迦様の遺髪が納められているといわれています。
続いて近くの凱旋門へ。フランスからの独立を果たした後の1960に年代に建てられたの、最上階まで登ると市内を一望でき、メコン川の対岸のタイも望むことができました。
夜は、大使公邸で、JICAや進出企業で仕事をされている在留邦人の皆さんとの夕食会。現地での喜びやご苦労、課題などをお聞きしました。
若干、時間ができたので夕食前にホテルのプールでひと泳ぎ。気温は31℃。真っ青な空と澄んだ空気。実に爽快でした。
今日から21日まで小川敏夫参院副議長一行としてラオス、ベトナムを公式訪問します。 両国の国会議長、副議長や首相、国家副主席ら要人との会談、在留邦人の皆さんとの懇談を行います。ベトナムでは、国会で議論になってきた技能実習生の送り出し機関も視察する予定です。
一行の議員は、小川敏夫副議長、岡田広(自民) 、青木愛(共同会派)、谷合正明(公明) 、松沢成文(維新) 、私の6人です。私は両国とも初めての訪問。とても楽しみにしています
11:20羽田発でタイのバンコクまで6時間半。ここで乗り換えてから1時間10分。東京を出て10時間後にラオスの首都、ビエンチャンに到着しました。竹若敬三在ラオス大使から夕食をとりながらラオスの政治、社会、経済情勢についてブリーフィングを受けました。
臨時国会の最終日。野党は「桜を見る会」の究明のために40日間の会期延長を提起し、9時に衆院議長に申し入れました。その後、与野党間で断続的な協議が行われ、与党は会期延長は拒否したものの、衆参の内閣委員会の理事懇を閉会中に開き、野党の質問に答えることなどは合意。
これをうけ午後から各委員会が開かれ、会期末手続をおこないました。外防委理事会での請願の取扱いを協議では、「女性差別撤廃条約選択議定書の速やかな批准」を求める請願について自民党は「党内で協議したが、政府が答弁しているような点があり、さらに検討が必要」として保留を主張。
私は「現行の政府答弁の下でも2年前まで院の意思として採択してきた。理由にならない。女性団体など期待の声は大きい。採択すべき」と求めました。野党新会派や沖縄の風からも、自民党に対し採択に向けたさらなる協議を求める意見や採択すべきとの意見も出されましたが、採択には全会一致が必要なため、保留という結論になりました。残念です。
15:30から本会議で会期末処理。引き続き、議員団総会が開かれ志位委員長が挨拶。私は、国会閉会にあたっての山東参院議長の挨拶を議員団控え室でお待ちしたため、総会には間に合いませんでした。
明日も「桜を見る会」の追及本部の会合が開かれます。与党が国会を無理やり閉じても、追及の手を緩めるわけにいきません。
全建総連の役員の皆さんと日本共産党国会議員団の懇談会に朝8:00から出席。建設国保への支援やアスベスト、消費税問題など幅広い課題で要請を受け意見交換できました。
10時に議員会館を出て、外交防衛委員会として陸上自衛隊朝霞駐屯地を視察。陸上総隊司令部新庁舎でこの間の台風被害を中心に災害出動の状況について説明を受け、質疑応答をしました。
視察から議員会館に戻ると、政府が大学入学共通テストの国語と数学への記述式問題導入を見送る検討に入ったとのニュースが。これを受け、緊急に野党合同ヒアリングが行われました。
午前中から野国連や野党書記局長幹事長会談が開かれ、安倍政権が桜を見る会のに背を向けたまま、国会を閉じようしている下で、異例ですが、野党として会期延長を求めることで一致。会期末を迎えて、国会情勢は緊張を増しています。
京都を出て滋賀県高島市へ。自衛隊の饗庭野演習場近くの公園で開かれた「日米合同演習反対12.1あいばの大集会」に参加して情勢報告をしました。集会には県内各地や京都、大阪、奈良、三重から約300人の参加がありました。
饗庭野演習場では9月の照明弾落下事故などこの4年間であ件もの近隣住民に被害をもたらす重大事故が発生。狭い演習場であり、実弾演習そのものをやめるべきです。
にもかかわらず、米海兵隊のオスプレイも参加して今日から行われる共同訓練。オスプレイが、香川県の国分台演習場との間を飛行し、三重県の明野駐屯所に駐機するもの。初めて複数の演習場を使った航空機訓練です。
私は、訓練計画の内容を紹介し「日本の防衛とは無縁なものであり、米国と一緒に海外で戦争するための訓練だ」と強調。
さらに、オスプレイの重大欠陥が放置されていることを指摘した最近の米国防監査官の報告や在日米軍のパイロットの恐るべき規律違反の実態を明らかにした米海兵隊の事故報告書を紹介しながら、「このような実態で、オスプレイが日本の空を飛ぶことなど許されない」と共同訓練の中止を訴えました。
各地からの参加者のあいさつ、地元の皆さんのリレートークがあり、集会宣言を採択。その後、市内をデモ行進しました。
終了後、京都に戻って新幹線に乗り換え、東京に向かっています。
集会会場に早くついたので、琵琶湖畔を散策。琵琶湖周航の歌記念碑や建築家のヴォリーズ資料館も訪ねました。
日米貿易協定の審議で昨日午前中は農水、経産両委員会と連合審査。午後は外防委で参考人質疑でした。連合審査では紙議員が質問に立ち、除草剤グリホサートの問題を取り上げました。学校給食のパンからも検出されていることを告発しても、「健康に問題はない」という政府。
火曜日の外交防衛委員会でも私がグリホサートを取り上げたこともあり、委員会後、与野党の数人の外交防衛委員会の委員から、「あの農薬の問題は大事だね」など声がかかりました。グリホサートとという名前を初めて聞いた議員も少なくなく、さらに大きな世論にすることが必要です。同時に、こんな国会の認識状況のままで日米交渉などありえないとも痛感しました。
午後の参考人質疑の野党の参考人は東大の鈴木宜弘教授とパルクの内田聖子さん。 質疑の中で次々明らかになる問題点について政府からまともな答弁がないままですが、午後の委員会前の理事会で与党から3日火曜日に質疑をして、終局としたい旨の提案。
「桜を見る会」に関して政府から回答がないなかで新たな審議日程は合意できないと反対しましたが、審議終了後に再開された理事会で委員長が3日の審議と質疑終局を仕切りました。許されません。
終了後、議員会館前で寒い中座り込みをされている農民連の皆さんに国会報告をし激励。一緒にシュプレヒコールを唱和しました。
昨日から野党が求めている「桜を見る会」の招待状の分類番号「60」が総理推薦枠であることの確認について朝の行政監視委員会の理事懇で、政府はゼロ回答。
これを受け、午後から衆参野党国対委員長会談、野党書記局長、幹事長会談を連続して開き、政府が確認しないならば審議はできないことなどを確認しました。
与党は野党の理事が欠席したまま議運理事会で明日の参院法会議立てを決めました。国会最終盤の緊張がますます高まっています。