活動日誌

「2022年8月」の記事

 今日は午前中に4回目のコロナワクチンを接種したので、予定を入れずに安静にして統一協会問題で講演と番組を視聴しました。

 大阪で昨日行われた有田よしふさんの講演をユーチューブで視聴。質問も含めて2時間半たっぷり語られ、基本的問題と歴史的経緯、今日問われている問題までよ~くわかりました。

IMG_2808.jpg 続いて「報道特集」。こちらも1時間半使った特集。萩生田氏と協会の深い関わりについての新たな事実とともに、地方議員への工作も広げられ、地方議会から「家庭教育支援条例」の制定や国会への意見書を上げていく運動が展開されていることも明らかにされました。

 恐るべき実態。国会を開き徹底解明すべきです。

 ワクチンのためか少しだるいので、早めに寝ます。

 IMG_2738.jpg広島の「黒い雨」被害者はなぜ戦後、置き去りにされたのか――TBSラジオの番組「荻上チキ・Session」で、「『黒い雨』訴訟」を出版された毎日新聞の小山美沙記者が語りました。
 昨年の日本被団協代表委員の坪井直さんの広島での「お別れ会」でお会いしましたが、17年入社の若い記者さんですが、希望して広島支局配属となり、その後、原爆報道キャップとなって「黒い雨」問題を取材してこられました。
 著書は、「黒い雨」による被ばく問題、その訴訟の全容を記録した初めてのノンフィクション。被爆者として認められてこなかった多くの「黒い雨」被害者の実態と苦悩、残留放射能による影響を否定してきた国の姿勢の理不尽さなどが克明に描かれています。
 私がこの問題にかかわったのは当選後の2002年頃からですが、小山さんが100人近い取材を通じて書かれた内容は、私も初めて知ったことがたくさんありました。素晴らしい著作です。 
 番組では荻上さんの質問に45分間にわたり、小山さんが実に明快に答えられました。さすがです。多くの皆さんに読んでもらいたい。
 299996717_2189819094509880_5570365403485301328_n.jpg今度の日曜日が告示の京都府綾部市議選の3予定候補の事務所開きを回って挨拶しました。
 療養中の吉崎久議員の志を受け継ぐ、お連れ合いの吉崎あつ子さん、子育て真っ最中、被爆3世のつかさきたいしさん(以上、新)、3期12年の現職で実績抜群の井田かよ子さんの3人。
300034300_2189819154509874_7802988111378938987_n.jpg 今日、衆参で臨時国会召集要求書を提出したことを紹介し、国会を開いて国民の声を聞け、国政も市政もコロナと物価高騰から暮らしと命守れとの声を日本共産党の3人へと訴えました。
300001972_2189819101176546_2101655572680521817_n.jpg
 IMG_2789.jpg今日、8月16日は京都の五山の送り火。この2年はコロナのためにごく一部の点火でしたが、今年は3年ぶりの全面点火でした。 
 点火時刻の20時を前にして19時ごろから土砂降りの雨に。果たして点火できるのか心配していましが、20時前にいったん雨が上がり、10分程度の遅れで点火されました。地元TVの生中継で点火が始まったことを確認して、自宅近くの小学校前へ。地域の皆さんがたくさん出てこられています。夜空にくっきり浮かんだ美しい「大」の文字に思わず手を合わせました。
 IMG_2795.jpgその後、吉田山の中腹から遠くに「左大文字」「鳥居」と「舟形」の一部を眺めることができました。やっぱり京都の夏になくてはならない五山の送り火。保存会をはじめとした皆さんのご苦労に感謝したい。

  IMG_2775.jpg13~15日は広島県三次市に墓参りに帰りました。GWに帰った際は、足を痛めていて家の中を歩くのも大変だった母もずいぶんよくなり、ご近所のお店まで歩いて実に久しぶりに外食をしました。昔は、避暑に帰った田舎ですが、最近は、同じような猛暑です。汗をかきながらの墓参りと少しばかりの家の周りの草刈り。

 三次市内の本通りにある「辻村寿三郎人形館」にはじめて行きました。旧満州で生まれ終戦一年前に広島に引き上げ、原爆投下一か月前に広島市内から三次に移り、22歳で上京した寿三郎。私たちの年代では、出世作となった「新八犬伝」の人形が強く印象に残っています。

 IMG_2781.jpg館内には真田十勇士をはじめとした人形や衣装とともに、「原点」とされる作品「ヒシマより心を込めて」が展示されていました。小学校五年生の時のみっちゃんという同級生とそのお兄ちゃんの人形。二人は被爆し、一年後亡くなりました。三次に転居していなければ寿三郎も被爆していたことでしょう。

