198通常国会「三ツ星議員」の表彰をNPO法人「万年野党」から受けました。「政府の監視」の機能をもっと果たすべきという立場から、2012年以来、全議員の質問回数や主意書、議案立法の数で総合的に評価してこられました。
今回は、日本共産党からは笠井、高橋両衆院議員と私が表彰されました。私は本会議質問の回数が全参院議員でトップ、委員会質問は第三位でした。
国会近くで開かれた表彰式で、田原総一郎さんから盾をいただきました。「これを励みにさらに行政監視機能を発揮して頑張り、万年野党に甘んじず、連立政権めざします!」と一言あいさつ。
午後からの衆院予算委員会の集中質疑、とくに塩川議員の英語民間試験問題の質問を見ながら、明日の質問準備。夕方に通告しました。
国会での会議や打ち合わせの後、夕方には京都へ。17:30から四条烏丸の交差点で、京都府議、市議団の皆さんと消費税増税ストップの宣伝署名活動で訴えました。
続いて党左京地区委員会による「市民と野党の共闘を学ぶ連続企画①」で、長野、新潟、福井の共闘について報告しました。
滋賀県での取り組みについては、「市民の会しが」代表の斎藤敏康・立命大特任教授が詳しくお話ししてくださいました。
会場からの様々な質問も出され、二人で回答。最後に、京都市長選挙、衆院選挙勝利に向けて共闘をさらに広げていきましょうと呼びかけました。
京都を昼過ぎに出て東京へ。議員会館で資料整理し、夜は中野ゼロホールでの「「党創立97周年記念集会」。参院選での七人の当選者の一人として冒頭壇上に並んで声援に応え、あいさつ。
志位委員長が「共闘の四年間と野党連合政権への道」と題してたっぷり講演。この間の国会内外での出来事を思いおこしながら舞台袖で聞きました。
野党統一候補で当選した議員は衆参で50人を超え、参院では21人です。「れいわ」という、共同を進める新しい党もできました。
参院国対委員長としていっそう共闘を発展させる責任を痛感し、決意を新たにしました。
6日の広島での平和記念式典や原水禁世界大会の後、三次市の母のところに行き、翌日は墓掃除をして京都に帰りました。
京都を始発で出て国会へ。今後の体制や臨時国会への対応などで打ち合わせ。午後は長野、新潟、石川を回りました。
衆議院は選挙後の初登院の際に院の職員に議員バッチを付けてもらいますが、参院は事前に交付されます。今日は交付日。埼玉で初当選した伊藤岳さんがピカピカのバッチを付けての控え室にこられ、国会活動の基本点についてお話ししました。
続いて、議員を勇退される伊達参院議長が退任の挨拶にこられ、田村議員と共に応対。
午後から、まず長野県委員会へ。鮎沢県委員長ら県委員会のた皆さんにお礼の挨拶をし、懇談。地元紙が長野選挙区の羽田候補の勝利について「共闘効果」を大きく取り上げて入るのが印象的でした。
続いて富山県委員会へ。報告集会に参加し、比例候補として奮闘した青山りょうすけさんと共に花束を頂き診んなで万歳。
さらに石川県委員会で報告集会。野党統一候補として大奮闘された国民民主党の田辺とおるさん挨拶をしてくださいました。ここでは「がんばろう」を三唱しました。
今日、中央選挙管理委員会が開かれて参院比例代表選挙での当選が確認され、当選証書を頂きました。29日から4期目の任期が始まります。選挙で語った希望を現実にするためにがんばります❗
議員会館の部屋に新潟でみごとに勝利した野党統一候補のうち越さくらさんが挨拶に来てくださいました。お互いの当選を祝って握手。
さらに会館内の廊下では返り咲きを果たした社民党の前党首の吉田ただともさんと出会い、こちらも握手。市民と野党の共闘はさらに前進します。
午後から新潟に向かい、新潟県委員会でご挨拶。市民と野党の共闘をさらに発展させた、新潟の教訓や課題についてもお話しを聞くことができました。
新潟から東京に戻る途中に、この間、腎臓病を悪化させていた愛猫ミルクが亡くなったとの電話があり、急遽、京都に帰ることに。零時前に遺体を抱くことができました。
腎臓病が悪化し痩せ細っていましたが、最期は眠るようだったとのこと。私の当選を見届けるまでがんばってくれたのかな。ありがとうミルク。
京都を朝出て静岡市へ。党県委員会の事務所を訪問しお礼のあいさつ。選挙区候補として奮闘した鈴木ちかさんとしっかり握手。
その後、三週間ぶりの国会へ。今の任期は28日まで。議員会館の中は、入れ替わりのために引っ越し仕様になっています。「戻ってこれた」と喜びを感じつつ、いただいた祝電やたまった資料に目を通し、8/1にも召集される臨時国会向けた対応など打ち合わせ。
残念ながら議席を失った仁比、辰巳議員を訪ね、奮闘をねぎらいながら、次の勝利を誓い合いました。参院国対副委員長をしてかけがえのない役割を果たしてきた2人。無念です。2人の分まで頑張らなくては。
地元京都市左京区の参院選報告集会に倉林さんと共に参加。同区の倉林さんの得票率は32.5%で全府一位。自民候補に1500票差に迫りました。
比例で21.3%得票の力と共に、府内で最も進んだ市民との共同の力が押し上げました。今日もジャーナリストの守田さんを初め市民運動のリーダーの皆さんが次々発言。ここにこそ希望があると実感!
