広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠」を笠井、本村両衆院議員と共に視察。全棟保存を求める原爆遺跡保存運動懇談会副座長で、県原水協の高橋信雄代表理事が案内してくださり、大平前衆院議員、辻県議、中原、藤井市議、県被団協の皆さんがご一緒でした。
築103年。陸軍の軍服や靴を製造し、被爆直後は臨時の救護所になり、多くの被爆者がここで亡くなりました。老朽化を理由に県所有の3棟のうち1棟だけ外観保存し、2棟は解体という方針に県民の批判が広がり、一年間先送りになっています。
鉄筋コンクリート・レンガ造り3階建てで、3棟の全長は270mという巨大さ。文化財としても貴重であり、軍都広島を伝える遺構でもあります。なによりも、爆風で曲がった窓枠など被爆の実相を伝える迫力に、全棟保存・活用が絶対必要と痛感しました。
これだけの貴重な被爆建物であるにもかかわらず、他の建物にはある案内板は見当たりませんでした。これまで、ほとんど知らせる努力をせず、きちんと補修など行われないままに解体という方針が示されたもの。
被爆の実相を次世代と世界に伝える地元自治体と国の責任が問われています。世論と知恵を集めることが必要です。
視察に先立ち、母校・広島国泰寺高校に立ち寄り、前身である広島一中の原爆犠牲者の追悼の碑に手を合わせました。
移動の車中で読んだのは、高校の同窓会誌でも紹介された『異端の被爆者~22度のがんを生き抜く男』。当日、一中で被爆し、わずかに生き残った同級生もその後亡くなり、今や唯一の生存者となった兒玉光雄さんを描いた本です。
宿舎に戻る途中、うれしいニュース。今日、投開票の京都府笠置町長選挙で、日本共産党が自主的に支援した新人の中淳志候補が、自民、立憲、国民推薦の新人を23票差で破り、当選!
同町では、まちづくり事業に絡み、国の交付金を不正受給したとして町職員、まちづくり団体代表らが書類送検され、町政改革が求められていました。
先週の日曜日、同町を「集い」で訪れた際、中さんの自宅を訪問してお会いし、町政改革への意気込みをお聞きしたところです。 心からお祝いします。住民の声が届く、開かれた町政を期待しています!
自宅を朝出て、京都市山科区の日本共産党の後援会の「もみじまつり」へ。きれいな青空が広がる絶好の祭り日和です。 山本陽子市議と一緒に各後援会のテントを回って握手。様々激励をいただきました。山本善五郎実行委員長と中央舞台前でパチリ。
開会前に会場を出て京都駅へ。静岡市に移動し、「浜岡原発の再稼働を許さない ひまわり集会in静岡」に参加。おしどりマコ・ケンさんのトークライブに続き、国民民主党の日吉衆院議員とともに挨拶しました。
会場は紙製のひまわりの花でいっぱい。私は「会場はひまわりだらけだが、国会は季節外れの桜の話題でいっぱい。国政を私物化する一方で、国民多数の反対の声を無視して原発再稼働をすすめることは許されない。市民と野党の共同で、安倍政権『桜散る』に」と訴えました。
県内各地の「金曜アクション」の皆さんのリレートークなどが続き、集会アピールを採択。市内パレードは、わが党の鈴木県議、立憲民主党の杉山市議とともに横断幕を持って並んで歩きました。
終了後、東京へ。
京都市内で開かれた、党京都府委員会主催の国政報告会に穀田、倉林両議員と共に参加。従来と会場設営も変えて車座にし、穀田さんをメインにそれぞれが国会報告を行い、参加された皆さんからご意見や質問も出してもらう双方向型の集いとして取り組みました。
穀田さんからは、今たたかわれている高知県知事選挙の様子も紹介しながらの市民の野党の共闘の発展を中心に報告。私は京丹後の米軍Xバンドレーダー基地で起きている問題と各地での米軍の傍若無人の訓練や事故を結び付けて報告。
倉林さんは厚労省が再編統合を視野に入れた再検証を求めて全国424の公立病院などの実名リストを公表した問題についての論戦を紹介しました。
今朝の京都新聞に、弁護士の福山和人さんが、年明けの京都市長選挙に立候補の意思を固めた、との記事が出たこともあり、国政とともに京都市長選挙勝利も大きな話題に。高知県知事選、京都市長選挙の連続勝利で安倍政権を退陣に追い込もうとの声が上がりました。
198通常国会「三ツ星議員」の表彰をNPO法人「万年野党」から受けました。「政府の監視」の機能をもっと果たすべきという立場から、2012年以来、全議員の質問回数や主意書、議案立法の数で総合的に評価してこられました。