 「人形作りを始めてまもないころの作品です。私の原点なんです」という寿三郎の言葉が添えてありました。

 IMG_2773.jpg広島経済大学の学生たちが作成した「黒い雨」のドキュメンタリー作品「黒い雨から76年 短命村と呼ばれた里から」をユーチューブで見ました。6日の原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会で、二人の学生が作成の経緯や思いを発言し、「ネットで『黒い雨』と検索してぜひ、見てください」と呼びかけていたもの。
 学生たちは、「黒い雨」のことを大学の講義で知り、実際に体験した人たちのもとに何度も通いつめました。130時間に及ぶ取材時間をかけ、原爆投下直後の「黒い雨」を浴びた人たちの証言をまとめ、裁判を通じて被爆者として認められるまでを追い続けた40分弱の作品です。https://www.youtube.com/watch?v=_6LeGuoWiQk
 
 集会で、「(原爆の被害が)今でも続いていることを1人でも多くの人に知ってもらいたい」 とのべた二人に心からの拍手を送りました。上映会などを通じて同じ若い世代に「黒い雨」問題を伝え続けたいとしています。ぜひ、ご覧ください。
 
 若い皆さんの参加が目立った今年の集会。この広島経済大の学生と共に、核兵器禁止条約第1回締約国会議に参加した早稲田大学の学生、30人で参加した東京高校生平和ゼミナールと東京学生ツアーの青年たちも発言しました。東京の学生が、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める署名が1万人に達し、「次は私たちが核兵器廃絶への歴史を刻んでいくときです」と表明すると、会場は大きな拍手で包まれました。
 広島市立基町高校の生徒による原爆絵画の展示も各地で取り組まれ、大きな反響を呼んでいます。未来を感じます。

 豪雨対策本部22.jpg午後からの議員団会議i合わせて、八月豪雨対策本部(小池本部長)の会議を行いました。各地での調査の報告が行われ、私からも新潟県北部での調査について報告しました。今日、組閣が行われ新しい災害担当大臣が任命されたところですが、調査や自治体からの要望を踏まえて申し入れを行うことを確認しました。

   議員団会議では笠井亮議員から、NPT再検討会議の報告を聞きました。私は2005年、2010年と同会議に参加し、10年の時は志位さんや笠井さんとご一緒でした。笠井さんはさらに先日の核兵器禁止条約の締約国会議にも参加されました。

 それを踏まえて、今回の会議が「これまでと状況が一変していた」という笠井さんの生の報告は実に聞きごたえがありました。締約国会議の成功を再検討会議の前身につなげたいという流れが広がるとともに、国連本会議場でのNGOセッションのトップ発言が日本原水協であり、笠井さんも日本共産党の国会議員として初めて本会議場で発言するなど、市民社会と日本原水協の国際的地位の高まりを実感したとのこと。素晴らしい。

 午前中は、外交防衛委員会から内閣委員会に所属が変わったことに伴い、新しい秘書の皆さんと共に内閣委員会調査室にレクをお願いしました。改めめて内閣委員会はが所管する分野の広さを実感しました。これまで取り組んだことのない分野も少なくありません。この間の国会論戦の経緯など、秋以降の論戦に備えて、この夏、しっかり勉強しなければなりません。

 今日、岸田総理は内閣改造を行いました。当初9月初めといわれていましたが、国葬や統一協会問題で内閣支持率が急落する中で前倒しで行われました。統一協会との関係が明らかになっていた7人の閣僚を外すなど「閣僚ロンダリング」とも指摘されていましたが、何のことはない、新しい内閣でも7人が関係しているとが直ちに明らかに。小池書記局長は会見で「統一教会隠し失敗内閣」と指摘しました。