昼間は各方面にお礼の電話かけ等。時々、睡魔が襲います。
朝の4時過ぎに当確が出て4期目の当選をすることができました。この間のご支援に心からお礼申し上げます。訴え続けた憲法と命輝く日本の実現へ決意を新たにしています。
埼玉で伊藤さんの新議席をえる一方、辰巳さん、仁比さんの議席を失ったことは残念でなりません。託された願いを生かすために新しい議員団一丸でがんばります。
5時前に京都の事務所でスタッフと共に万歳。一時間余り仮眠した後、名古屋市に移動し、金山駅前で須山初美さん、本村伸子衆院議員と共に朝宣伝。選挙戦の報告と決意をのべました。
京都に戻り、激戦を勝ち抜いた倉林明子さんと共に京都新聞社を訪問。山内康敬社長らと懇談しインヒビターをうけました。
再び名古屋に行き、党の愛知、岐阜、三重の各県委員会
でご挨拶。夜は京都にもどり選挙報告集会。市民として一緒にたたかって下さった皆さんの挨拶が続きました。嬉しかった。素晴らしかった。
とうとう最終日です。名古屋8カ所、京都10カ所で訴え抜きました。

朝はすやま初美候補とともに名古屋駅からスタート。東の笹島交差点、南の太閤口、北の大名古屋ビルヂング前で訴え、午前中八か所で街頭演説をしました。
あなたの一票が政治を変えます。減らない年金、消費税の増税とめて、暮らしに希望ある政治にする。9条改憲をとめて、平和に生かす新しい日本にする。そのためには日本共産党を伸ばしていただきたい。
反戦平和97年、筋金入りの平和の党、日本共産党です。条約上、義務のない米軍への思いやり予算も、美しい辺野古の埋め立ても、F35の爆買いも、私たちの税金です。こんな税金の使い方、やめさせようではありませんか。
国連の核兵器禁止条約の会議に唯一参加した党が 日本共産党。そして、採択に立ち合った、ただ一人の参議院議員が、私、井上さとし です。政府に核兵器禁止条約に参加させることは、被爆二世としての責務だと思っています。
午後は井上さとし候補者カーに乗り込み、京都タワー前の街頭宣伝から。京大の同級生たちが応援に駆けつけてくれました。京都市職労の小林委員長は京大法学部で同じクラス。京教組の河口委員長は文学部ですが同学年。とても嬉しい応援でした!
大学講師で思春期アドバイザーのあかたちかこさん、府知事選の候補として活躍した福山和人弁護士からも力強い応援をいただきました。
あかたさん「私の推しは日本共産党 です。比例で共産党に入れると、この 井上さとしさんが国会議員になれます。この人は平和のことをずっと考えている人です。核兵器はアカン、被爆者のこと、ちゃんとせなアカン、私らのお金でポンコツ戦闘機買うなって、めっちゃマトモでしょ」
福山さん「消費税増税、なんで庶民からむしりとるの? 私たちが払った消費税は370兆円。そのうち290兆円が大企業の減税に使われ、大企業は440兆円もの内部留保。ここにきちんと課税すれば、増税なんかせんでも社会保障は充実できるんです。もう、そろそろ、この社会を支えているみなさんおひとり、おひとりのための政治に切り替えていこうやないですか。その大チャンスが目の前にきています」
京都市内11か所で訴え、19時に高野団地での街宣では、同団地在住の「ママの会」の西郷南海子さんが飛び入りでマイクを握ってくださり、「誰に応援されている候補か」を考えた結果として、「選挙区は倉林、比例は日本共産党」と訴えて下さいました。
最後の訴えは地元の左京区事務所前から。私はこれまで6回選挙をたたかっていますが、今度の選挙ほど、被爆二世としての、核兵器廃絶への決意を語った選挙はありません。憲法改悪ではなくて平和に生かす、そして核兵器禁止条約にサインをして、さすがに9条をもつ国だと心から思えるような政治をつくりたい。暮らし、いのち、平和。倉林明子候補ともども国会に押し上げていただきたい。最後の最後まで訴え抜きました。