今回は、日本共産党からは笠井、高橋両衆院議員と私が表彰されました。私は本会議質問の回数が全参院議員でトップ、委員会質問は第三位でした。
国会近くで開かれた表彰式で、田原総一郎さんから盾をいただきました。「これを励みにさらに行政監視機能を発揮して頑張り、万年野党に甘んじず、連立政権めざします!」と一言あいさつ。
午後からの衆院予算委員会の集中質疑、とくに塩川議員の英語民間試験問題の質問を見ながら、明日の質問準備。夕方に通告しました。
国会での会議や打ち合わせの後、夕方には京都へ。17:30から四条烏丸の交差点で、京都府議、市議団の皆さんと消費税増税ストップの宣伝署名活動で訴えました。
続いて党左京地区委員会による「市民と野党の共闘を学ぶ連続企画①」で、長野、新潟、福井の共闘について報告しました。
滋賀県での取り組みについては、「市民の会しが」代表の斎藤敏康・立命大特任教授が詳しくお話ししてくださいました。
会場からの様々な質問も出され、二人で回答。最後に、京都市長選挙、衆院選挙勝利に向けて共闘をさらに広げていきましょうと呼びかけました。
京都を昼過ぎに出て東京へ。議員会館で資料整理し、夜は中野ゼロホールでの「「党創立97周年記念集会」。参院選での七人の当選者の一人として冒頭壇上に並んで声援に応え、あいさつ。
志位委員長が「共闘の四年間と野党連合政権への道」と題してたっぷり講演。この間の国会内外での出来事を思いおこしながら舞台袖で聞きました。
野党統一候補で当選した議員は衆参で50人を超え、参院では21人です。「れいわ」という、共同を進める新しい党もできました。
参院国対委員長としていっそう共闘を発展させる責任を痛感し、決意を新たにしました。
6日の広島での平和記念式典や原水禁世界大会の後、三次市の母のところに行き、翌日は墓掃除をして京都に帰りました。
京都を始発で出て国会へ。今後の体制や臨時国会への対応などで打ち合わせ。午後は長野、新潟、石川を回りました。
衆議院は選挙後の初登院の際に院の職員に議員バッチを付けてもらいますが、参院は事前に交付されます。今日は交付日。埼玉で初当選した伊藤岳さんがピカピカのバッチを付けての控え室にこられ、国会活動の基本点についてお話ししました。
続いて、議員を勇退される伊達参院議長が退任の挨拶にこられ、田村議員と共に応対。
午後から、まず長野県委員会へ。鮎沢県委員長ら県委員会のた皆さんにお礼の挨拶をし、懇談。地元紙が長野選挙区の羽田候補の勝利について「共闘効果」を大きく取り上げて入るのが印象的でした。
続いて富山県委員会へ。報告集会に参加し、比例候補として奮闘した青山りょうすけさんと共に花束を頂き診んなで万歳。
さらに石川県委員会で報告集会。野党統一候補として大奮闘された国民民主党の田辺とおるさん挨拶をしてくださいました。ここでは「がんばろう」を三唱しました。
今日、中央選挙管理委員会が開かれて参院比例代表選挙での当選が確認され、当選証書を頂きました。29日から4期目の任期が始まります。選挙で語った希望を現実にするためにがんばります❗
議員会館の部屋に新潟でみごとに勝利した野党統一候補のうち越さくらさんが挨拶に来てくださいました。お互いの当選を祝って握手。
さらに会館内の廊下では返り咲きを果たした社民党の前党首の吉田ただともさんと出会い、こちらも握手。市民と野党の共闘はさらに前進します。
午後から新潟に向かい、新潟県委員会でご挨拶。市民と野党の共闘をさらに発展させた、新潟の教訓や課題についてもお話しを聞くことができました。
新潟から東京に戻る途中に、この間、腎臓病を悪化させていた愛猫ミルクが亡くなったとの電話があり、急遽、京都に帰ることに。零時前に遺体を抱くことができました。
腎臓病が悪化し痩せ細っていましたが、最期は眠るようだったとのこと。私の当選を見届けるまでがんばってくれたのかな。ありがとうミルク。
京都を朝出て静岡市へ。党県委員会の事務所を訪問しお礼のあいさつ。選挙区候補として奮闘した鈴木ちかさんとしっかり握手。
その後、三週間ぶりの国会へ。今の任期は28日まで。議員会館の中は、入れ替わりのために引っ越し仕様になっています。「戻ってこれた」と喜びを感じつつ、いただいた祝電やたまった資料に目を通し、8/1にも召集される臨時国会向けた対応など打ち合わせ。
残念ながら議席を失った仁比、辰巳議員を訪ね、奮闘をねぎらいながら、次の勝利を誓い合いました。参院国対副委員長をしてかけがえのない役割を果たしてきた2人。無念です。2人の分まで頑張らなくては。