 夕方の新幹線で京都へ。

 22長崎式典.jpg長崎への原爆投下77年目。平和祈念式典をテレビで見ながら黙とう。グテレス国連事務総長の挨拶は核廃絶を訴える被爆者へのリスペクトに溢れていました。
 田上長崎市長は平和宣言の冒頭で1956年の原水禁世界大会の時、下半身不随の被爆者が母親に抱きかかえられた会場に入った際に会場から「写真に撮るのはやめよ」「見せ物じゃないぞ」との声が上がって騒然としたが、登壇した被爆者が、「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。二度と私をつくらないでください」とのべたことを紹介しました。
 それを聞いて、2010年のNPT再検討会議での長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんの訴える姿が浮かんできました。
 谷口さんは、背中全体が真っ赤に焼かれた被爆直後の自身の写真を掲げ「私はモルモットではない。見世物でもない。でも目をそらさず、もう一度見てほしい」「私を最後の被爆者とするため、廃絶の声を世界に届けたい」と訴え、スピーチが終わると万来の拍手1分近く鳴り響きました。
 この命がけの訴えが世界を動かしてできたのが核兵器禁止条約です。谷口さんは条約の採択後一か月半あとに、採択を見届けるように亡くなりました。
 平和宣言はさらに、「核廃絶こそ人類を守る唯一の現実的な道」と強調しました。日本は直ちに核禁条約に署名を。
 夕方に世界的なデザイナー、三宅一生さんの訃報が。広島国泰寺高校の先輩です。三宅さんは小一で被爆されましたが、そのことをほとんど語っておられませんでした。しかし、オバマ演説を聞いてニューヨークタイムスに被爆体験を寄稿され、オバマ氏に広島訪問を呼びかけられました。
 ネクタイ.jpg私は、原爆で亡くなった多くの先輩をはじめ、核兵器のない世界を願う先輩たちの思いを胸に刻み、イッセイ・ミヤケのネクタイをしめて国連本部で核兵器禁止条約採択の採択に立ち会い(写真)、核兵器に関する会合などの時も締めるようにしてきました。
 改めて核兵器廃絶への決意を新たにしています。合掌
 午後には国葬と統一協会問題での野党の国対ヒアリングに参加しました。
あ゛~爽快。久しぶりに議員宿舎近くの区民プールで泳ぎました。参院選挙後、12年間所属してきた外交防衛委員会から内閣委員会に移ったため、議員会館の資料の大整理中。今日の作業を終えて夜、プールへ行きました。
 コロナで区民プールが長い間使えない中、一日一万歩のウォーキングが日課となり、議員宿舎からのいくつかの散歩コースも発見しました。とりわけ早朝のウォーキングは爽快なのですが、この一週間は熱帯夜が続き、朝から蒸し暑くていささか閉口気味でした。
 そこで、「よし、プールへ行こう」と久しぶりのプールへ。で今年の初泳ぎかな。ああ、気持ちいい~。以前は1000m泳いでましたが、久しぶりなので500mにとどめました。宿舎に帰り、肉野菜いためを作って、ビールをゴクリ。う、旨い。
 新潟県で豪雨災害調査。昨夜、広島から福岡空港経由で新潟入りし、朝から、胎内市、村上市、関川村の被災現場を回り、市役所・村役場で被害状況や要望等についてお話を伺いました。
 新潟県北地域では4日未明、線状降水帯発生による特別警報が発令され、過去例のないような短時間の豪雨で大きな被害が広がりました。胎内市では丸山たかひろ、波多野孝子両市議とともに河岸が崩れた現場や床上浸水した地域を回りました。その後、市役所で被害状況と対応について説明を受けました。
 続いて村上市へ。稲葉久美子市議と共に広範囲に床上浸水した地域を訪問。みなさん家の泥だしなどに追われ、水につかった畳や家具が積み上げられており、住民の皆さん疲労されている様子が見えます。同市では7000戸が断水となり、給水所ができていますが、車が冠水して動かず、高齢者だけのお宅など飲料水もらいに行けない方もあります。市役所の支所に行くと、届いたベットボトルを配布するためにボランティアの皆さんもたくさん集まっておられました。
 さらに、関川村へ。途中の道路の沿線では崩落した山肌がたくさんあり、滝のように水が出ている場所もありました。地盤のゆるみが心配です。通学や通院の欠かせない足であるJR米坂線は線路の下がすっかりえぐれている場所もあり、復旧には相当の時間がかかりそうです。
 関川村に到着し、老人福祉施設の職員の方から、被災の状況や買い物などが困難になっている状況をお聞きしました。村役場では加藤弘村長からお話を伺いました。被災された住民からの様々な要望にできるだけこたえており、それにふさわしい国や県の財政支援をしてほしい等の要望が出されました。また、米坂線の復旧までの代替交通手段の確保についても要望が出されました。
 続いて村上市に戻り市役所へ。途中、幹線道路が片道通行になっており相当の時間がかかりました。忠聡副市長からお話を伺いました。上水道の復旧をいそいでいること、今日から、県の人的支援もうけて住宅の被害認定を始めることのことなど状況や要望をお聞きしました。
 災害対策で重要なのは制度に被害を当てはめるのではなく、被害を救済する立場で制度を柔軟に活用し、必要ならば新しい制度もつくること。水害の際の住宅の被害認定や支援についても、この間の災害で全国的運動の積み重ねの中で、国も柔軟な対応をする状況が生まれています。そうしたこともお伝えしながら復旧へ力を合わせることをお話しました。
 新潟市に戻り、東京へ。

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